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法話

富める心のしぐさ 2 富める心と貧しい心のしぐさ

先月は「生きるための根本」ということで、富める心のしぐさのお話を致しました。
心の中でどのような思いでいるかで日ごろの「しぐさ」が違ってくるので、
生きる根本の意味を知っていることが大切である、というお話でした。

さまざまな、いがみ合いのしぐさ

人間関係でさまざまな「しぐさ」がでてきます。
夫婦や親子の関係、嫁と姑、あるいは仕事関係の人や隣人との関係など、
ちょっとしたしぐさで幸不幸が分かれていきます。

その中で「貧しい心のしぐさと」して考えられるのが「いがみ合い」のしぐさです。
しぐさと言っていいのかわかりませんが、そこからさまざまな行動が出てくるのです。

ある雑誌(『婦人公論』 2013年7月22日号)に、
「妻はひややかに見ている ダンナ生体図鑑」という見出しで、
読者のアンケート結果をまとめたものが掲載されていました。

162の女性の夫に対する不満をアンケートしたもので、回答書の内訳は、
平均年齢が51.4歳。夫の平均年齢54.1、結婚年数平均24.5歳です。
その不満はいつからという質問では、結婚してすぐという女性が76%とあります。
夫婦で共に暮らすというのは大変なことのようです。

夫への不満という質問で、ベスト3は、
1、人の話を聞いていない。
2、偉そう。あらゆることに否定的。
3、デリカシーのない発言。

私(これを書いている人)にも当てはまるところも多々あって、
反省させられますね。

「夫に心底うんざりするとき」では、たくさんの事例が載っています。
今回のテーマの「富める心のしぐさ」から言えば、
「夫にうんざりするしぐさ」とも言い換えられるかもしれません。
少し載せてみます。

飲み物を飲むとき、必ず小指をたてる(51歳・主婦)
使ったつまようじをためる(49歳・自営業)
足の爪を切ってはにおいを嗅いで、口に入れてカミカミ(56歳・パート)
やたらメモる(53歳・美容師)
「妻の代りはいるけれど、ビールの代りはない」と言った(63歳・主婦)

「夫への仕返し憂さ晴らし」では、こんな奥様のしぐさが載っています。

草むしり(43歳・介護師)やオカリナを吹く(68歳・牛乳販売業)などは、
よいしぐさに入るかもしれません。
こんな女性もいます。
話さない、世話をしない、何もしない(51歳・パート)や、
水回りを夫の歯ブラシで磨く(42歳・事務職)、
お酒を薄めて出す(62歳・経理職)。
それからもう一つ、自分だけは美味しいものを、
夫には賞味期限切れのものを(37歳・主婦)

さまざまないがみ合いのしぐさです。

つまらないことでしぐさの混乱

これらの夫婦の関係から出るしぐさは、まだ家庭内でおさまるものですが、
ちょっとしたことで、しぐさが混乱して、相手を傷つけてしまうことがあるのです。

少し古くなりますが、平成23年に寄せられた
近隣、職場、家庭のトラブルで警察に寄せられた相談件数は、
16万6千件あったといいます。

東京世田谷で(平成24年10月10日)、殺人立てこもり事件がありました。
82才の元警官が62才の女性を殺害したのです。
この男性と女性は他人ですが近くに住んでいました。
女性は花が好きで、道路にはみ出すほど鉢植えを置いたり、
野良猫にエサや水をやるためのお皿を道路に置いて道をふさいだり、
花に水やりをしているとき、この男性に水をかけてしまったりしました。
水をかけてしまったときには、
男性は日本刀を持って切りつけたこともあったようです。
些細なことで、この男性は心をいらいらさせ、
あげくのはてに、この女性を殺してしまったのです。

あるいは布団をたたく音がうるさく
ほこりが舞ってくると憤った80才の男性が、
相手を傷つけてしまった事件。

電動かんなの大工作業の音がうるさいと言って、
40才の男性が相手を刺してしまった事件。

アパートのドアの開け閉めがうるさいと59才の男性が、
住民や大屋さんを刺してしまった事件。

みなつまらないことで腹を立て、
してはいけない「しぐさ」で、相手を傷つけてしまったのです。

これらのしぐさに至った心の思いは、
「短気であり、忍耐力がなく、自分のことばかり考えて相手の気持ちを察しない」、
そんな心の貧しさからきていることが分かります。

うかつ謝りと、へりくだりしぐさ

先月号で紹介した『おもいやりの心 江戸のしぐさ』※の中に、
「うかつ謝り」というしぐさがあります。
このしぐさは、足を踏まれたほうが、
「うっかりしていました」と先に誤ってしまうというしぐさです。
※他に、『江戸のしぐさ』朝日新聞、『江戸のしぐさ完全理解』三五館などがある

