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みにミニ法話

(107)「天のほほえみ」

『孟子』という中国の古典の中に、次のような言葉が出てきます。

天が重大な任務を人に与えようとするときは、
必ず、その人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、
その肉体を飢え苦しませ、その行動を失敗させ、意図を食い違うようさせる。

これは天が、その人の能力のないところをできるようにさせる試練である

 『歴史の活力』宮城谷昌光

意味深い言葉であると思います。

「天が重大な任務を人に与えようとするとき」とありますが、大きな視点から考えると、私たちがこの世に生まれてきたことそのものが、天から重大な任務を与えられてきたと考えられます。

一生のうちには苦しいことや悲しいこと、また辛いことや病気になることもあります。それらのことはみな、人の精神を磨かせ、特に自分の能力のないところを気づかせ、さらには生きる力を育てようと、天が意図的にくださっている試練であるといえるかもしれません。

自分に与えられた試練が天から与えられたものであると考えるのには、少し時間がかかるかもしれませんが、もしその試練を乗り越えて、そのなかに学びや教訓をつかみとれば、その辛い試練が、黄金に変わるときがくるのです。そう信じて生きている人は、きっと力強い人生を歩むことができると思います。

以前、ソルトレイクシティーで行われた冬季オリンピックのとき、スピードスケートで銀メダルを取った清水選手が、腰痛のため注射を打って試合にのぞみました。さぞ痛かったでありましょう。

でも清水選手はこの体験から、「あきらめることは無意味である」ということを学んだといいます。腰痛という試練と闘い、そのなかからこの言葉を教訓として学びとったのです。

天はさまざまな試練を私たちに与えることでしょう。そのなかで不平をいうのでなくて、何かを学び取ったとき、きっと天は、ほほえんで私たちを見てくださるでしょう。