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法話

爽やかな向上心 3 人間関係はみな向上の学び

先月は「自分が自分を守る」というテーマでお話を致しました。
自分は宝石のような尊い人間であって、
時には自分の恵まれているところを数えたり、
頑張っている自分自身に「ありがとう」を言ってみるというお話でした。
続きです。

チロという犬との別れ

私たちは人との交わりを避けては生きていけません。

お互いが見えない関係で結ばれていて、
その中で、さまざまな出会いや別れがあり、
そのたびに何かの気づきをいただき毎日を送っています。

時にはロビンソン・クルーソーのように、
独り静かに無人島で暮らしたいという思いもあるかもしれません。
でも、これは小説の中では可能かもしれませんが、
なかなかできることではありません。

最近はペットも家の中で暮らし、服を着たり、
人と同じように、葬儀やお墓を作ってもらえる時代になりました。

私の知人の和尚さんのところでペットの四十九日をして、
それ相応のお布施をいただき驚いたという話を聞きました。

私の所で昔飼っていたチロという名の犬がいました。
ずいぶん長生きをして、亡くなる一週間くらい
腰が立たなく病んでいました。

ある日、葬儀に出かける時、
チロが私の顔をしっかり見つめ、何かを訴えているような目をしたのです。

そこで、「ああ、腰が痛いんだな」と思い
「葬儀から帰ったら、お医者さんに連れていってあげるからな」
と、言葉をかけ、午前10時半ごろ出かけました。

正午からの葬儀で、15分くらいすると
急に腰が重く痛くなってきたのです。

おかしいなと思いながらお経をあげ、
葬儀が終わるころには、もうその腰の痛みも治っていました。

午後2時ごろ、お寺に戻ると、もうチロは死んでいました。
どうもチロがお別れに私の所にやってきたと、
そのとき素直に思ったのです。

いつものようにお地蔵さんのお札と共に土にいけてあげて、
般若心経を読みお別れをしました。

ペットの犬でも大事にしていたので、お別れは悲しいものです。

母との別れと出会い

こんな投書を見つけました。
「感謝の二人旅」という題で、静岡市に住む47歳の女性の投書です。

実の母との別れの寂しさ、そして新たに得た義母との出会い、
みな人としての豊かな体験を感じさせます。

「感謝の二人旅」

母は私が14歳の時、がんで亡くなりました。41歳でした。
これまで、母が生きていてくれればと思わない日はありませんでした。

日々の買い物や夕飯の支度、
結婚式の時は着物やドレス、婚礼家具を一緒に選んでほしかった。
子どもを出産する時は、そばにいてほしかった。
子育ての悩み相談にも乗ってほしかった。

実家への里帰りや母と二人だけの「女二人旅」
いろいろなシーンで、私はいつも実母の姿を追い求めていました。

1歳年上の主人とは友人を介して知り合い、
出会って30年、結婚して23年がたちました。

主人と初めてのデートは、彼の実家でした。
その時、義母に会ったかどうかは覚えていませんが、
義母との出会いから30年になります。

東京に住む義母は、結婚後に行き来した時も、
未熟な私を「長男の嫁」と呼ぶこともなく、
いつも「ありがとう、ありがとう」と優しく接してくれました。

「二人だけの旅行」を除いたすべてを、義母がかなえてくれました。
今年の母の日は過ぎましたが、感謝の思いでいっぱいです。

まるで亡き母が、義母の元へ導いてくれたようで、
きっと、あの世で安心してくれていると思います。

まだ実現していない「親子二人旅」は、
私が義母へのプレゼントとして、近いうちにかなえたいと思っています。

お母さんありがとう。楽しみに待っててね。

(毎日新聞 平成24年5月20日)

14歳のときにお母さんをがんで亡くし、
ずいぶん寂しい思いをしたことでしょう。

「こんな時、お母さんがいたらと何度思ったことでしょう。
そのつらさも心の学びとなって、やがて優しい義母が、
実母と一緒にしたいと思っていたことをすべてかなえてくれました。

