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みにミニ法話

(199)「支えられてある」

支えられてあることを知るのは、
相手を大切に思えるための、基本的な考え方です。

自分が一生けん命生きることは大切なことですが、
それをすべて自分の力として生きてきたと思えば、
自分が神になってしまい、自分勝手な考え方にはまりこんでいきます。
それは井戸の中の蛙のような生き方です。

たとえば、水が豊富にある日本は1日平均361リットルの水を使っています。
アフガニスタンでは1日平均25リットルだそうですから、
私たちはその13倍にあたる水を使っています。

ちなみに、シャワーを忘れて3分間出しっぱなしにしてしまえば、
約36リットルの水が無駄になったことになります。
1.5リットルのペットボトルにすると24本分になります。
その量はアフガニスタンの人々の使っている1日の量より多くなってしまいます。

ホテルや旅館なので、お風呂にいけば豊富にシャワーを使いますが、
そんなこともできない人たちはどれくらいいるのでしょう。

こんな水ということひとつとっても、
水がなければ、豊かな生活はできませんし、
水がなければ何日も生きられません。

水に支えられて生かされている私たちです。
そんなことを思うと、水の有り難さが分かります。

水がはられた田に稲を植え、やがて美味しいお米ができます。
そのお米に水を注いで炊くとご飯になります。
お味噌汁も水がなくてはならなし、お茶やコーヒー、紅茶に抹茶、
ジュースにお酒、みな水がなければならないものばかりです。

たまに水道管が破裂したり台風や災害にあったりすると、
水が止まって、水道から水が流れなくなります。
そんなときには大変困ります。

困って初めて水の有り難さを思う私たちですが、
時にはそんな苦しみもなければ、
水の有り難さに気がつかなくなってしまう私たちなのでしょう。

そうならないためにも、水ばかりでなく、
自分を取り巻く人や物に対して、いつも気を配り、
あなた方のおかげで、私の生活やこの命があるのだと、
日ごろから思える自分を作っていくことが大切です。

支えられてあることを深く突き詰めていくと、神仏の存在に至ります。
そんな世界もしっかり感じながら、この支えられてある私を感じ、
相手の人をも支えてあげる人生を生きていきましょう。