ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(105)「遺訓を学ぶ」

伊達政宗の遺訓があります。

気ながく、心穏やかにして、よろずに倹約を用い、金を備うべし。

倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。

この世に客に来たと思えば、何の苦もなし。

朝夕の食事は、うまからずとも誉(ほ)めて食うべし。

元来、客の身なれば、好き嫌いは申されまい。

今日の行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇(おいとま)申すがよい

考える視点が非常におもしろいと思います。気がながく、倹約をし、お金を貯蓄しなさい。そのために、この世にあの世からお客にきたと思い、普段の不自由な生活を忍んで暮らしなさい。そう説いています。

「この世にお客にきたと思えば、何の苦しみもない」といっているところは卓見です。

仏教的に解釈すれば、お金を備えるが、徳を備えるになるかもしれません。徳を備える、言い換えれば徳を積むになりますが、この世に客に来たと思えば、怒りや不平不満、わがままも抑えられ、徳を積めそうな気もします。

知人の家に招かれていくと、家でしているように、ステテコになってねっころがることもできません。出された食事も、まずいとかしょっぱいとかいう文句もいえません。

それなりに言葉を選び、身を慎んで、お客様でいるでしょう。帰るときには、「お邪魔しました」とか「お招きいただき、ありがとうございました」とかお礼の言葉をいって、失礼するでしょう。

このように、この世にもお客に来たのだと思えば、常に襟を正し、相手の事を気づかいながら暮らすことができます。そう生きていくことで、少しずつ徳が積まれていくのです。

やがてお迎えが来たならば、この世で積んだ徳をお土産にして、まわりの人に「ありがとう」とお礼をし、すみやかに去っていくことが大事です。

この世という家にいつまでもとらわれていていないよう、普段から心がけていることです。この世は仮の世なのですから・・・。