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法話

人生観を高めるために 4 人間観察から学ぶこと

先月は「人生を省みる」ということと、
「人生において、何に価値があるのか」というテーマで、
人生観について考えてみました。

そこでの最後に、自分のまわりにあるすべてのものを、
価値あるものに変えていくという言葉で終わりましたが、
少しでも、そんな思いで生きていくことが大切なわけです。
続きのお話をいたします。

価値観が違う相手

この話は平成26年にさせていただいたのですが、
当時、あるタレントの人が離婚して、
その感想を報道で聞いたことがありました。

それによると
「一人になって、何の束縛もなく、こんな自由な日々はない」。
そんなコメントでした。

夫婦でいれば考え方や生活の仕方も違い、
それに合わせて生きるというのは大変なことでしょう。
そこに子どもが産まれ、さらに姑さんや舅さんがいれば、
もっと人間関係が複雑になって、
自分の思うようには事が進まないことが多くなります。
でも、誰もいない島で、一人で生きていくのは自由かもしれませんが、
この世での修行ができません。

あの世は同じ考えを持った人たちが集う世界です。
(拙著『精いっぱい生きよう そしてあの世も信じよう』の190項に詳しい。
この本は電子書籍にもなっている)

たとえば怒りの人が集う修羅(しゅら)の世界があります。
また善人の集う世界もあります。怒りの人が善人の世界に行くことはできません。

天の世界には五衰(ごすい)といって、
そこに長くいると生き方や考え方が衰えてくるので、
この世に生まれて修行するという考えがあります。
同じ考えの人が同じ場所に長く集っていると、学びが少なくなってくるのです。

そんな世界と違って、この世はさまざまな人が集う世界です。
生まれてくる時には、赤ちゃんとしてきれいな心を持っているのですが、
大きくなるにつれてこの世の悪なる波に心を左右され、
その悪に流され、悪なる道に入ってしまう人、
そうではなくて徳を培う場にしてしまう人、さまざまです。

そんなさまざまな人が集っているこの世で、
たくさんの人と触れ合っていくのはとても学びになるのです。

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、
45人を殺傷した29才の男の初公判が、この1月8日に行われました。
被告は「障がい者は、意思疎通ができない。いらない。殺す」と考え、
犯行に至ったようです。

障がいがあっても家族の人にとっては、かけがいのない人ですし、
その方々を介護する人も、そこから多くの学びを積み、
互いが理解し合いながら、多くを学び取っているのです。

お釈迦様がこの世は濁世であると言われました。
私たちにとって、生きにくい世であるかもしれません。
でも、幸せなときもたくさんあります。

そんな日がずっと続けばよいでのすが、苦難のときも多々あります。
その苦楽の波の中でどう生き、人がらを深めていくかが、
私たちの生まれてきた課題でもあるのです。

風にゆれる花

人それぞれの生き方は、その人だけしか歩めない人生ですが、
そんな人からたくさんのことを学ぶことができます。

たとえば『女優浅丘ルリ子 咲きつづける』(主婦の友社)
という本が出ました。
その本から、まったく違った世界に住む、
浅丘さんの生き方を学ぶことができます。

浅丘さんが中学2年の時、
映画「緑はるかに」という映画のオーディションに、
お父さんの知人である方が応募したといいます。

そのことを浅丘さんは知らなかったようです。
応募者が3000人もいたので、ダメだろうとあきらめていました。
浅丘さんは友達から借りた古いセーラー服を着、
お洒落な洋服に身を包んだ女の子たちの間に身をすくめていました。
でも、その中から選ばれたのです。

浅丘さんを選んだのが、
画家でありファッションデザイナーでもあった中原純一という先生でした。
後日、先生が
「控室にいた少女がちらっとこちらを向いた。
引き込まれるような大きい黒い瞳。
一瞬で心を奪われた。絶対彼女(浅丘ルリ子)に決めた」
と教えてくれたといいます。