普通は足を踏んだ人のほうが悪く、
「今足を踏んだ謝れ」と言いたくなるものです。
それが踏まれた人が謝るのです。

なぜなら、こんなつまらないことで喧嘩をし、
いがみ合っても何の得もないし、
誤ってしまったほうが、気持ちよく別れられるからです。

この心の思いは短気というよりも腹を立てず、
気が長くてがまん強く、相手のことを考えている。
そんな思いから来ています。富める心のしぐさと言ってもいいかもしれません。

伊那谷には天竜川が流れています。
天竜川の川幅が狭くなったところに赤い橋がかけられていて、
その橋の幅も、車一台が通れるほどの狭さです。
よく皆が使う橋で、お互い譲(ゆず)りながら渡れば何の不安もない橋です。

ある時、車を走らせてその橋を渡ろうとすると、
その橋のたもとで喧嘩をしている二人の男性がいました。
二人は橋の上に車をとめ、わざわざ車から降りて言い争いをしているのです。

話を聞いていると、
「俺のほうが先に渡ろうとした。しかしお前がそれを無視して渡ってしまった」
というような喧嘩だと思います。殴り合いになるくらいの喧嘩です。
その橋を渡ろうとする車が何台も数珠繋がりになるのを見て、
両者は和解したのか喧嘩をやめて車に戻り、何とかその橋を渡ることができました。

互いがうかつ謝りのしぐさをすれば、
何事もなくスムーズにその橋を渡れるのにと思ったものでした。
その時から、その橋の名を「ゆずり橋」と、私は呼ぶようになりました。

もうひとつ、「へりくだりしぐさ」というのがあるそうです。
これはお付き合いする相手によって態度を変えない、というしぐさです。
どんな相手でも知ったかぶりや出しゃばったりしないのです。

なかなか実践するのは難しいことです。
偉い人に尊敬の念を持つことはよいのですが、
ただへこへこと頭を下げたり、自分より下の人には偉そうにする。
知ってもいないのに、知っているように振る舞ったり、知らないと馬鹿にする。
そんなしぐさでなく、相手をいつも尊い存在と思い、接していくというしぐさです。
このしぐさもずいぶん富める心のしぐさといえます。

あたりまえのしぐさ

日々の暮らしで陥ってしまうことは、あたりまえという思いです。
あたりまえと強く思っていなくても、物を粗末に扱ってしまうことがあります。
夫婦について先にお話ししましたが、こんな短歌もあります。

君なくして酒代記さぬ家計簿は いかに淋しきものとかを知る

鈴木りえ 歌文集『夕映えの湖(うみ)』より

夫がいるときには、いることさえ邪魔で、
いることがあたりまえとも思っていたのが、
先に亡くなってしまうと、とても淋しいと感じる。
その淋しさを上手く表現して歌っています。
できるならば生きているときに、もっと感謝していればという、
そんな思いも伝わってくる歌です。

江戸のしぐさの中に「もったい大事」というのがあります。
そこには浴衣が、やがて洗剤になると書かれています。
物を大事に使うことを戒めたしぐさです。

浴衣が一枚あります。それをありがたく着させていただいて、
古くなって着られなくなったら、捨てるのではなく、赤ちゃんのオムツにします。
そのオムツが古くなって使えなくなったら、雑巾にします。
その雑巾が使えなくなったら、火で燃やし灰にします。
その灰を水に溶(と)かすと洗剤になるのです。肥料にもなったといいます。

浴衣一枚でも、その浴衣に感謝し、最後まで無駄なく使う。
そんな精神が富める心のしぐさといえます。

旅立ちのしぐさ

人はみな死んでいきます。
その時に、その人の一生のしぐさが現れるような気がします。

みんなが涙して葬儀を出し浄土の世界に送ってくれる人、そう送ってあげる人。
あるいは死んだらそれでおしまいと考え、お経も上げないで火葬し、
墓地に埋葬すればよいほうで、海にお骨を撒いて終わりにする人、そうされる人。

