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みにミニ法話

(232)「花の心」

3月になるとさまざまな花が咲きだします。
花にも心があるかどうかわかりませんが、
見る人によれば花に妖精がいて、悲しんだり、
ほほえんでいることがわかるようです。

特に私の知っている花屋さんは、毎日花と接しているのでしょうか、
花の思いや心がわかるといいます。

平成23年の10月ごろに、ブータンから国王夫妻が日本に来られましたが、
ブータンではハエが来ても殺さないし、花も切ると可哀そうなので、
仏様に献じるために生きた花は使わないようです。ブータンでは造花だと聞きました。

そんな話を聞くと、きっと花にも心があって、
私たちをさまざまな思いで見つめているかもしれません。

そんな花の思いを受け取って考えていくと、
花に「きれいね」といってあげればきっと花も喜んでいると思います。
花はきれいに咲くことが幸せであり、その花を見て、
多くの人が幸せになってもらえることが、きっと喜びであると思うのです。

自分の幸せがそのまま相手の幸せに通じていくという生き方です。
他の人のために自分が犠牲になって、相手の幸せを作るというのも、
尊いと思われますが、それを一般法則とすれば、犠牲になる人が結構多くなって、
幸せな町づくりはできなくなります。

そうではなくて、自分の幸せが、相手の幸せにもなる生き方が優れているのです。

また花は無心に咲いているから人を幸せにする、とよく言われることです。
「私があなたのために一生懸命働いて、幸せにしてあげた」
という思いがないというのです。

私はこの考えを本当だと思っています。
なぜならば、純粋に無心に花は咲いているから、きれいで美しく見えるのです。

人の心も同じで、
「あなたにしてあげた。こんなに頑張ってあなたのために、私がしてあげた」
という姿は、決して美しくはありません。
自分の思いを空しくして、相手を思う心が美しいのです。

こんなふうに花の心を見つめていくと、
もっと多くの心の思いが、花の姿の中に見えてくると思います。
花の心と私たちの心は、きっと、どこかで通じているのです。