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みにミニ法話

(230)「清々しさ」

清々しさといえば、晴れた日の元旦は清々しさを感じます。
今年一年の始まりで、何の汚れもなくて、再出発ができる、
澄み渡った空も手伝ってか、そんな気持ちが清々しさを思わせます。

ですから、清々しさには、汚れのない、
くもりのない心の状態をいうことができましょう。

また空の広さや、海の広さを思う時、清々しい思いになることもあります。
広々としたとらわれのない、そんな思いも清々しさにはあります。

清々しい思いになると、幸福感が増すことも確かです。
不安や悩みもなく、重荷を下ろしたような、心の軽やかさのような思いも、
清々しさの中にはあるかもしれません。

そんな清々しさをどう得て、日々を暮らしていくかが問題になります。

お釈迦さまは、この世を濁世といって、
濁った泥のような苦しみの多い世界である説かれました。
そんな世にあって、その泥に心を汚さないで生きていくのは大変なことでしょう。

しかし、泥沼に咲く、あの蓮の花を見ると、
この世のものとは思えないほど、清々しい思いを与えてくれます。
蓮の花にできて、私たちにできないことはありません。

そのために、お釈迦様は教え説き、
その教えに従って心を正し、生きていきなさいと教えらました。
教えがあって、初めて私たちは心の清々しさを得られるのです。

まず1番目に、その教えに従って、自分の日ごろの生き方を反省します。
過てる自分の思いを反省し、教えの水によって、心の汚れを取り去り、
心をきれいにしていくわけです。

2番目に、自分の花を咲かせて、相手を幸せにしようと思うことです。
利他の思いです。自分のために咲くことが、相手を幸せにしていく。
そんな生き方が清々しさをかもしだしていきます。
それは空や海の広さのように、心の広さにも通じていきます。

この生きる姿勢が、幸福感を増していきます。
この教えは簡単なように見えますが、
この二つのことを日々行じていくのは至難の業です。
心にしっかり、このことを決意し、今年も清々しい光の道を歩んでいきましょう。