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みにミニ法話

(99)「尊敬される老人」

お釈迦さまの教えのなかに、

 頭髪が白くなったからとて長老なのではない。
ただ、年をとっただけなら空しい老いぼれた人である。

という言葉があります。

一般に年を取ってくると、髪の毛が白くなってきて、まわりの人たちが自分より年下になり、子どものように見えることがあります。
そんなとき年上だから私のほうが偉いような、そんな気持ちになります。実際に年が一つ二つ上なら「私のほうがお兄(姉)さんだ」といったような、そんな雰囲気もあります。

でもただ単に年を取っただけならば、空しい老いぼれた人となるだけであると、お釈迦さまは警告しています。

そこで年を重ねるとともに、尊敬される生き方をお釈迦さまは次のように示されているのです。

 誠あり、慈しみがあって、傷(そこ)なわず、
つつしみあり、自ら調え、汚れを除き、
気をつけている人こそ、長老と呼ばれる。

ここには長老となる七つの項目が挙げられています。誠実で、慈しみの心あり、 自らも他の人をも傷つけず、慎みあって、自らを調え、心は汚れを除いて清らかに、そのような人となろうと常に気をつけ生活している人が、 年を経て、長老、すなわち尊敬に値する老人になれるのだ、と言っています。

この七項目すべてを実践していくことは難しいことですから、たとえば第1番目の「誠あり」であれば、 誠実に生きているかを常に気をつけて生きるだけでも、長老に近づいていくはずです。

最後の「気をつけて」は、前の教えのすべてに掛かってきますから、自分が成し遂げようとする項目を、気をつけてこなしていくことが大切なのです。

みんな三度の食事をして身体に栄養を取りますが、心の食事と心がけ、気をつけて、これらの教えを実践していくことが必要です。

やがて長老という風格が、身体全体に現れてくることでしょう。