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みにミニ法話

(155)「生まれてくる理由」

おそらく大概の人は、人は偶然に生まれてくると思っていることでしょう。
ですから生まれてくる理由など考えられないかもしれません。

あるいは「この世は一度限り」と考えている人も、
その考えから「生まれてくる理由」を見つけ出すのは、とても困難なことです。

生まれてくる理由を考える大前提は、生まれてくる前の世界があり、
そこにいてこの世に生まれてくるための何らかの計画を立てなければ、
生まれてくる理由は永遠に解けないということです。

進化論に見る、人がアメーバーのようなものから進化してきたと考えるならば、
人はみなこの世限りの命で、多くの人は「ただ食べたり楽しんだりすること」が
目的となりましょう。

あの世とか神や仏という見えない世界のことを証明するのは難しいことですが、
お釈迦さまが生まれてくる前に人生計画を立てて生まれてきたことから考えれば、
私たちも何らかの計画を立て生まれてきたと考えるのは、難しいことではありません。

『法華経』というお経の中に、お釈迦さまは「久遠の仏」であると説かれました。

久遠とは、永遠の命をもっているということです。
その仏が私たちを悠久の昔から導いてきたのです。
「この世限りの命」という刹那的な考えが入る余地もありません。

これが真実であれば、私たちはこの世に何度も生まれ変わり、多くの学びを積み、
仏陀のような悟れるものとなるために何度も生まれてきているのだということが
分かります。

この世に生まれてくるのは偶然ではない。
何らかの人生の課題をもって生まれてきた。

その課題を解いたとき初めて人格の向上がなされ、
一歩仏陀という悟れるものに近づいていく。

生まれてきた理由を大きな視点から言えば、
このようにひとつに、人格向上のためにあるといえます。

そして、さまざまな人間関係のなかから、
人に尽くし慈しみの思いを与える事、それがいかに大切かを学び取っていく。
これが第二の視点であると思われます。

そんな理由を自らの人生観において、人生を再度歩みだしてください。