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みにミニ法話

(156)「魂の喜び」

魂の喜びとは、肉体的な喜びを超えた、心の底からの喜びをいいます。

肉体的な喜びといえば、健康であること、
経済的に困らないで、おいしいものが食べられたり、
きれいな服を着ることができることなど沢山あげることができます。

健康はやはり一番の喜びですが、健康であっても不幸な人はいます。
自分が健康であっても、あるいは経済的に困っていなくても、
家族の人に病人がいたり、子どもが非行に走ったり、
あるいは子供がいなかったり、夫婦仲が悪かったり、
お姑さんとうまくいかなかったり、さまざまなことがあげられます。

それでは、魂の喜びのほうはどうでしょう。

魂は目に見えませんから、その喜びを言い表すにことは難しいものがありますが、
心がぽかぽか温かくなる思いや、幸せを強く感じることはあります。

努力して何かを成し遂げたときや、人から感謝されたとき、
また感謝されなくても人にしてあげたことが、
その人の幸せに通じていったときなど、いろいろ考えると出てきます。

国語教育者の大村はまさんが、7年ほど前に、98才で亡くなられました。
私の好きな話として語っていた、ひとつのエピソードがあります。

車を引いていた男がぬかるみにはまった。
汗びっしょりになって引っ張っているが動かない。

見ていた仏様がちょっと指で車に触ると、
車はすっとぬかるみから出て、男は元気に引いていった。

男は仏様に助けられたことを永遠に知らない。

こういうのが一級の教師なのだ。

この話から、
「人に知られずとも、人のために尽くす尊さ」を思います。
こんな人になれることが「魂の真なる喜び」を得る方法なのです。

さらに言えるのは、
見えないところで必ず見守っている見えない存在がいることを感じ、
その存在を心で感じ取って生きていくなかに、
魂の喜びが増大していくということです。

「正しい意味での宗教観」を持っていることが、
真なる魂の喜びを目覚めさすということも知っていましょう。

その境地は、何にもかえがたい喜びであると思います。