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法話

仏と共に歩む 1 共に歩むものたち

平成25年6月、護国寺において、
8か寺ほどのお寺さんの女性部のみなさんが130名ほど集まり研修会をしました。
その時のお話をまとめました。
6年ほど経っていますので、少し書き換えながら、お話しします。

お金と共に歩む

今回の「仏と共に歩む」という演題は、少し分かりにくいかもしれません。
仏とは何か。どのように一緒に歩いているのか。
そんな仏はどこにいらっしゃるのか。
すぐには答えが出せないのが正直なところです。
そこで、もっと身近なところから、「共に歩む」ということを考えてみたいと思います。

まず、「お金と共に歩む」というのはどうでしょう。
お金がなければ日々の暮らしが成り立っていきません。
その意味で、お金はとても大切なものです。

子どものおもちゃ売り場には、おもちゃのお金が売っています。
今でも、そのお金で子どもたちは、ままごとなどの遊びをしていますね。
普段から大人が使っているので、それを真似て使っているのでしょうが、
お金の本当の意味はわかっていないかもしれません。

私が小学生の頃のこと。お寺の裏山が竹林になっていて、
初夏のころになると、竹の皮が竹林の中に、あちらこちらにたくさん落ちます。
その竹の皮を業者さんが買いに来るのです。

親から「自分で竹の皮を集めてくれば、お小遣いにしていい」と言われ、
急な坂になっている竹林の中を、必死で歩いては竹の皮を集めました。
そんな竹の皮がお金になったのです。

ここで学んだことは、働くことで、お金がもらえるということです。
そして、そのお金で自分の好きなものを買える。
そんなことを学んだことがありました。

お金を得るために、働く。そして、そのお金で暮らしが成り立っていける。
別の言い方をすれば、汗水たらして働いて得た自分の「徳」が、
お金という形に変化して自分のところにやってきた、ともいえます。

お金と共に歩むためには、一生けん命働くこと。そんなことがわかります。

貧乏神と福の神

お金はないよりもあったほうがよいのですが、
お金がいつもないと言っている人には貧乏神がついているかもしれません。

貧乏神がつく3原則があります。
貧乏神がつく基本的な決まりという言い方は、おかしな言い方ですが。
3つ挙げてみます。「欲張り、ケチ、意地悪」。
この3つが、貧乏神がつく原則です。

逆に福の神がつく3原則は何でしょう。
「足ることを知る、分かちあう、親切」です。

『日本昔話』には、「こぶとり爺」や「舌きり雀」にみるように、
欲張りで、ケチで、意地悪なおじいさんやおばあさんが出てきます。
そんなおじいさんやおばあさんの財産は、ガラクタしか残りません。
このような生き方では、お金も嫌って、出て行ってしまい、
貧乏神が住みやすい家になるのです。

「笠地蔵」という有名なお話があります。
この「笠地蔵」にも、場面の違った、いろいろなお話がありますが、
その中で、次のような話があります。

年の暮れの雪の降る日に、おじいさんが町に笠を売りに行きました。
途中で、いつもお参りしている六地蔵様に会いました。
お地蔵様は、みな雪をかぶって寒そうです。

おじいさんはお地蔵様の前で立ち止まり、
「お地蔵様、さぞかしお寒いでしょう」と言いながら、
町に売りにいく笠を、お地蔵様の頭に雪を払いながらかぶせてあげました。

笠は五つしかありません。
困ったおじいさんは、自分のほおかぶりしていた手ぬぐいを
六番目のお地蔵様に同じように、ほおかぶりをさせてあげました。

家に帰り、お地蔵様のことをおばあさんに話すと
「おじいさん、いいことをしましたね。心があたたかくなってきました。
お正月は餅を買えないけれど、おかゆですごしましょう」
と、笑顔で答えます。

すると、その夜遅く六地蔵様たちが、
たくさんのお米ともち米を軒先に置いていきました。
それを見たおじいさんもおばあさんも手を合わせて、拝みました。

この「笠地蔵」のお話にでてくるおじいさんもおばあさんも、
福の神の3原則、「足ることを知り、分かちあい、親切」
という3つの思いを持っています。

働くことを惜しまず、日々の生き方の中に、
福の神に愛される「足ることを知り、分かちあい、親切でいる」こと。
この生き方がお金と共に歩んでいけ、
その結果、幸せな暮らしができるということです。

夫婦共に歩む

「夫婦共に歩む」ということを考えてみましょう。

3組に1組が離婚する、そんな世の中になってきました。
結納の時に「友志良賀」(ともしらが)という品を床の間に飾りますが、
この「友志良賀」は白い麻糸を包み、ともに白髪になるまで添い遂げるという意味で、
新郎が新婦の家を訪れたときに持っていったものです。

その思いを長年持ち続けることは難しいのでしょう。
現在では、この結納の儀式も簡略されてしまっているようです。

夫から妻にたいする思いを川柳にしたものがあります。
これは面白おかしく作ってあって、仲の良い現れかもしれません。

大型で非常に強い妻接近
ごめんねと犬には詫(わ)びる妻なのに
バラに似て妻も花散りトゲ多し

こんなユーモアのある夫婦であれば、
夫婦ともに仲良く日々を送っていることでしょう。

ある雑誌(『婦人公論』2017年6月13日)に、
女性が不調をもたらす原因となる家族の人は誰かというグラフが載っていました。
女性が1番家族のなかで不調をもたらす人は夫だそうです。全体の32.1%です。
2番目が子どもで24.5%。そして、実母、義母と続きます。

