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みにミニ法話

(184)「一輪の花のように」

春になると、
名前も図鑑で調べないと分からないような小さな花がたくさん咲き出します。
それらの花は、よく観察しないと見過ごしてしまう花たちです。

忙しい日々を送っていると決して気がつかない花たち。
気がつかなくてもそこに、花たちがなければ、春の景色は完成しません。
花たちのおかげで、忙しくても、「春が来ているなあ」と分かるのです。

私たちもこの世に生まれ、世界人口70億人のなかの一人です。

おそらくアメリカの人から見れば、
日本のほとんどの人は、名も知らない人たちでしょう。
たとえ一生を終え、亡くなっても、それを知るアメリカ人はいません。

そんな小さな小さな一人が、私です。
でも名も知れない自分ではありますが、この地域に生まれ、
生活し、日々を送っています。

そんな小さな私が、小さいなりに花を咲かせて、
この世を照らしたいと願うことが、大切ではないかと思うのです。

春の一輪の花のように、私も花を咲かせて、
この世を春のような温かな世(よ)にしたい、という思いを持つことが、
この世に生まれてきた、一つの目的ではないかと思うのです。

そのために、どんな困難にもめげずに生き抜き、努力し、
多くを学び、その学び取ったものを、まわりの人に分け与えていく。

そんな生き方が、天から見ている神仏には、
きっと花が咲いているように見えると思うのです。

そんな人が一人一人増えていくことで、この地球に少しずつ花が咲いて、
この地球が、きれいな星に生まれ変わっていけるのです。

そのために、花から学ぶことがたくさんあるでしょう。

寒い冬を耐え、雪に押されても負けず、花を咲かせる。
人が気がついてくれなくても、あたりを明るく暖かにさせる働きをしている。

私たち自身も、さまざまな困難に耐え忍び、そこから多くを学び取り、
人の幸せのためにほほえみをもって働く。

その働きに、まわりの人がたとえ気がつかなくても、
私がいることで、まわりが春のように明るく暖かになっていることに満足する。

そんな生き方ができたら、私も一輪の花のようになれるかもしれません。
試してみる価値がある、生き方です。