優しさとありがとうの言葉、
この生き方が幸せの日々を作りあげたといえます。
人と人との関係で、大切なことを学べる投書です。

6月22日の夜に34歳で小林麻央さんが亡くなりました。
20日のブログでは「皆様にも、今日、笑顔になれることがありますように」
と書かれていました。

最後の言葉は、夫の市川海老蔵さんに「愛してる」と言ったそうです。
最後の「愛してる」の最後の『る』は聞こえたか、
聞こえないかわからなかったといいますが、悲しい別れです。
この悲しみから、多くの尊い学びをしてくことでしょう。

嫌いな人との付き合いでも学べるものがある

人間関係で、いつも話が合う人や尊敬できる人と付き合っていくのは理想ですが、
嫌な人とも付き合っていかなくてはなりません。

仕事の関係で、どうしても一緒になって働かなくてはならない
という場合もたくさんでてきます。

「嫌な奴が私を育てる」

そんな文句がありましたが、
嫌いな人からも学ぶべきものはたくさんあります。

反面教師として、そのような人にはなりたくない。
そう思って自分の生き方を省みたりする。

あるいは嫌いな人その人も、誰か慕っている人もいるかもしれない。
だから嫌いな人にも良いところがある。
そう思い、嫌いな人のいい部分を探してみる。

あるいは、嫌いな人と、どうしても関係をきれない場合は、
少し距離を置きながら上手に付き合っていく方法を考えていく。

また、自分自身も誰かに嫌われているかもしれない。
そんなところを自分自身に見つけたら気をつけて直していく。
さまざまな学びがあります。

ずいぶん昔のことですが、あるお寺さんから葬儀のお手伝いを頼まれ、
「お施主さんのお迎えの車が12時に来るので、それまでにお寺にきてください」
と言われたことがありました。

12時に着くように見計らって出かけたのはよかったのですが、
途中、自動車学校の車が前を走っていて、それもゆっくりで、
そのためか2分ほど遅れたことがありました。

「遅くなってすみません。自動車学校の車が前を走っていて・・・」
「遅い!理由にならん」
と、きつくお叱りを受けてしまいました。

会社では上司にあたる人でしたから、
何も言えず、辛い思いをしたことがありました。
そんな人とも付き合っていかなくてはなりません。

こんな経験から、私は相手が少し遅れてきても、
よく理由を聞いて、冷静に受け止めるという学びをしました。
これは反面教師としての学びでしょうか。

比較して伸びる人、比較して苦しむ人

人間関係で必ず起こってくることが、相手との比較です。

比較して自分が向上していくのはよいのですが、
比較することで、自分が落ち込み、生き方が荒んでいくこともあります。

特にスポーツ競技は、相手の比較なしではできない競技です。
オリンピックに出た人がみな金メダルを取れるならば、
みな練習する気力がなくなってしまいます。

1だけ金メダルを取れる。
その1位になったときの嬉しさは、
苦しい練習の日々を忘れさせることでしょう。

そして2位になった人も3位になった人も互いの健闘を称え、祝福する。
そこにスポーツの尊い意味もでてきます。

逆に、日々の暮らしの中や仕事関係で、
相手と比較して、落ち込むことがあります。

よく相手の優れたところを見て嫉妬し、心の調和を乱す場合があります。
私自身も話が上手くハンサムなお坊さんがいれば、心穏やかではない気もします。

ある新聞(読売新聞 平成21年1月7日)の「人生案内」に、
次のような悩み相談がありました。

20代の女性で、いつも人と比較し劣等感を感じるという相談です。
たとえば、容姿端麗な友達に嫉妬してしまう。
時にはすれ違った人の容姿を見てねたんでしまう。
他の人が何でも自分よりよいように見えてしまう。
他の人を見て、自分にないものばかりほしくなる。
そんな自分が嫌で、なるべく人と比べないように
自分に言い聞かせているのだけれどできなくて、
どうしたらよいのかわからない状態です。そんな悩みでした。

この悩みに答えていたのが、スポーツ解説者の増田明美さんでした。
3つにまとめてみます。

1つは、
他人と比較するのが嫌というのは正直な人ですよと、まず褒めて、
増田さん自身もそんな時があり、
「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)とか、
「しあわせはいつもじぶんがきめる」(相田みつを)
という言葉に励まされてきたということ。

