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法話

少しの幸せと喜びを

今月は「少しの幸せと喜びを」というテーマでお話を致します。

このお話は、平成25年3月2日、護国寺の女性部の理事会の会合の前に、
理事のみなさんにお話ししたものです。
少し書き換えながら進めていきます。

小さな幸せをみつける

料理でも少しのお塩を入れることで、ずいぶん味が深くなり、
料理が美味しくなるときがあります。

それと同じように、
私たちの毎日の生活のなかで、小さな幸せを見つけ、
その幸せを心のなかに静かに入れていくと、生きる力が増してきて、
さらに幸せに暮らしていける。そんなことがあるのです。

それをたくさんの幸せが欲しいと思い、
この幸せでは足りない、隣の家のほうが私の家より、
もっと幸せそうに見える。
そう思うと、今ある幸せが見えなくなって、
やがて苦しみの多い日々を送らなくてはならなくなります。

料理でも、もっとお砂糖を入れれば甘く美味しくなると思って、
たくさんのお砂糖を料理のなかに入れると、
やがて食べられない料理になってしまいます。それと同じです。

私がまだ子供の頃、こんなことがありました。
近くに菓子店があって、そこでパンやお饅頭、駄菓子などを売っていました。

特にパンのなかでアンパンが美味しくて、
時々母がおやつにと買ってきて、食べさせてくれました。
そのアンパンも一袋の中に直径が7センチほどのパンが4つ入っていて、
それを兄弟4人で1つずつ分けて食べたのです。

食欲のある小学生のころです。
そのアンパンを4つ全部食べたくてたまらない、
そんな想い出があります。

大人になって自由にパンを買える頃には、もう4つも食べられなくて、
昔の小さな頃のことを懐かしく思い返すのです。

あのときは、小さな1つのアンパンでしたが、
それを食べたときの幸せが今も生きる力になっています。

小さな幸せに気づかない

今日の空は美しい。それだけで幸せ。
小鳥たちのさえずりがほほえましい。それだけで嬉しい。
そんな境地を得ていると、いつも幸せでいられます。

忙しくて生活に追われていると、
そんな些細(ささい)なことを幸せと思う心の余裕もなくなってしまいます。

ある川柳に、
不幸だね幸せなのに気づかない
というものがありました。

自分は不幸だと思っているのですが、他の人が見ると、
「あんなに恵まれているのに不幸だと言っている。
もっと身近な事ごとのなかに幸せを見つければ、
あんなに幸せな人はいないのに・・・」
不幸だと思っている人に、周りの人はこのように感じているかもしれません。

こう考えると、人は不幸を見ることは得意なのですが、
幸せを見ることは不得手なのかもしれません。
あるいは不幸は目につきやすく、幸せは忘れがちなるともいえます。

歯が痛ければ、仕事も手につかなくなり、歯医者さんに行って治してもらいます。
治ると、しばらくは歯の痛みがないことはありがたいと思ってはいますが、
しばらくすれば、歯の痛みがないことは幸せだということを忘れてしまいます。

手に棘(とげ)がささって食器も洗えない、包丁も持てない。
そんな思いをすると、手が普通に使えることがありがたいことだと気づきます。
でも、棘が取れて手の痛みがなくなると、手が普通に使えるありがたさを忘れてしまいます。
どうも幸せを見ることは難しいようです。

そんななかで、少しでも幸せを見つけ、
それが生きる力になっていることを、
いつも心に置いておくことが大切になるのです。

多くを求めると幸せが見えなくなる

この『法愛』は今年で23年目になります。
この『法愛』ばかりでなく、テレホン法話は32年になり、
お話も録音を取って、それをCDにして、多くの方にお配りしています。

こんなにしているのだから、
「ありがたかった」というお返事が欲しいと思うと、
幸せが逃げていくのです。

たくさんの幸せが欲しいと思うと、幸せが逃げていくのです。

そんな中でも、時々、お返事をいただくことがあります。
駒ヶ根市に宅幼老所の亀群(かめむら)という施設があります。
そこの方々も、この『法愛』を読んだり、私のお話のCDを聞いています。