その先生が書かれた言葉を、この本に引用しています。
そのまま載せてみます。

もしこの世の中に、風にゆれる『花』がなかったら、
人の心はもっともっと、荒(すさ)んでいたかもしれない。

もしこの世の中に『色』がなかったら、
人々の人生観まで変わっていたかもしれない。
もしこの世に、『小鳥』が歌わなかったら、
人は微笑むことを知らなかったかもしれない。

もしこの世に『音楽』がなかったら、
このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。
もしこの世に『詩』がなかったら、人は美しい言葉を知らないままで死んでいく。
もしこの世に『信じる』ことがなかったら、一日として安心してはいられない。
もしこの世に『思いやり』がなかったら、淋しくて、とても生きてはいられない。
もしこの世に『愛する心』がなかったなら、人間は誰でも孤独です。

味わい深い詩的表現だと思います。
人生の中でも出会いは不思議なものです。
その出会いをどう活かしていくかにあります。

浅丘さんは中原先生に出会い、
女優としての道を見出していただき、
そして、こんな素敵な言葉に出会ったのです。
そして、年齢を重ねて自らの生きる心がけとして、こう記しています。

そうして、こうも書いています。

心がけているのは、きちんと正しく生活をしようということ。
そして、嬉しいことがあったら、感謝の気持ちを相手に素直に伝えようということ。

神様にも「こんな素敵なことしていただいて、ありがとう」
と声を出してお礼を言うことにしています。

華やかな世界にいても、謙虚さを失わないその生き方に尊さを思います。相手の生き方から多くを学ぶのです。

家庭の中でのこと

家庭の場ではどうでしょう。

家族は共に協力し、幸せを培っていくのがよいのですが、
互いの主張を言い合い、その主張がお互い受け入れられずに、
家族が崩壊していく。そんな場合も多々でてきます。

ある週刊誌(「週刊現代」2014年3月22日)に、
「老いた親の捨て方」というテーマで記事が載っていました。

「親を捨てるか、妻を捨てるか」というそんな見出しもありました。
この中で69才の男性の介護の様子が書かれていました。
この男性が15年ほど前、実の母が認知症になり、
妻の協力をお願いし、母と同居したのです。

仕事を持つ男性は、妻に介護を任せきりにし、
それから6年ほどして、定年になりました。
それを機会に、妻が母を施設に預けてほしいと
夫であるこの男性にお願いしました。

母の認知症がひどくなり、
「お金を盗んだだろう」とか「死ね」という言葉を
母が妻に言うようになったのです。
二人の娘たちも、介護の辛さを見てきて、
「お父さんがいけない」と主張します。

男性は、今まで育ててきてくれた母を
施設に預ける(捨てる)ことには、とても罪悪感を感じ、
妻の意見を聞き入れず、その結果、
妻も娘たちも家を出て行ってしまいました。

一人になった男性は、
それから2年、母の介護をするのですが、
介護がどれほど大変なのかをやっと理解し、
施設に預けることにしました。

それから5年ほどして母が亡くなりました。
後に残ったのは一人になった男性の
「何故もっと妻と向き合わなかったのか」という反省でした。

介護においても支援をしてくれる施設や、
それに携わっている専門の方々がおられます。
それらの人の意見を聞いて支えてもらったり、
もっと妻に寄り添う生き方をすべきでした。

多くを失って、大切なものに気づく。
できれば失う前に気づけば、と思います。
人生は互いが理解し支え合って、強く生きていけるのです。

相手の考えや思いを、心を素直にしてよく観察し、
大切なことを学び取っていくことです。
そこに人生を切り拓いていく術(すべ)が得られると思われます。

人生観を高めるために 5 精神的な生き方

人がらを育てるもの

この世で食べていくために、働かなくてはなりません。

働いて得たお金で、家を建てたり、日々の食事をしたり、
車を買い、服を買い、時には旅行などして
無事に過ごしていきたいと思います。

これらの事ごとは、生きていくために必要なことで、
さらに豊かになっていくことは悪ではありません。

でも、人の心をつくっていくもの、
人間としての人がらを深くしていくものは、
目に見える豊かさのみでなく、
優しさであり、思いやりであり、慈しみの思いです。
それは目に見えない精神的なものですが、とても大切なものです。

