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みにミニ法話

(143)「花のごとくあれ」

お寺のまわりには、四季おりおりに、さまざまな花が咲きます。
その花の種類も多く、名も知らない花も沢山あります。

でも、その花の姿は一つひとつみな違っていて、
なぜこんなに多くの違った花があるのだろうと思ってしまいます。

お寺の裏庭の日陰に、どくだみという草が沢山生えています。
薬草に使えるということですが、少し臭(にお)いがきついので
あまり好きではないのですが、花は白くてとてもきれいなのです。

その花の白さを見ていると、心が休まり、
「この花があまり好きではない」という思いが恥ずかしくなってきます。
それは可憐な花の白さが純粋に見えるからでしょう。

あたかも小さな子供が、野にあるお地蔵さまに手を合わせている姿に似て、
汚れがないからだと思うのです。

大地から芽を出し、花を咲かせるまでは、
花たちも花なりに多くの困難を得てきたことでしょう。

夜の寒さや雨の日も、風が吹く嵐のような日も、
じっと花を咲かせるためにその場にいて、自分の命を燃やし続けている。
そしてその汚(けが)れのない純粋な思いを保ち続けています。

その点、人とはなんと弱い生き物でしょう。
苦難があればその場から逃げたいと思う。

その苦難に負けては、心まで汚(よご)し、
自分の不幸を嘆き、人を憎むこともあります。

自分の置かれた環境が悪いから、幸せになれない。
そのような思いでは決してきれいな花は咲かないでしょう。

その場にあって、強く生きていこうという意志と笑顔の自分があれば、
それが成長していく力になり、人が支えてくれることを深く思う感謝の心が、
自らの花を咲かせる肥やしとなっていくのです。

花に学びましょう。純粋な思いを。素直な心を。
それが白い花のように、周りの人をも幸せにしていきます。

苦難はいつか過ぎ去るものと悟り、
自分の置かれたこの場からできるかぎり逃げない。
その場に自分の花を咲かせる。

そう花に教えられます。

「花のごとくあれ」これは見えない世界から発せられた、
私たちが正しく生きていくためのメッセージなのかもしれません。