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みにミニ法話

(144)「足ることの真意」

人は生きる欲を出さないと生きてはいけません。

食欲がなければ、力がでてきません。
食べなければ、やがて病の床に伏して、死を迎えることになります。

睡眠欲がなければ、この身体を癒すことはできませんし、
財欲がなければ働く意欲も失せ、家族を養っていく経済的な面でも困難をきたします。

これらの欲は、正当な欲ですが、ただ度が過ぎると、
自分を守っていくこれらの欲が逆に自らを苦しめるものになるわけです。

どこまでが自分の正しく生きていくための欲であるかをよく知って、
行動できるようにしていくことが、ひとつの「足ることを知る」ということになります。

どこまでが自分を正しく導いていく欲であるかを知るというのは、
言葉を変えていえば、自分の分限を知るということにもなります。

極端な例でいえば、たとえば自分が今から総理大臣になるという欲を出します。
そして努力します。どうでしょう。こんな困難な道はありません。
おそらく多くの人は挫折して、幸せにはなれないでしょう。

この意味で、自分の長所や短所、性格や体力、能力などをよく知っていくことが、
欲望をコントロールする大きな要因になるわけです。

20代の体力をずっと維持し続けることは困難なことです。
年を取ると、やがて手がしびれてきたり、腰が痛くなったり、
足が上手に動かなくなってきます。

そのとき、欲を出して、「こんなはずではない」などど、悔やみ、
分を超えた健康を願っても苦しみを増すばかりです。

そのときは甘んじてその境遇を受け入れ、上手に付き合いながら、
眼が見えること、食べ物をいただけること、家族がいることを感謝して生きる。
これがまた足ることを知るになります。

「過ぎた欲望が身を滅ばす」という言葉があります。 的(まと)を射た賢者の言葉です。

また自分の能力には限界がないといいますが、
やはり体力面や性格などを考え合わせると、自分の能力にも限界を認めながら、
分にあった働きができる生き方を選択していくことも「足ることを知る」ことになります。

自分の分を知り、分不相応なことは、退けていくというコントロールをしていくのです。

そのとき大金を逃したと思っても、
結果的には、未来に幸せをつかむことができましょう。