釈尊は慈悲を説き、イエスは愛、孔子は仁なる思いやりの心、
そしてソクラテスはよく生きることを説きました。
そして、その精神的な生き方を伝え忘れないようにと、
お寺とか教会のような伽藍が出来てきたのです。

少し難しい表現になりますが、
相手を慈しむこと、愛すること、思いやり深いこと、
よく生きるという人がらに、身体という伽藍があるのです。
身体という伽藍を健康に保つことは大切ですが、
さらに、その身体に重なっている人がらを、
どう育てていくかがとても大切なことなのです。

精神を高める言葉を持つ

身体に食事が必要なように、心にも食事がいります。

心の食事は、この『法愛』もそうですが、
もっと簡単に取れる心の食事は、精神を高める言葉を持つということです。

前述した浅丘ルリ子さんの先生であった中原さんの言葉もそうですし、
浅丘さんの年齢を重ねて、自ら心がける生き方の言葉をそうです。

こんな投書を見つけました。
51才の男性で「祖母の教え納得」という題です。
ここにも祖母からいただいた大切な生きる言葉があります。

「祖母の教え納得

数年前に96歳で亡くなった祖母はよく、
「おまえが人にしたことは、
いいことも悪いことも倍になって返ってくるんだよ」
と言っていた。

昨年の流行語になった「倍返し」を、
ずっと前から聞かされて育った。

小さい頃、誕生日にプレゼントを贈った友達が、
私の誕生日には何もくれずふくれていた。

祖母は
「いいんだよ。
お返しはあげた人だけから返ってくるものではないから」
と言った。

当時はよく分からなかったが、いろいろ経験したこの年になると、
世の中はそういうものだと納得がいく。祖母の教えに感謝している。

(読売新聞 平成26年3月9日付)

石を礼拝する意味

精神的な生き方で、とても大切なことが、
信じるということです。

ある新聞に、「探訪 古き仏たち」のシリーズで、
薬師寺の大講堂にある仏足石(ぶっそくせき)のことが載っていました。

お釈迦様が亡くなり、
亡くなった当時は畏れおおいという思いがあって、
500年ほど仏像は作られませんでした。

それに代わるものとして、
仏の足の裏に仏の教えを象徴する車輪の形をした
「千輻輪相」(せんぷくりんそう)を刻み込み、
その石を仏として礼拝したのです。

薬師寺にある仏足石は国宝になっていますが、
インドの仏足石図をもとに奈良時代に造られた
と銘に記されているようです。

ただの石に足の裏が刻まれている、
その石を信仰の対象として礼拝できるか、です。

この仏足石の近くに仏足石歌碑が立っていて、
仏の足跡をたたえる歌が21首あるのです。

その17番目はこんな短歌です。万葉仮名で書かれ
ているようで、それを現代の仮名を交えて載せてみます。

大御足跡 見に来る人の 去にし方
千代の罪さへ 滅ぶとぞ言う 除くとぞ聞く

(朝日新聞 平成26年3月22日付「探訪 古き仏たち」)

仮名で書くと
「おほみあと みにくるひとの いにしかた
ちよのつみさへ ほろぶぞという のぞくとぞきく」
になります。

意味は、
「この石を見にきて礼拝すれば、
ずっと昔から犯してきてしまった罪が消えていく、除かれていく」
となりましょう。

昔の人は石に刻まれた仏の足の裏を拝むことで、
犯してきた罪が消えてしまうと信じたのです。

今でも野にたたずむお地蔵様や観音様の石の像を見てお参りし、
心が洗われた気持ちになるときがあります。
ただの石ですが、そこに精神的な尊い思い、
信心の思いがあると、知らず手を合わせ礼拝します。

人生観の中に、こんな精神的な思いを大切にすることで、
人がらがさらに深まっていき、必ず、幸せを得るのです。