そこから、こんなFAXをいただきました。

いつも『法愛』を送っていただきありがとうございます。
また「伊那谷 生と死を考える会」の例会に
「心の栄養学」のCDとレジュメを使わせていただき、ありがとうございました。

一緒に聞いた会員の方々からも「よかった」と喜んでいただき、
まだ聞きたいとCDをお貸ししています。

亀群をご利用のおばあさんからも
「先月、ヘルパーさんが、
これ何?と『法愛』を見て、いいなーあと言ったので、
私は読んだのでいいよと、5月号と6月号をお渡ししました」
と伺いました。

少しずつやさしさが広がっていくといいなあと嬉しく思いました。

微力なお話や文章ですが、とても私にとってはありがたいことで、
この幸せが、お話を続ける力になっています。

多くを求めると、幸せが見えなくなります。
少しでいいのです。「お母さん」と呼ばれるだけで幸せ。
家族がいるだけで幸せ。元気で働ける、それだけで幸せ。
ありがとうと感謝できる、それが幸せ。
三度の食事をいただける。ああ幸せだ。
空がきれい。野仏様が微笑んでいる。花が笑っている。
野菜を育てられる。みんな幸せ。

そんな幸せの見つけ方をしていると、喜びが多くなり、
生きる力が増してきます。

苦労のなかの幸せ

こんな幸せのとらえ方もあります。

みんなから「幸せだね」と言われて、本当にそうかもしれないけれど、
「昔、苦労していた時の方が幸せだった」という人のお話です。
その人の生き方によって幸せの形も違ったものになるということです。

この投書は51才の女性が書かれたものです。
「母との会話」という題です。載せてみます。

「母との会話」

「私はね、このごろ思うんだよ」
「何を?」
「みんなが私のことを幸せものだって言うだけど・・・」
「90歳を迎え、みんなにそう言われるなんてすてきだよ」
「でもねえ、いまの自分が幸福だなんて、私はちっとも思えないのよ」
「どーして」
「どーしてって・・・。お前たちを必死で育てていたころが、
いまよりズッと幸せだったような気がしているんだよ」
「フーン、そう?」
「お前たち5人の子どもを懸命に育てていたあのころ、
私のことを幸せものだなんて言う人はだれもいなかった。
自分でも『私ぐらい運の悪い人はいない』と。
でも、過ぎてみると、あのころは
『この子どもたちを立派にそだてよう』という目標があった。
今日も明日も、その目標に向かって生きてきた。
人間ってさ、目標があって、それに向かって一生懸命生きる。
それが幸せって言うもんじゃないかなって・・・」

5年間の闘病の末に父が亡くなり、
残された5人の子を育てるのに髪を振り乱していた母。
あのころ、私は8歳、母は46歳だった。

その苦しい時代こそが「本当は幸福のときだった」という母。
もうすぐ卒寿を迎える母の言葉を、私は神様からの贈り物と感じている。

(毎日新聞 平成10年1月8日付)

こんな投書です。

90歳を迎えた母。おそらく日々幸せに暮らしているのでしょう。
しかし昔、髪を振り乱して子どもたちを育てていたころの方が幸せだというのです。

その生きる力は、子どもを立派に育てたいという、子を思う心です。
どう生きるかを考えるかで、幸せ感が違ってくることを思います。

投書を書いた娘さんは、母の言葉を「神様からの贈り物」と受け取っています。
幸せを見つけるには、どうすればよいかを、母から教えてもらったのです。

心の傷を、小さな幸せで治す

人はひとつの言葉で、心を傷つけるときがあります。
人の心はその意味で、傷つきやすいといえます。
そんな傷を、幸せという薬をぬって治していきます。

ある新聞(読売)に、
しゅうとめに「孫が自分になつかない。あんた(嫁)の育てかたが悪い」
とはっきり言われ、25年間、実家よりしゅうとめのほうを優先してきたのに、
しゅうとめにはもう優しくなれないという、そんな相談が載っていました。

