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法話

生き方という法則 2 変わらないものを、どう見ていくか

先月は「変化の世にあって変わらないもの」というテーマでお話し致しました。
いろいろな観点から、無常の世にあって変わらないものがあるというお話でした。
そのことを、もう少し具体的にお話ししていきます。

一輪の月見草

人生は大河に似ています。

皆、この世に生まれ、さまざまな体験をし、老いて亡くなっていく。
その流れる人生の中で、時には岩にぶつかり、時には激流となり、
時には平穏なやさしい流れとなって、その流れの中で、
何か変わらない輝く光を見つけていく。

その光が、流れる人生の中で得られた宝であり、
その光る出来事あるいは体験を多く手に入れた人が、
悔いのない人生を送ったといえます。

その光るものとは何でしょう。

ある新聞に掲載されていた詩を紹介します。
72才になる男性の方の詩です。「仙台市荒浜で」という題です。

「仙台市荒浜で」

津波の力で細い鉄筋が
ぐにゃぐにゃに曲がり
ミニチュアのドームを
形作っていた

その真ん中に
一輪の月見草

全てが流されたのに
鉄よりも強く
生き延びて
浜風にそよいでいた

今年も咲きますように

(産経新聞 平成24年7月11日)

大震災ですべてが流され、鉄筋がぐにゃぐにゃに曲がったその中に、
月見草の花が一輪咲いていたのをこの人は見つけて、詩を作ったのです。

一輪の月見草の花を見て、とても感動したのでしょう。
すべてが流された荒れ野にもきれいな花が咲く。

小さな弱弱しい花でもそこに咲いていて、その強さに心打たれ、
今年も咲きますようにと、自分の未来への希望と合わせて祈っています。

人生の流れの中の一コマですが、
きっと変わらないものをそこに発見したと思います。
それは勇気であったり、生き抜く強さであったり、小さくても大事を成せる、
そんな発見かもしれません。

この発見が、ひとつの光かもしれません。
その光が、幸せへと導いてくれると思うのです。

輝く体験

『13歳からの道徳教育』(育鵬社)という本の中に
たくさんの興味深い話が載っていました。

その中に、草柳大蔵(くさやなぎだいぞう)という
戦後を代表するジャーナリストであり、ノンフィクション作家でもあった方の
「私が24歳のときにかいた恥」という題で、貴重な体験が書かれていました。

草柳さんは大正6年生まれで、すでに平成14年に亡くなられています。
この本には載っていませんが、プロ野球で知られている野村克也氏の
よき相談相手であったそうです。

野村さんが南海ホークスの選手であり監督でもあったころ、
現役引退するかしないかで悩んだとき、相談相手の草柳さんから、
こんなアドバイスをしてもらったのです。

「42才ならまだ若い。
フランスのフォール首相という人は75才で、ロシア語の勉強を始めた。
何事も生きているうちは、勉強だ」

そうアドバイスし、「生涯一書生」という言葉を贈ったそうです。
その言葉を聞いて、「生涯一捕手」の言葉が生まれたと聞きます。

そんな草柳さんが体験した、昭和23年の秋の出来事です。

雑誌社の末端編集員をしていて、
雨の中、原稿を集めるために歩きまわっていました。

夕方近く、ある国務大臣の家にたどりつくと、
その家の応接間に招き入れられました。

朝から雨の中を歩きどうしで疲れ気味であった草柳さんは、
ソファに深く腰を掛け、たばこに火をつけました。

そのとき、大臣の奥さまが応接間に入ってこられ、
「はい、ご苦労さま」といって原稿を渡してくれました。

帰ろうとすると、「お茶でも飲んでいらっしゃい」と声をかけてくれ、
夫人と少し話をした後に、こんなことを言われたのです。

「これから申し上げることを、ひとつ参考にしてくださいね」
と、夫人は静かな口調になり、
「あのね、他所(よそ)のお家を訪問して応接間に通されたときは、
この家の主人が姿を見せるまで椅子に腰をおろさず、立ったまま待つのですよ。
そのために壁に絵がかかっていたり、花瓶に花が活けられているのです」

