ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(198)「苦しみを糧にして」

5月は緑がいっぱいで、花も咲いて、爽やかな季節です。
そんななかでも苦しみを背負って生きている人が、たくさんいることでしょう。

この苦しみの原因はいろいろあると思いますが、その一つは、この肉体にあります。

肉体ゆえに食べていかなくてはならないし、ぜいたくな食事もしてみたいと思います。
肉体があるゆえに、病気になることもあります。老いていく苦しみも、そうでしょう。

あるいは、きれいな服も着たいし、新しい家にも住みたいと思います。
それができなければ、苦しい思いになります。

また苦しみは、人と人との人間関係で、出てくることが多々あります。

一番身近な人間関係は家族でしょう。
やっと子供を授かっても、殺してしまう親もいるし、
子供ができなくて、苦労して代理母出産をお願いする親もいます。

どうしても子供ができなければ、夫婦二人で、人生を生きていくことになります。
母の日のカーネーションがもらえない、苦しいことです。
子供ができても男の子ばかり。女の子ができない苦しみもあります。

中には子供ができたのは良かったけれど、
障害を持って生まれてきたことで、悩む親もいます。

そんな障害がある子を授かって、お姑さんが
「田んぼを売っても、この子を育てよう」
とお嫁さんにいったというのを聞いたことがありました。

この言葉を聞いて、今まで姑さんに違和感を持っていたお嫁さんが、
すっかり信頼を取り戻し、ともに協力して、この子を大事に育てているようです。

苦しみは誰にもあります。
苦しみのない人生はありません。
その苦しみをどう受け止めて生きるかが、幸不幸を分けることになります。

苦しみに直面している時は、それは苦しいかもしれませんが、この苦しみは、
自分の生き方を、さらに優れたものにするためにあるのだと考えた方が、
幸せを手にする確率は高くなります。

「田んぼを売ってもこの子を育てる」といった、お姑さんの思いも、
苦しみの中からつかみ取った人生の糧です。

苦しみの中に、そんな糧がたくさん潜んでいることを知っていましょう。