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みにミニ法話

(149)「祈りについて」

家族が病気をしたり、自分に不幸があったりすると、
神仏に「どうぞこの病気が治りますように」とか
「幸せになれますように」と祈る事があります。

祈るということは、祈られる対象があるということで、
その対象を信じ、尊敬する気持ちがなくてはなりません。

自分がうまくいかないときだけに、
どこかに神や仏がいるなら、救ってほしいという、いい加減な思いで祈っても、
その願いはなかなか実現するものではありません。

やはり見えない世界に、
いつも私たちを導き、見守ってくださっている尊い存在があると、日頃から信じ、
その方に尊敬の念を抱きながら、日々を送っていることが
祈りの大前提にあるといえます。

祈りの前には必ず、身を清め、心を正すことが必要です。
そう考えると、神仏は常に清浄で正しい心の在り方を望んでいる
ということが分かります。

目上の人に会うときでも、寝巻き姿では会えません。
服装もそれなりのものを着て、言葉使いも丁寧にします。

心は見えませんから、そこまで気を使うことはありませんが、
神仏は、自分の心の内まで見通す力を持っていますから、
祈りの際には心のほうまで正すことが必要になるわけです。

できれば、祈るときばかり心を正すというのではなく、
日頃から正しい生き方を心がけ、
心の汚れをのぞいた日々を送っていることが大切になります。

また祈りの際には、こちらかの一方的なことをお願いするのですが、
それがもし叶わなかったとき、神仏を裁くような思いを持っていけないのです。

そのときは、叶わないなりに、
「この窮地から、神は何かを学びとっていけというのだな」と思って、
自助努力していくことが大切です。

祈りには、神仏からエネルギーをもらうという祈りもあります。
「神よ、私に勇気をお与えください」「仏よ、私に慈悲の光をお与えください」
と祈り、イメージの中で自分が神仏の光に包まれていることを想像します。

そうすると、神仏のあたたかな光をいただけます。
この祈りは必ず神仏に通じていきます。

疲れたとき、生きていくのが辛くなったとき、
どうぞ、この祈りをし、前向きに歩き出してください。