2つ目は、
自分のよいところに気づいていなくて、
あなたに眠る良いものをゆっくり引き出すこと。

3つ目に、
人と競いあうのでなく、自分の努力で達成できるものを持って、
ゴールを目指して、ひとつひとつ積み重ねていく。
そうすると自信が生まれて来ると思う。

こんなアドバイスをしていました。

なかなか優れたアドバイスだと思います。
こんな悩みも人間関係から生まれてきます。

つらい悩みですが、これも自分をさらに向上させていくためにある。
そう思い、そのつらさを乗り越えていくことです。

自分の花を咲かせていく

昔、スマップが「世界に一つだけの花」という歌を歌って大ヒットしました。
その中の歌詞を1部分挙げてみます。

僕らは世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

こんな歌詞です。

人と比べることなく、自分の中にある種、
良い部分を育てて自分の花を咲かせていく。
この自分というのは世界に一人しかいないのだから。
そう歌っています。

このように悟って生きていくのは難しいことですが、
自分と相手と比べて、自分が劣っていることに悩み落ち込んだときには、
こんな歌の意味を心に染めて、立ち直っていく。
そんな生きる姿勢も大事ではないかと思います。

神や仏との関係を大切にする

人間関係のことで考えてきましたが、
神様や仏様との関係を大切にすることは、
自らの向上にとって欠かせないものです。

神仏を信じなくても生きてはいけますが、
信じるという思いは、人としてとても尊いことです。

お寺も本堂に仏様を安置しお参りをしています。
本尊のないお寺はありません。

私が修行したのは、静岡市にある臨済寺というお寺です。
そこは修行道場にもなっていて、
今、修行僧を教えている阿部宗徹(あべそうてつ)という聡明な老師がおられます。
昔、一緒に修行させていただき、
たくさんのことを教えていただいたお坊さんでもあります。

老師の生い立ちを教えてもらうと、
雑貨屋を営む3男として生まれたそうです。
出産のときには、首にへその緒を3回も巻いて仮死状態で生まれたといいます。

縁あって出家の道に入り、帰京してお墓参りのときに出会った古老に
「この町ではへその緒を3回まきつけて生まれた子は、
坊さんにするという昔からの言い伝えがある」
と、聞かされたそうです。

その時、老師は、
「自分なりの思いがあってこの道に入ったのだと思っていましたが、
この事から計り知れない力を思わずにはいられません」
と語っています。

また、幼いころに腕白だったので、母親から
「たまには漫画本でもいいから坐って読んでみせてくれないか」
と言われ買ってきたのが、岩波文庫の『正法眼蔵』上中下の本だったそうで、
その仏縁の深さには頭が下がります。

私が愛読している「現代語訳『正法眼蔵』6巻」は
玉木康四郎という学者さんのもので、
私にとっては非常にわかりやすい現代語訳だと思っています。

この『正法眼蔵』の中の「行仏威儀」(ぎょうぶついぎ)の所に
次の言葉がでてきます。現代語訳で載せてみます。

よくよく知るがよい。
人間としての釈迦は、
この世を去って涅槃(ねはん)に入り、
教化を施されたが、
天界に昇った釈迦は、
今おわしまして諸天を教化しておられるのである。
仏法を学ぶものは知っておくべきである。
(中略)
天上に帰った釈迦は、
その教化はいっそうたちまさって
千変万化のおもむきを示しているであろう。

(「現代語訳『正法眼蔵』6巻」玉木康四郎)

お釈迦様はすでに2600年ほど前に亡くなられたのですが、
肉体は失われても、法としての身体をお持ちになって、
今でも教えを説いておられると言っています。

これを信じられるか信じられないかで、
人としての在り方が全く違ってくると思います。

仏教の教えを簡単にいえば、
「善を行えば幸せになり、悪を行えば不幸になる」
ということです。

仏あるを信じて、神や仏との関係を大切にし、
その教える生き方を自分の生きる指針にしていく。
そこに人として、さらなる向上が成し遂げられていきます。

向上は無限です。
どこまでも爽やかに高く・・。