その中で60才の公務員の女性は、
「夫が定年退職をして毎日家にいるようになりストレスがたまり、
だるさと倦怠感に1年間悩まされた」
と語っています。

昔からよく言われていることは、
男性にとって離婚や離別は、早く死ぬ確率が高く、
女性は寿命の変化がないと言われています。

また、夫婦仲良く暮らすのが、お互いの寿命が延びるという結果がでています。
夫婦ともに手を取り合って暮らしていくのが、幸せなのです。

こんな詩があります。74才の男性の方が書かれた詩です。

「手」

老妻と朝の散歩
ねえ手をつないで
あゝいいよ
あなたってへたねえ
若い頃女の子の手も
握ったことないの
お前の手はでかいなあ
秋葉山の十能
でもその実用的な手が
家族を支えてきたのだ
帰宅するまで
ぎゅっと握りしめる

(産経新聞 平成30年11月19日付)

ここにでてくる秋葉山(あきばさん)は、静岡県にある神社で、
十能(じゅうのう)は炭を運ぶ道具です。

この神社には火の神が祀られていて、この神社に技術の向上と作業安全のために、
大きなスコップのような日本一の十能が奉納されていると言われています。
この詩では、それほど大きな手をたとえているのと、神様に奉納できる、
そんな尊い手であることも意味しているのかもしれません。

この詩で夫婦共に歩むためのヒントを考えれば、
一つに、手を繋ごうという相手を愛する思いと、
その思いに答えてぎゅっと握り返す思い。
もう一つは互いの苦労を知り、その苦労に感謝の思いを持っていること。
そんな二つの思いが、見えてきます。
この二つだけでも、夫婦が共に歩んでいける、尊い生き方だと思います。

健康と共に歩む

健康のことも少し考えてみます。

できることならば、いつまでも健康で元気でいたいものですが、
若くても事故に遭ったり、ましてや年を重ねていくと
老いという衣を纏わなくてはなりません。

その衣を纏うのがいやだといっても、
死が避けられないように、誰もが受けなければならない試練です。
老いてくると病気になりやすく、認知症という病とも戦わなくてはならなくなります。

前に挙げた雑誌の中に、
女性にとっての「年齢別・不調ランキング」が載っていました。
回答者数97人、平均年齢が63.7歳です。1位だけ載せてみます。

40代は、肩こり・四十肩。
50代は、頻尿・尿漏れ。
60代は、腰痛・目のトラブル。
70代は、五十肩・膝痛(ひざのいたみ)・足のしびれ。

いくら健康を保とうと思っても、
老いてくると、身体のあちこちに故障がでてくるものです。
そんなとき、精神的な安らぎを得られるのが、人と人とのつながりです。

認知症に関してですが、家族と同居している人、あるいは一人暮らしであっても、
友人や子どもたちが1週間に1度訪ねてきて楽しい話をする人は、
認知症の発生率は1000人のうち、わずか20人だそうです。
家族や友との交わりがいかに健康に影響してくるかが分かります。

認知症を改善するために、「音読と単純計算」を行っている老人ホームもあるようです。
新聞や本を声を出して読む。簡単な計算をして、頭をリフレッシュする、とうことです。
すると、自分で排尿ができなかった人が、1週間で尿意を訴え、
オムツを着けていた人の3割が、オムツが取れたそうです。

ですから健康でありたいならば、適度な運動と食事。
老いの衣を纏うようになれば、本を読んだり、単純な計算をしたり、友と交わること。
そしてあたたかな家族の人たち包まれることです。

そのために、やはり日頃から、家族との和を作り、
笑顔で語りあえる家庭を築いていることが重要でしょう。
これが健康と共に歩む方法です。

心の健康と共に歩む

心の健康についても考えてみます。

心の健康はあまり話題になりません。
今回のテーマの「仏と共に歩む」は、この心の健康についての生き方になります。

健康で、日々働いたり、運動したりすればお腹がすきます。
ですから、何かお腹にたまるものを食べたいと思うようになります。
でも、です。心のお腹がすいたというのは、あまり聞かないのです。

よく私がお話ししているのですが、心も食べ物を欲しているということです。
心はご飯とかお味噌汁をいただくわけではありません。何をいただくかというと、
どう生きれば幸せに暮らせるかという教えを食事としていただくのです。

身体の方は自然にお腹がすくので、食べたいと思うのですが、
心のほうはお腹がすいたという感覚がないので、
心の食べ物である教えを取ろうと思いません。

何か苦しい出来事があったり、悲しい出来事があって、生きるのが辛いと思った時、
やっと心に元気のつく生き方はないだろうかと探しもがくのです。
それでは遅いので、身体への食事を取っているように、定期的に教えを学び、
心の健康に気をつけていることが大事になるのです。

心の健康は心の豊かさに通じていきます。
苦しみを乗り越え、本当の幸せを得るためのものです。
ですから、心の健康と共に人生を歩むことは、とても大切なことなのです。

ここで、もう一つ詩を紹介します。
作者の年齢は60才。男性の方です。「言葉と人生」という題です。

「言葉と人生」

思いやりのある言葉と
思いやりのある言葉が
響き合って
喜びが十倍になる
汚い言葉と
汚い言葉が
ぶつかり合って
怒り 悲しみが
マイナス十倍になる

言葉と言葉が
手をつないで
スキップする
そんな心豊かな
人生にしたいね

(産経新聞 平成29年2月25日付)

思いやりの言葉と思いやりの言葉が、互いの心に響き合って、
喜びが十倍になり心を豊かにしていくと書いています。

では、どう日々思いやりの言葉が出るように、心を健康に保っていけばよいのでしょう。
そんなことを「仏と共に歩む」というテーマで、次回、考えていきたいと思います。

仏と共に歩むことが、苦難を乗り越え、心豊かに幸せになっていける。
そんな学びをしていきます。

(つづく)