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法話

心の良薬

今月は「心の良薬」というテーマでお話を致します。

このお話は、平成24年11月10日、
護国寺の「花園女性部の集い」でお話ししたものです。
6年ほどたっていますので、少し書き換えながら、進めていきます。

無理をしない生き方

身体の健康は多くの人が心がけていることです。
適度な運動をしたり、食事に気をつけたり、
あるいは年に一度、検診を受けて、
身体に何か異変があるかを調べる人もたくさんいらっしゃると思います。

心の健康はどうでしょう。
心の健康を維持するためには、どんな方法があるのでしょう。
もし心が苦しくて立ち直れない、そんな時があったとき、
どう対処して、心の健康を取り戻せばよいのでしょう。
そのために心の良薬はあるのでしょうか。
そんなことを、少し考えてみたいと思います。

まず、身体と心は、とても強く結びついていて、
身体を酷使し、身体を壊すと、心もなえてきます。
また、心が大変な思いをすると、身体もどこか調子が悪くなって、
寝込むこともあります。

身体と心の調和を考えながら暮らしていくのも、
心を健康にしていく、大切な方法かもしれません。

私はお経をあげることが一つの仕事で、
30代から40代にかけて、ずいぶん喉を酷使したので、
47才の5月ごろ、声が急に出なくなってしまいました。

それでも、お経をあげるのが仕事ですから、お経を読まずにはいられません。
無理をしながら法事をこなし、お盆を迎えました。
お盆になると棚経(たなぎょう)といって
一軒一軒、檀家さんをまわってお経を読まなくてはなりません。

8月13日の朝でした。高熱がでて身体が動きません。
こんな状態では、棚経にまわることができません。
個々に連絡をとっていただき、その年は棚経を休ませていただきました。

高熱を出して寝込んだその日から1か月ほど、
新聞の字も歪(ゆが)んで見え、新聞も読めません。
身体がふらふらして、力がでない日が続きました。
それ以来10年ほど、棚経に出られませんでした。

とにかく、お医者さんに診てもらわねばと思い、診察を受けたのですが、
喉に異常もなく、どうも精神的な心の面から、声が出ないようなので、
そんな漢方薬を長く飲み続けた時期もありました。

無理をし続けると身体を壊し、それが心まで壊してしまう。
そんな体験をしました。

無理をせず、身体の健康を保つことが、
心を元気に保っていく方法でもあるわけです。

長生きの秘訣

今から400年ほど前、天海という天台宗の坊さんがいました。
徳川家康の参謀だったそうですが、
その坊さんは107才まで生きたと言われています。
その天海和尚に、次のような逸話があります。

天海が徳川家光からいただいた柿を食べると、
その種をていねいに紙に包み、懐(ふところ)へ入れました。

家光が「柿の種をどうするのか」と聞くと、
「持って帰って植えます」

家光は「100才になろうとする老人が、無駄なことだ」と言うと、
天海は「天下を治めようとする人が、そのような性急ではいけません」
と語ったといいます。 数年後、天海から家光に柿が献上されました。
家光が「どこの柿か」と聞くと、
「先年、拝領した柿の種が実をつけました」と、天海は答えたといいます。

天海が107才まで生きた証拠を示す、エピソードといえます。
そんな天海が徳川秀忠に、長生きの秘訣を語った言葉があります。

長命は、粗食、正直、日湯(にっとう)、陀羅尼(だらに)、
時折、ご下風(かふう)あそばさるべし

今は、昔に比べてずいぶん、多くの人が長生きになりました。
このお話の中で、聞いてくださっている女性部のみなさんに、
「長生きをしたい人」と問うてみたのですが、2~3人ほどしかいません。

