ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(180)「努力の意味」

努力することは大切なことであると、多くの人が知っていることでしょう。
しかし知っていながら、その努力を日々続けていくのは大変なことです。

私たちの心には、誰しも怠けてしまう「怠け虫」という虫がいて、
その虫に蝕(むしば)まれやすいのです。

いったんこの虫にやられると、
努力しないで、楽に生きられる方法はないかと考えてしまいます。

できることなら、努力しないで、何でもできるにこしたことはありません。
お金を稼ぐにも、楽に稼ぎたいと思う。

そう思えば、万引きもするし、お金も騙(だま)し取るような詐欺行為もするでしょう。
勉強しなくてもいい点数がとれれば、それに越したことはありません。

これから冬に入りますが、
寒いからコタツに入ってのんびりしていて、それで生きていられれば、
「いいなあ」と思ってしまいます。

しかし、多くの人が自分の仕事を失って何もすることがなくなってしまうと、
人間というのはおかしなもので、働きたいと思うものです。

疲れたから病気になって休みたいと思う。
しばらく寝ていて休んでいると、「早くこの病気が治り、働きたい」と思ってしまいます。

そんな自分に常に言い聞かせておくことは、
「努力は大切だから、地道に、日々努力していこう」
と常に心に思っておくことです。

そう念じていることが、怠け虫を退治する薬になるのです。

そして一度にたくさんの努力をするという考えでなく、
砂時計の砂がすこしずつ下に落ちて、やがてすべて砂が下に落ちてしまうように、
少しずつ努力をしていくことです。

賢者といわれた人で、努力をしなかった人はいません。

何度も挫折をしながら、その挫折を教訓とし、さらに努力を怠らない。
そんな生き方をした人が立派な人であったといわれています。

私たちは歴史に名を刻むことはないにしても、
努力を惜しまない人生が、「生きてきてよかった」という幸せを得るのだと思います。

この意味で、努力は幸せへの道を切り開いてくれるといえます。

努力即幸福といった賢者もおられましたが、
努力そのものが幸福であると達観したとき、
本当に「努力の意味」が理解できると思われます。