そう言われ、ソファにどっかり身を沈めていた草柳さんは、
かっと恥ずしさが込みあげ、耳まで赤くなったのを忘れないでいたそうです。

それから二十数年が経ち、四十代のときです。
取材で三菱銀行の会長をしていた田実渉(たじつわたる)氏を訪ねたのです。

会長面談室に通され、
秘書の方が「どうぞお掛けください」というのにお礼を言って、
ずっと立ったまま壁にかけられていた絵を眺めていました。

しばらくして「やあ、待たせたね」と田実さんが笑顔で入ってこられました。
取材は二時間あまりでしたが、ていねいな応対に指も折れよと鉛筆を動かしていたそうです。

それから三年後、人物論のシリーズで、「中山素平論」をとりあげ、
最後の仕上げにと、本人自身に直接インタビューをお願いし、
日本興業銀行の会長室を訪れました。
中山さんは懇切丁寧に取材に応じてくれたそうです。

取材を終えて立ち上がろうとするとき、中山さんが、
「君のことを実は昨日、田実さんに電話で聞いたんだ。
明日、草柳君という人に会うのだけれど、
田実さんはいつか彼に会ったそうで、どんな男でしたかと。
そうすると田実さんは
『ああ、あの男はおれが部屋に入るまで
坐らないで立って待っているような男だよ』
というんです。それだけだよ。
それで僕は、今日、君と安心して会うことにしたんだ」

そのとき草柳さんは、「応接間のソファにすわらない」、
ただそれだけの教えが三十年近くも草柳さんの心の内に生き続けていたと知り、
自分一人で生きているのではない、多くの人に支えられ、
灯(あかり)を照らされて、この道を歩いてきたんだと、しみじみ思ったそうです。

世の中は目まぐるしく変わっていきます。
その中で「ソファにすわらない」とい礼節の教えは、
変わらず草柳さんの心にあって、成功への道に誘ってきました。

人としての正しい光の教えは、変わらず生き続け、
私たちを幸せの道に招き入れてくれることを教えられます。

変わらない日々の生活

日々の生活で一番願うことが、
「今日も無事過ごさせてほしい」ということだと思います。
そのことを強く思う時が災害にあったときです。

東日本大震災でも、一瞬にして家族の人たちが別れ別れになり、
もう二度と会えなくなってしまった人たちもたくさんいらっしゃいました。

平成29年6月9日現在、死者は15,894人で、
行方不明者はまだ2,550人もおられます。

ときどき、まだご遺体を探しているという、
そんな報道をテレビで見たことがあります。

日々家族と語らい、ごく普通の生活ができていることが、
どんなに有り難いことかを知ります。

平凡でもいいから変わらない、そんな生活を普段から心がけ、
家族の和を作っていく努力が必要です。

そう考えると、変わらない日々の生活は、
家族のお互いの努力で培われていくものだということを知ります。

変わらない尊いもの、それは自らの努力で作り上げていくものかもしれません。

明るい楽しい生活

うちの檀家さんで、満58才で亡くなられた方がおられました。
不治の病であったので、この試練を本人ばかりでなく、
家族のみなさんも共に受け取っていかなくてはならないつらい日々を送っていました。

でも、亡くなった本人が家族に残した尊い想い出は、
決して変わらないで心の内に生き続け、きっと光となって
困難をのり超える力を家族のみんなに与えていると思うのです。

その方の葬儀の終わりに語ったお話を、ここに載せてみます。

ここに〇〇さんは、満58才で生涯を閉じられました。
春、桜の花の咲くころになると、59才になる予定でした。

思えば、もう一度きれいな桜を見ながら、
家族のみなさんとあたたかな語らいをもてたらという思いが募ります。

温厚で穏やかで、優しく朗(ほが)らかで、
みんなに信用があり、根性も持ち合わせていました。

ここ数年は不治の病との闘いで、
残る少ない時間を奥さんや家族の人と笑顔の中、
しかも力強く闘い生きてきました。

いつだったか
「私は〇〇さんの葬儀はしないからね。私の息子の代になってからだよ」
と言っていましたが、悲しいかな、
私が葬儀の導師をしなくてはならなくなりました。

