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みにミニ法話

(148)「平安なる心」

平安なる心を考えてみると、
苦しみや悩みがなく、ずっと幸せな状態をいうのかもれません。

しかし、世の中で苦しみや悩みを持っていない人はおそらくいないでしょう。

あの家の人は幸せそうで、きっと悩みはないだろうと思っていても、
その家の人にしてみれば、他人の知らないところで多くの悩みを持ちつつ生きている、 ということがあると思います。

苦しみや悩みの原因はさまざまであると思いますが、
悩みがあっても、人として心の中にやましい思いがなければ、
平安なる心を保ちやすいといえます。

自分の心がきれいで善に満ちて一日を生きていく。
その生きる一日の充実感が心の平安に通じていきます。

またその充実感が、
心の中に静かな湖面のような平らかな思いを作っていくともいえます。

やましいというのは良心に恥じることがあって気がひけるという意味で、
心穏やかでない状態です。

いつだったか
26年ほど前に当時29才の女性を殺したと自首してきた68才の男性がいました。

すでに時効で法律では罪を問われないようですが、
殺しをしたという男性の心の内にある良心は、
26年間ずっと恥じて苦しみ、心穏やかではなかったと思います。

平安なる心を得ず、26年も生き続けることが、
いかに大変か推測がつきます。

悪なる心、人としてやましい思い、これが心を波立たせ、幸せを奪っていきます。

また怒り多き人生も心を荒々しくさせ、平安な思いから人を遠ざけていきます。

世の中には理不尽なことや思うようにならなうことが沢山ありますが、
そのことで怒りを発し続ければ、必ず不幸の谷へ落ちていきましょう。

そのことをよく知り、怒りを静めていく努力が大切です。

一つ二つと大きく深呼吸をして、心の平安を念じることです。
きっとそこに解決の道も開けてきます。

平安なる心は、自らの心のうちにある良心と語り合う唯一の方法で、
自らがこれから、どう生きていけばよいかを知ることもできる方法なのです。

心の波を静め、心を平らかにさせる。
そこに幸せの光が見えてくることでしょう。