私の母も数えで95年、生きましたが、
いつも「こんなに長生きをするつもりはなかった」と言っていました。
考えようには、長生きも大変なことだと思います。

正直という心の薬

天海が語った、長生きの秘訣のなかで、
心に直接かかわりを持つのが「正直」ということです。

正直というのは、心に隠しごとがないとか、
偽(いつわ)りがないという意味ですから、
心に負担がかからないともとれます。

負担がかからないから、いつも心は平静でいられるわけです。
ですから、心の健康を保つうえでも大切な考え方になると思います。

この正直について、「正直の頭(こうべ)に神宿る」とか
「正直は一生の宝」という諺(ことわざ)があります。
正直であることが、神様に好かれ守られる、
あるいは正直であることがみんなから信用され、幸せになれる。
そんな意味の諺です。

神様に守られ、みんなから信用される。正直にはそんな功徳があるわけです。
その功徳が、心の良薬として働くともいえます。

正直という言葉はすでに『今昔物語集』(15巻40)に出てきます。
この物語の成立は1118年頃と言われていますので、平
安時代の中期で、今から900年ほど前になります。

正直さというのはずいぶん前から尊ばれていて、
ここには、正直な女性のことが書かれています。
少しまとめて載せてみましょう。

今は昔、睿桓(えいかん)という聖人(せいじん)がいました。
その母は若い時から穏やかで正直な心の持ち主で、
人を哀(あわ)れみ、生き物をかわいがる心が深い女性でした。

そのうち、道心が強く生じたので、
ついに出家して髪を剃り尼(に)となり、 釈妙(しゃくみょう)と名のりました。

出家後は戒律を守り、汚い手で水瓶(すいびょう)を持たず、
手を洗わないでは袈裟を着ず、
仏の前に出る時には、手を洗い身を清めて参るというふうでした。

阿弥陀様のおられる西に向って、足を向けて寝ることなく、
寝ても覚めても「法華経」をお読みし、念仏を唱えていました。

あるとき、釈妙の夢に仏が現れ
「わたしは実にお前を極楽に迎えるために、いつもやって来て守護しているのだ」
ということを知りました。

釈妙は老境に入って、命終ろうとする前に仏に向かい、
五色の糸を仏のみ手にかけ、それを自分の手に持って、
心を込め念仏を唱えながら、心乱れることなく息絶えたということです。

これを聞く人はみな、尊いことだと語り伝えたということです。

正直な人の生き方が察せられます。

最期は心乱れることなく旅立っていったというのですから、
正直さは、心を穏やかにさせる心の良薬といえます。

「正直の頭に神宿る」のごとく、神からも守られる。
そんな力を正直さは持っているようです。

日本の心

『今昔物語集』は、平安時代のことですが、
日本人は元来、正直さを大切にしてきました。
現代でもよく読まれている日本昔話などにも、
正直さを大切にするお話がたくさんでてききます。

拓殖大学の教授をなさっている呉善花(おんそんふぁ)さんが、
「なぜ世界の人々は『日本の心』に惹(ひ)かれるのか」
という本を出しています。
日本の心について、さまざまな観点から、論じている本です。

その中に、日本の心として、嘘をつかない正直な人びととして、
次のようなエピソードを載せています。
彼女は韓国人でしたが、日本に帰化し、
日本人よりも日本のことをよく知っている、そんな女性です。

この本の中で、明治初期に来日した
アメリカのエドワード・モースという人の体験を載せています。
モースという人は動物学者で、東京大学でも教鞭をとり、
大森貝塚を発見した人でもあるようです。

モースが、明治の初期に旅館に泊まり、時計と財布を旅館に預けました。
そのとき仲居さんがお盆を持ってきてその上に財布と時計を乗せ、
畳の上に置いたそうです。

こんな状態では盗まれはしないのかと、
あきれた思いで旅館を出たのですが、
このことが不安で仕方がなったといいます。

それから一週間、他の所に出かけていて戻ってみると、
財布と時計がお盆の上にそのままにあって驚いたというのです。

モースはその時の様子を、
「帰ってみると、時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至るまで、
私がそれらを残していったときと全く同様に、ふたのないお盆に乗っていた」
と語っています。

