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みにミニ法話

(96)「与えきりの世界」

賢者の言葉に、

他人に何かをしてあげるには与えきりにして、それを忘れる。
逆にしてもらったことは長く覚えておき、感謝していく。

という教えがあります。
あたりまえのことですが、これを実践することは、とても難しいことです。

相手に一生懸命何かをしてあげて、相手はそれに対して何の感謝もしないし、恩を返そうともしない。 そのときあなたはどう感じるでしょう。

「こんなにしてあげたのに、何のお礼の言葉もない」と思う。そして心の中が苛立つ。 そうであるならば、自分の幸福感を相手に感謝されることで決めているといっていいのです。
相手の善意のお返しをもらって、初めて満足する自分であると知らなくてはならないわけです。

これは自分の幸せを相手の評価によって決めているといえるのです。 あるいは相手の善意や幸せを返してもらって満足できる程度の善意や幸せしか、自分は持っていないということなのです。

「おはよう」といって、相手が返してくれない。それでもいいと思える。食事を作っても相手は「おいしい」とも言わない。 それでいいと思う。

道を教えてあげて「ありがとう」も言わずに去っていった。それでも相手の幸せのためになったと思える。

こんな自分を築いていくべきなのです。

自分がした善意は少しも減りません。なくなることもありません。
逆に「こんなにしてあげたのに、何のお返しもない」と思ったとき、 自分のした善なる行為は、泡(あわ)となって消えていってしまうと思ったほうがよいでしょう。

相手にしてあげることは、それ自体尊いことなのです。そのしてあげた行為を、
きっと大いなる存在が見てくださっていて、いつかその存在から、それに見合った見返りをいただけるのです。

与えきりの実践は極めて難しいことですが、菩薩と言われる人びとは、それを実際に行って、社会の平和に貢献してきた人たちなのです。