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みにミニ法話

(226)「神仏の心」

見えないけれど、どこかに神仏がおられて、
私たちを静かな眼差しでいつも見守っています。

このことは、
信じるというレベルの世界ではなくて、確かなことなのですが、
そう思っていない人もたくさんいらっしゃるかもしれません。

でも、信じても信じなくても、実際にいらっしゃって、
私たちの人生を導いてくださっています。

大きくいえば、いままでの歴史は
神仏のみ心によって作られてきたといえますし、
小さく言えば、日々、私たちの生き方を正そうと努力なさっているのです。

私たちはそのことに気がつかず、
一人で生きているような、そんな気になっているのです。
これは一見、すごく傲慢な事なのです。

「同行二人」という言葉があります。
これは四国八八か所の寺院を巡るときに、浄衣に書かれている言葉です。
弘法大師様と一緒に歩いているということですが、もっと広く考えれば、
人生は常に仏さまと一緒に歩いているということになります。

苦労や苦難、あるいは病気などの不幸に遭(あ)ったときなど、
とても苦しい思いになります。別れの悲しみもあります。

そんなとき思うことは
「神も仏もないものだ。
神仏はいつも一緒に歩いてくださっているというけれど、
それは間違いだ。
ああ、なぜ、私がこんな辛い目に合わなくてはいけないのか」
と、思ってしまう時も多々あるでしょう。

しかし、苦しんでいる時には気がつかなくても、
その苦難を何とか乗り越えて、過去を静かに省みると、
なぜあの時、苦難を乗り越えられたかというと、
神仏が私を背負って歩いていたからこそ、そのときの苦難を乗り越えられたのです。

乗りこえたのは自分自身の力もあるでしょうし、
多くの人の支えもあったでしょう。

でもその奥に、見えない存在が確かにあって、
力を与えてくださっていたという真実があるのです。

それを心の眼でしっかり見極めると、神仏の思いが少し見えてくるでしょう。
神仏の思いを知れば知るほど、私たちは神仏へと近づいていくことになります。

その道を歩むことが、どれほどの幸せであるかを知っていましょう。