当時の欧米では、ホテルでは盗難防止のため、
水飲み場のひしゃくには鎖がつき、
寒暖計は壁にネジでしっかり止められているのが常だったそうです。

欧米では盗まれるのが当たり前だったのが、
日本では財布さえ、お盆の上にそのままになっていた。
日本人の正直な心を尊く思います。

最近では、東日本大震災で、混乱の中でも、暴動も起きず、
非常食の配給もみな列を作って待っていたことが高く評価されていました。
これも、昔から続いている日本の心としての正直さのたまものです。

「正直ものはバカを見る」という諺もありますが、
神仏(かみほとけ)はちゃんとご覧になっていて、
そんな人を尊く思い、苦難の時に守ってくださること疑いありません。

この正直な思いは身体のすみずみにまで行き渡り、
身体をも健康にしてくださる力となっていくと思われます。

健康を保つ、さまざまな方法

天海和尚が長生きの秘訣に、粗食を挙げています。
贅沢で栄養過多の食事ばかりとらず、
また規則正しい食生活が大切だということです。

日湯(にっとう)はお風呂に入って、疲れを癒し、
心にゆとりを持つことでしょう。

陀羅尼(だらに)はお経の意味ですから、
大きな声を出し、お経を唱える。
あるいは今では大きな声で歌うことも健康を維持することかもしれません。
大きな声を出して歌うことが、また心のストレスを解消する方法でもあるわけです。

ご下風(かふう)はおならのことで、
我慢していると、身体にも心にもよくないということでしょう。

ちなみに、長野県は健康長寿の高い県としてされています。

その一つの要因に、公民館活動が盛んであるという結果がでています。
全国での公民館の数ですが、全国平均が人口100万人あたり、134.2館のところ、
長野県は全国でもトップで、843.3館あるようです。
それだけ生涯学習に力を入れているということになります。

いつまでも働くことを惜しまず、
学ぶという精神を忘れないでいることが長寿の秘訣ですし、
その生きる姿勢が、心にも影響し、心の健康を保つことができるということです。

心の不調を乗り越える笑顔と仲間

ある本(『なぜあなたは生まれてきたのか』池上明著)に、
こんな話が載っていました。

ある男の子が小学校のころに、下校途中、クラスメートとぶつかり、
その子は持っていたたくさんの荷物を落としてしまい、
その荷物が道に散乱してしまいました。

ぶつかった子は申し訳ない気持ちで、
一緒にその荷物を拾ってあげ、「あとで遊ぼうよ」と言って、
その子とあとで、テレビゲームをして遊んだそうです。

それから何年かして、ぶつかったクラスメートと再会しました。
そのクラスメートは
「あの日、自殺しようと思って、
学校においてあった荷物をみんな持って帰ったんです。
でも、一緒に遊んでくれて楽しくて、自殺をやめました。
あなたは私の命を救ってくれたんです」
そんなお礼を言われ、とても驚いたというのです。

クラスメートの、
自殺しようと思ったときの心の負担は大きなものであったでしょう。
そのとき、一緒に遊んで楽しく笑ったこと、そして仲間のやさしさ、
そんな力に心が生き返って、自殺をやめたのです。

友と楽しく笑顔で語らう。
こんな些細なことが、大きく人の生き方を変えていきます。
心にとっても健康を取り戻すための、良い薬だと思われます。

やさしい言葉が自分にとっても相手にとても良薬

最後に、次の詩を紹介します。
やさしい思いと、
その思いから出てくるやさしい言葉が心の良薬なのです。

「戯(たわむ)れ」という題で、
京都府にお住いの85才の男性の方の詩です。

「戯れ」

戯れに
妻の背中を流した
しばらくすると
ものを言わなくなって
クックッ と 泣き出した
少し骨ばって 小さくなっている
それに やや 横に曲がっている
苦労させたんだな
あんさん
ごめんしてくれな

(産経新聞 平成24年10月29日付)

妻を思うやさしさが妻を泣かせ、やさしい言葉をかけることで、
なんとも言えない夫婦のあたたかな触れ合いがあります。

やさしい思い、やさしい言葉。
それらがお互いの心を和ませ、健康な心を作っていきます。
心にも良薬があることを知り、そんな薬を心の健康にお使いください。