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みにミニ法話

(241)「感謝と幸せ」

感謝と幸せの順序ですが、
「幸せであるから感謝できる」というのが一つあります。
もう一つは「感謝できたから幸せになれた」という考えもあります。

前者の方が幸せにとっては受け身的で、
幸せを待っているような気もしますが、
後者の「感謝できるから幸せになれた」というほうが、
幸せを多く手にすることができるような気がします。

またもう一つの考え方は、
「幸せであるから感謝でき、感謝できるから幸せである」
という二つが、一つの関係でつながっているという考え方です。
少し哲学的になりますが、感謝と幸せが一つになっている状態といえます。

こんな投書がありました。
57才の男性の方の投書です。

「母を思い出す音」

小学校のころ朝一番に聞こえてくるのは、母がみそ汁を作る音だった。
まだ布団の中にいる時に、ネギを刻む音、油揚げを切る音、
豆腐をみそ汁に入れる音などが聞こえてきた。

それは私にとって目覚まし時計の代わりだった。
同時に、病を患っていた母が、今朝も元気だという証しでもあった。

眠い目をこすりながら食卓につくと、
白い湯気の中に、できたてのみそ汁とご飯、
それに母の笑顔が、かげろうのように揺れていた。
幸せな時間だった。

数年後、母は若くして亡くなった。
今も、母の一番の思い出と言えば、母がみそ汁と作る音だ。

(読売新聞 平成24年11月11日付)

こんな投書です。この中に「幸せの時間」という言葉がでてきますが、
それはこの方のお母さんが、朝の食事を作っているときの音を、
目覚まし代わりに聞く時間でした。

感謝という言葉はでてきませんが、
今でも感謝の思いを抱いていることでしょう。
そして、お母さんが亡くなっても、
その感謝はいつまでも消えず、幸せの時間を消さないでいます。

感謝と幸せは、このように別物でなく、
ともに一緒に手をつないでいるのです。
今年も無事過ごさせていただいたことに感謝し、
幸せをかみしめてみましょう。
また幸せであったことに、感謝してみましょう。