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みにミニ法話

(173)「花のやさしさ」

やさしさは、深さと広がりをもった言葉です。

深さとはやさしさの奥に、神仏のみ心にまで通じる真理があるのです。
広さとは、多くの人を幸せにし、互いを結び付けあう力をいいます。

その力は無限で、このやさしさを自ら実践していくなかに、
平和な家庭や社会が必ず築かれていくと思われます。

そんな深くて広い意味合いをもったやさしさが、
この世界にさまざまな形で現されています。

その姿を発見し、自分の目で間じかに見、
私たちもそうあろうとするところに、幸せの扉が開けてくるわけです。

そのやさしさの発見に花々があります。

春になると桜やすみれ、タンポポ、
また名も知れないたくさんの花が咲き出します。

その花々を見ていると、こちらも心に安らぎを覚え、幸せになります。
その花の中に感じ取れる、唯一の思いは、「やさしさ」です。

神仏は花の中に「やさしさ」を表現したのだ、と私は信じています。
花のやさしさを見て、「そんな花のような私になれたら・・・」と思ったとき、
神仏の思いをくみ取ったといえます。

さらに自らがそのやさしさを実践できたら、
神仏のみ姿が、その実践する自分の姿の中に重なっているといえます。

ですから、やさしさを体現している人の姿を見たとき、
非常に美しく見えるのです。

しかし、このやさしさには強さが必要です。

花は一年中、温かな世界で守られているのではありません。
寒い冬をよく耐えて、自らを強くし、その強さゆえに、美しい花を咲かせます。

人も同じように、苦労を重ね、悲しみを体験した人でなければ、
真なるやさしさを実践できないかもしれません。

病気の苦しみ別れの悲しみ、自分の思うようにならない苦しみ、
そんな艱難辛苦をよく乗り越えて、人は相手の気持ちをよく理解でき、
相手にやさしくできるようになるのだと思います。

そんな生きる法則をよく知り、やさしさを大切にし、生きていきましょう。
やがて必ず幸せの花が咲きます。