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みにミニ法話

(235)「雨の日もいい」

6月は梅雨に入り、雨の日が続きます。
信州の伊那は標高が600メートルもあるので、
雨の日は寒くなり、コタツが恋しくなります。

なぜか雨の日は憂鬱になりますが、雨が降らないと、
野菜や花などを育てている人にとっては大変なことです。
傘屋さんもこまりますし、結構、雨の降ることで助かっている人も、
確かに多くいらっしゃいます。

私の小さい頃は、学校で遠足などによく出かけました。
その遠足が楽しみで、雨が降らないようにと祈ったものです、
眠れない夜を過ごして、朝晴れていると嬉しくて飛びあがったものです。

このように雨が降るのを待っている人と、
雨を嫌がる人がいて、さまざまです。

雨には悪いのですが、今日のテーマは、この雨を
「思うようにならないこと」や「苦しみ」などに置き換えてみます。

思うようにならないことは辛いことですが、
この言葉を受け取るのには、二つの在り方があります。

一つは思うようにならないから、辛く大変だ、というとらえ方です。
実際、思うようにならなければ大変です。
人の気持ちを自由にコントロールできれば、
どんなに生きやすいことでしょう。

しかし、人の気持ちを自由に、自分の思うようには動かせません。
スポーツで金メダルを取りたいといっても、そんなに甘くなく、
思うようにはいきません。

では、もう一つのとらえ方はどうでしょうか。
思うようにならないから、人生は面白いし、成功した時の喜びも大きい。
そう思うと、思うようにならない世界も違って見えてきます。

すべてがそうで、苦しみがあるから生きていきたくない、と思うのと
苦しみがあるからこそ、喜びが深く学びも大きい、と思えば
苦しみも違って見えてきます。

雨の日は嫌なものだと思えば、気も沈んできますが、
雨の日もいいものだと思えば、心も軽くなってきます。

周りのことに大きく左右されることなく、
物事を良い方に取られて生きていったほうが、
より充実した生き方ができるのです。