〇〇家の今後が心配で思いやられることと思いますが、
あなたの仕事は天上の世界に帰って、
その世界から家族の皆さんを見守ってあげるのが、ひとつの仕事になります。

今では短い生涯でしたが、〇〇さんなりに立派に生きたのですから、
きれいな桜の花咲くあたたかな世界へ昇っていけることを思います。
そんな〇〇さんに家族のみなさんが、あたたかな思いを言葉に残してくれました。

 早いお別れだね。たくさんのことを、
 私たちのためにしてくれて嬉しかった。
 最後までほんとうに精いっぱい頑張ったね。

 私の子どものことまで心配してくれてありがとう。
 家のことは心配しないで、あの世に行ったら、
 お父さんお母さんに、こちらのことをしっかり話してあげてください。

 叱られた記憶もないほど優しい父でした。
 気さくで私の友人と会っても手をあげて挨拶してくれる人でした。
 夏は海、冬は初もうでと、いろいろな所に連れていってくれました。
 父と過ごした日々、とても楽しかった。
 後は任せて、ゆっくり休んでください。

 三十年間、明るく楽しい生活でした。
 わがままな私と寄り添ってくれて、良い子供達に育ててくれました。
 本当にありがとう。

 病気になってから二年三ヵ月はきっとつらく苦しかったと思うけれど、
 充実した一日一日、一緒に過ごせて幸せでした。
 やっと痛みから解放され・・・。安らかに、私たちを見守ってください。
 本当にお疲れ様でした。
 そして、ありがとう。

人柄が偲ばれます。
心を培ってきたあたたかな想い出を心のポケットに入れ、
あの世にいったら多くの人たちに話してあげてください。

もう一度念じます。
仏様に抱かれ守られて、ほほえみあふれる世界へ昇っていかれることを祈ります。
お別れです。共に礼拝をささげます。

こんなお話を致しました。

そういえば、こんな大変な病との闘いの時に、
奥様はお寺の女性部の三役に選ばれ、旦那さんが
「みんなに必要とされるときに、役をやっておいたほうがいい」
とアドバイスをしてくれたそうで、
そのおかげで奥様はしっかりとその役を果たしてくれました。

亡き人が立派に生き、家族のために尽くしてくれ、
明るい楽しい生活を与えてくれた恩は、
決して変わらず心の内残っていきます。

この世は無常で常に変化し変わっていくのですが、
その中で、他のために生き抜いてきたその生き方は、
まわりの人の心のなかに変わらず残っていくものです。

それを見定めていく心の眼を養っていくことも、
大切な生き方ではないかと思われます。

変わらない法則

夜空の星は常に流れ変化しています。
地球は太陽の周りを移動し、月は地球の周りを静かにまわり動いて、
その変化する美しさを私たちに投げかけてくれています。

そんな変化する星々の中で北極星だけはいつも同じ位置にあって、変わりません。
道に迷えば、その星を見て、自分の行くべき方向を判断して歩けば、
迷いの道から抜け出すことができると昔から言われてきました。

同じように、変化する無常の世にあって、
決して変わらない北極星のような「生き方という法則」があれば、
人生に迷ったときに、その生きる法則を見て歩いていけば、
必ず迷いの人生から抜け出し、幸せの道を歩んでいけると思うのです。

「信号のたとえ」でも、このことを説明できます。
信号は「青で進め、赤で止まれ、黄色で待て」です。
みんなが車で自由に道路を運転していますが、
赤で止まれという法則をみな守っていれば、
車同士が衝突することはありません。

ときどき赤信号を無視して進み、事故を起こすときがあります。
法則を守らないので、苦を受けるはめになるわけです。

「生き方の法則」はどこにあるのでしょう。
そんな便利なものがあれば、是非体得し使っていったほうが賢い生き方です。
ぐにゃぐにゃに曲がった人生の中でも、決して変わらない、
きれいな一輪の幸せの花を、みんな咲かせることができます。

すべてが流れていく世であっても、鉄より強く生きぬいていく。
そんな方法を学んでみませんか。
その光が、幸せの園に導いてくれるはずです。

(つづく)