旦那さんが、このことを電話でしゅうとめに話してくれて、
しゅうとめは「そんなことを言ったはずはない」と一点張り。
でも、娘さんたちは素直で明るく育ち、社会人として働いているという。

しゅうとめにきつい言葉を言われて、このお嫁さんは随分傷ついています。
その傷を癒すのは、今ある幸せを見つけ、その幸せで、その傷を癒すことです。

その幸せとは、旦那さんが味方になってしゅうとめさんに電話してくれたこと。
娘さんたちが明るく素直に育っていること。しかも社会で立派に働いていること。
そんな家庭を作ってきたのは、相談を投げかけているお嫁さんであること。
また、おしゅうとめさんは、もしかしたら、その日に嫌なことがあって、
悪気があって言ったのではないかもしれない。そう前向きにとらえてみる。
そうして、今の幸せをかみしめ、心の傷を癒していくことです。

できれば、その幸せをしゅうとめさんにも分けてあげ、娘さんたちにも、
「おばあちゃんに、ときどき、顔を見せてあげて」と言ってあげる。
明るく素直な娘さんたちですから、きっとできるはずです。

何かの原因で心が傷ついたと思ったとき、身近にある幸せを数え、
その幸せを心の傷口に薬のようにぬってあげることです。

幸せを、おすそ分けしてあげる

料理は自分の食べる分を作っていただくよりも、
家族や来ていただいたお客様のために作って、
「これ、美味しいね」と言われるほうが、幸せ感はとても高いと思います。

幸せも、自分の幸せのみを追い求め、
それだけで終わってしまっては、幸せ感は少ないのです。

「私のできること」という詩を見つけました。
75才になられる女性の方の詩です。

「私のできること」

恵まれない子らに
援助する財力もない
身体の不自由な人を
介護する体力もない 無力な私、でも・・・
保育所に通う幼児に
おはようと声をかける
1人暮らしの病弱な友に
煮物を届ける
バス停のゴミを拾う
孫にマフラーを編む
こんな事でもいいの?
誰かの役に立ちたい私

(産経新聞 平成25年2月16日付)

いい詩ですね。
誰かの役に立ちたいという心根はとても尊いものがあります。

自分が他の人のために料理を作る。そして召し上がってもらう。
家族なら、そこに家族のほほえみがあふれる。
こんな幸せは、お金では買えません。

この詩を書いた女性も、誰かの役に立ちたい。そう書いています。
人の幸せのために、自分が何かをしてあげる。
それが本当の幸せであることを知っているようです。

そんな幸せを少しずつ心にためていくと、充実した人生を送ることができます。

相手が幸せに包まれる

『法愛』を読んでいる方から、こんな手紙をいただきました。
名古屋にお住まいの女性の方からです。

いつも『法愛』をありがとうございます。

60才からいただくようになり、10年が経ちました。
初めの頃は、反省することが山ほどで、
こうなりたい、こうあらねばという思いがいっぱいでした。

でも、『法愛』の心を大切に大切にいただくうちに心が洗われて、
穏やかな感謝の気持ちが次第に大きくなり、
たくさんの幸せに包まれて日々を生かされていることを実感しています。

70才、なんとかここまで生きてこられました。
これからは
「何があっても大丈夫。乗り越えれば、またひとまわり大きな自分になれる」
の教えを胸に、次は
「こちらからしてあげて、
相手が幸せな思いに包まれているのを静かに見つめる境地」
に、たくさん出会えるよう努力していきたいと思っています。

この『法愛』で、深い境地に進んでいることを嬉しく思います。

まわりにある幸せに気づいて、自分が幸せになったら、
その幸せを周りの人におすそ分けしていく。
そう生きる道に、さらに美しい世界が広がっていくことでしょう。