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みにミニ法話

(133)「告知について」

たとえば家族の誰かがガンになって、
もう6ヶ月ほどしか生きられないと聞かされたら、
ガンになった家族に、その事実を伝えることができるでしょうか。

「あなたはもう半年の命しかありません」と伝えるのはとても大きな勇気がいります。

私の父もガンで亡くなりましたが、告知はしませんでした。

もう34年も前のことですから、告知という言葉もあまり使われていなくて、
黙っているのが当然であった時代であったので、
告知をしないほうが父のためによいと思っていたのです。

しかし今考えてみると、そうではないのだということを思い知らされるのです。

告知をしないという前提には、
相手の悲しみや苦しみをこれ以上与えないという配慮があるようにも思えますが、
その大前提には死んだらそれでおしまいという考え方があるのです。

人は死んでも終わりではない、という真理を知っていて、
どう死を迎え、どうお別れの言葉を述べ、
そしてどのようにあの世への旅立ちの準備をするかを残された時間の間に考える。

このことが、どれほど死を受け入れる人にとって大事であるかを
知らなくはならないと思います。

その意味で、告知ということはとても大事なのです。

死はこの世からあの世へ向かうひとつの通過点にしか過ぎません。
それを知らず死んだらすべてが終わりであるという考え方では、
亡くなっていく人には、告知はできないでしょう。

あるおじいさんが自分の妻がガンになって、それを告知できず、
妻がなくなった後それを後悔し、半年足らずで本人もなくなってしまったということが
ありました。

その家族の人が
「告知をして死への準備をしておけばよかった」
という話がありました。

告知をして、お別れをし、さらにはどのような心持ちでいれば、
楽に天に帰られるかを逝く人に語ってあげられる、
そんな介護の仕方が必要な気がいたします。

それには死をもっと知って、死への恐れや忌み嫌いをなくしていくことが必要です。

「あなたはあと三ヶ月ですよ。だからお別れの言葉を交わしましょう。
 天に帰るための心の準備を一緒にしましょう。」

そう語れるように、日頃から告知の大切さを家族で語っていましょう。
告知はとても大切なのです。