みにミニ法話
(128)「本来の自分」
私たちは毎日食事をし、食べ物をいただいて生活しています。
もし、食べ物がなければ生きていくことはできません。
食べ物を身体の中に取り込み、そして一日の活力を得て、
それぞれの役割にしたがって生活しています。
食事はこの肉体を維持していくためには必要不可欠のものです。
このように、みんなが同じように食べ物を身体に取り込んで生きているのに、
なぜ、活力ある生活をしている人がいる一方で、
悩める生き方をしている人がいるのでしょうか。
幸せに生きている人がある一方で、不幸な思いで生きている人がいるのでしょう。
野菜にお肉、果物やお菓子など、特別変わったものを食べているのではありません。みんなだいたい同じものを食べ生きています。
でも、なぜ、人の生き方はさまざまで違うのでしょう。
明るい人、暗い人、感謝できる人、愚痴ばかり言う人。さまざまです。
このことを、不思議に感じたことはないでしょうか。
同じ3度の食事をいただいていれば、だいたい同じような性格で、同じような生き方をしてもいいはずです。
肉食系と野菜系で、少し違っているくらいです。
これは考えるのに、この肉体が本来の自分ではない、ということです。
私たちは当然この肉体を見て「あなただ」、「私だ」と判断しています。
鏡を見ればそこに映る自分が、私であると思っています。
でも、少し立ち止まって、本当にそれが私なのかを疑ってみてください。
この肉体が自分なら、同じ食事をしている人々が、
まったく違った生き方をしていることの説明がつかないのです。
どうもこの肉体に重なっている自分があって、
この肉体を使って、この世を生きている、そんな感じがします。
この自分が本来の自分です。
この本来の自分が、この肉体を使って、
それぞれの人生の目的のために、生きている。そう考えられるのです。
この肉体に重なっている、本来の自分。
その自分を充分感じながら、どう生きていくのが正しいのかを、
常に吟味し、生きていくことが大切です。