この場合、きつい言い方かもしれませんが、
私は海に骨を捨てるという表現をします。愚かなしぐさのような気がしています。

お経もあげないで、病院から火葬して埋葬する。
これを直葬(ちょくそう)といい、
昔「仏事の心構え」というコーナーでお話ししたことがあります。
(平成21年12月から平成22年6月、7回に渡って話す)

この時は人事(ひとごと)のように、冷静に分析しながら書いたのですが、
自分のお寺で、そんな人が現れるとは夢にも思いませんでした。
お通夜も葬儀もしないで、病院から業者のホールへ、そして火葬して墓地へ。
後にこのことを知って、貧しい心のしぐさを嘆きました。

後日、心ある親戚にあたるご夫婦がお寺に来られ、
「心に重いものを感じ、夜も眠れない。葬儀を出させてほしい」
と、お願いに来られました。その時は、人の大切な心、富める心を感じました。

そして後日、枕経から、葬儀の儀式をていねいにして、
墓地でお経をあげて、亡き方をお送り致しました。
ただ、このような場合、亡き霊が私のところに救いの手を伸ばしてくるので、
和尚としては大変な重荷になるのです。

葬儀の場でも、送る人も送られる人も、
富める心と貧しい心の、旅立のしぐさが現れ出るのです。

お別れのしぐさ

今年7回忌を迎える女性の方がいて、どんなお話をしようかと思い、
葬儀でお話したものを、今一度読み返してみました。

そこには亡くなった方の旅立っていくしぐさが現れていて、
よく生きられたのだなあという思いがしました。
そのお話をここに載せてみます。
富める心の姿だと思います。

ここに〇〇さんは、数えで99年の生涯を閉じられました。
約1世紀の間、〇〇さんなりに多くの体験を積まれ生きてきました。

長い人生の中には別れの悲しみもありました。
思うようにならない苦しい出来事もたくさんありました。
それらの事ごとを、心強く受け止め、
自らに厳しく、他の人の責任にすることなく、
それらの苦難を乗り越えてきました。

そして幸せの日々は感謝の心を忘れず
「ありがとう」の言葉を投げかけ、明るく笑顔で生きてきました。

お寺のお経会にも長年通ってくださり、
共に護国寺の本堂でお経をあげました。
み仏様の前で心静かにお唱えする時間は、
きっと生きるエネルギーになったことでしょう。

仏様への信心が篤く、家でもお仏壇の前で日々お経をあげ、
先祖様を大切にしながら謙虚な日暮しをされていました。

また人を思う気持ちが深く、分かちあうことを自らの指針にしてきました。
それは仏様の教えそのもので、その生き方の中から徳を培い、
その徳ゆえに、家族の人からも大切にされ、
晩年も安心して毎日を暮らすことができました。

そんな徳の現れを、具体的に家族の皆さんが書いてくれました。

若いころ、自転車で会社に通い、大勢の人のご飯を作り、
ほがらかに元気に笑って、職場の人と話をしていました。

きびきびとしていて、いつもニコニコと笑顔を忘れないおばあちゃんでした。
「おはよう」「ありがとう」と、そんな言葉を当たり前のようにできる人でした。
働き者で、いつも背中を丸めた姿が目に浮かびます。

年末の心をこめて作ってくれたかす汁の味も忘れません。

自分に厳しく、人には優しく、「人の良い」人で、
自分が大変なときでも、自分のことはさておいて、人のことを心配し、
人様のために尽くす人でした。

苦労の絶えない日々でも、明るさと、ありがとうの言葉、
そして決して笑顔を忘れないおばあちゃんでした。

長い間ご苦労様でした。

私たちからも「ありがとう」と、心から感謝の思いをささげます。
気をつけて浄土の世界へ旅立ってください。

家族の皆さんのこのような〇〇さんへの思いをお読みすると、
普段の何気ない出来事のなかに、人を思い、分かちあう徳の姿が見えてきます。

そんな徳を、仏様に守られながら、あの世のお土産として持っていかれ、
先に帰られた親しい人と再会できますように願い、お別れの拝礼を致します。

とても尊い、富めるしぐさが現れていますね。

(つづく)


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