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みにミニ法話

(228)「良心の声を聞く」

良心といえば「良い心」と書きますので、
その声を聞くと、誤った方向に行かずに、
人として正しい方向、良い方向へと生きていくことができるということになります。

ある人がどうしてもお腹が空いて困り、
万引きをしたことがあったそうです。

その時には一時(いっとき)、飢えをしのぐことができたといいますが、
人のものを黙って盗んだことが忘れられず、いつまでも良心の呵責に悩まされたのです。

自分の良心が
「そんなことをしてはいけない。
 人として恥ずかしいことなのですよ」
と、常に語りかけてくるわけです。

そんな人はまだ良心の声を聞ける人です。
最近は万引きもゲーム感覚でする少年がいるようで、
良心の呵責など、どこにもないようです。

万引きに成功すれば、ゲームに勝ったというぐらいにしか、
思わないわけです。良心はどこに言ってしまったのでしょう。

この良心は、見えないものへの信仰、信心と
深いつながりがあるように思えます。

昔、「お天道様が見ているから、悪いことはできない」といった、
何か尊いものを信じる心がありました。

そんな心があれば悪いことをしたときに、良心が
「そんなことをしていれば、どこかでお天道様が見ているぞ」
といってブレーキをかけてくれるのです。
あるいは悪いことをする前に、良心の声が止めてくれるかもしれません。

しかし、お天道様などあるはずがないとか、
自分の思いの中に、まったくお天道様などなければ、誰も見ていなければ、
人のものを盗んで構わないという生き方になってしまいそうです。

実はこの良心は見えない世界と通じていて、
良心を通じ、見えない世界からの声を聞いているのです。

この良心は仏教的には仏心といって仏の心ともいえます。
仏や神といわれる世界の尊い方の声を、良心、すなわち仏心を通じて聞いているのです。

それを全く信じなければ、尊い存在からの声も聞こえず、
また尊い存在も、導きの手を差しのべてくれないのです。

良心の声を聞く、大切な方法は、見えない世界の尊い方が、
いつも見守ってくださっていることを信じることから始まります。