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みにミニ法話

(114)「徳ある人」

ある日、車を走らせていると、交差点で信号が赤になったので止まりました。
すると一人のおばあさんが横断歩道を渡り始めたのです。

ずいぶんと年を取っているためか、歩く速さはカメより遅く見えます。

スクランブル交差点ではないので、右の方から来た車がこちらに曲がろうとして、おばあさんが渡るのを待っています。
あまり遅いので、その車の後に、1台、2台、3台と車がしだいに数珠つなぎになっていきました。少なくとも8台くらいの車が、おばあさんが渡るのを待っていたと思います。

おばあさんはゆっくり歩いて横断歩道を渡りきりましたが、車が何台もおばあさんを待っていたことも知らず、気づかずに、歩道をゆっくり歩いていきます。

おばあさんが渡り切って、待ちかねたように、何台もの車が交差点を横切って走っていきました。

おばあさんは横断歩道を渡るのに、8台ほどの車が待っていたというのは、その車の中に、平均2人の人が乗っていれば、約16人の人が、おばあさんのために待っていたことになります。

横断歩道だから当然だといえば、それまでですが、おばあさんは16人の人の支えがあって、横断歩道を渡れたのです。

そのことをおそらく、おばあさんは知りません。

支えられて生きる、という言葉がありますが、横断歩道を渡る、この一つのことでも、多くの人に支えられ、私たちは渡っているのです。

しかし、この事実をいつも理解して暮らしているというのは、難しいことです。

知らないところで、見えないところで、多くの物や人に支えられていることを知ることが大切です。

そしてそれをよく知って、感謝の思いを常に抱いて生きている人が、徳ある人であると思うのです。

そして支えられているからこそ、私自身が支える側に立って生きていくことも大切な気づきです。