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法話

不器用な生き方でも尊い 3 不器用でも人生を見つめ歩んでいく

先月は「不器用さはどこからくるのか」というテーマでした。
さまざまなことを知らないところから、
不器用な生き方になってしまうということでした。

特に最後に出てきた、
「相手のことをどれだけ思い、考えてあげられるか。
これは私たちにとって永遠の課題です」
という言葉は、大切な人生の道しるべではないかと思います。
続きです。

何をあなたはしてきたか

不器用な生き方で、知らなくてはならないことが、人生の在り方です。
人生には苦難や失敗、悲しみやつらいことなどたくさんあります。

それらは自分の心を鍛え大きく成長させるためや、
多くの人との支え合いを学ぶためにあるのですが、
そうわかっていても、実際にそんな苦難に直面すると、逃げたくなってしまうものです。

そんな人生で、逝くときの最期に、何を問われるかを知っていることです。

私たちが亡くなったときに人生のすべてを
浄玻璃(じょうはり)の鏡で見せられるといいます。

そのとき問われることは
「あなたは、あなたの人生で何をしてきたのですか。何を宝として得たのですか」
という問いです。

「私は人生で、時には不平不満もありましたが、
法律で裁かれるような悪いこともしなかったし、
自分なりに幸せに暮らしてきました」
と答えたとします。

すると閻魔(えんま)様のような霊人が、
「あなたは生まれるときに、
『自分の与えられた人生でつらくても、苦しくても、さまざまな経験を積んできたい。
できることならば人の役立つ仕事をして人を幸せにし、
多くの貴重な学びをしてきたい』
そういって生まれたはずです。あなたは何を学びましたか。
どのように、苦難と立ち向かいましたか。あなたの学んだことを教えてください」
と問われるのです。

どんな思いで生きてきたのか

次に問われるのは「思い」です。
どんな思いで仕事をし、どんな思いで人と接し、
どんな思いでつらさや悲しみ、苦しみを乗りこえ、
どんな思いで日々を暮らしてきたのか。そんな思いを問われます。

どんな思いで仕事をしてきたかということですが、
たとえば私は僧侶としての仕事をしています。

白隠(1685~1768)という臨済宗の中興の祖と言われるお坊さんがおられました。
その白隠が『壁生草』(いつまでぐさ)という著書の中で、こう言っています。

菩提心とは法施利他(ほっせりた)の善業にほかならない。
だから八十才になった私だけれども、
要請があれば五十里百里であろうとも出かけて、
私にできる説法を行っているのである。

法施利他とは「人の幸せのために教えを説く」ということです。
そのためによく学び、心に湧(わ)き起こってくる煩悩を鎮(しず)め、
人の幸せを心から願う強い思いがなければできないことです。

この白隠のような思いを常に持ち続け、
教えを広げるというのは極めて難しいことです。
生活のため、お金のため、家族を守るため、そんな思いも捨てきれません。

白隠と同じように、亡き霊位の成仏を願い、お経をあげる。
今生きている人の利益と幸せのために教えを伝える。
そんな思いを大切にしています。

ですから、そんな思いを抱きながら確かに未熟ではありますが、
私なりにさまざまところで、僧侶としての仕事を実行にうつしています。

そしてあの世に帰って、問われるでしょう。
「お前は僧侶として、さまざまな仕事をしてきたが、
どんな思いで仕事をしてきたのか、その思いを見せてもらおう」と。

結構、厳しい問いを投げかけられると思います。

ある新聞の「こどもの詩」に掲載されていた詩を紹介します。
小学校2年の男の子の詩です。

さむくなると

ばあばのおうちに行きたくなる
こたつ
ふかいおふろと
じいじのせなか
ばあばの手
ぜんぶポカポカ
ぜんぶ大好き

(読売新聞「こどもの詩」 平成29年1月18日)

読んでいて、とても心があたたかくなります。
「じいじのせなか」「ばあばの手」「ぜんぶポカポカ」というところが、
あたたかな思いやりの心がにじみ出ていますね。

このようなあたたかな思いをずっと抱き続けていることが、
人生ではとても大切になるのです。

不器用な生き方であっても、
そこにあたたかな思いが添えられていると、人生が光り輝いてきます。

人の責任にしない

多くの人の中で、完璧な人生を送る人は、少ないでしょう。
みなそれなりに不器用に生き、失敗したり、成功したり、
または恥ずかしい思いをしたり、得意になったりとさまざまです。

そんな人生で言えることは、自分の不幸を他の責任にしないということです。
若い母親が、「お前が生まれたから、自分の時間が無くなってイライラする」とか、
反対に、子が「自分が不幸なのは、母親が勝手に私を生んだからだ」とか
「親の育て方が悪いから、こんな自分になってしまった」と文句をいう。

あるいは病気で寝込んでいた妻に、仕事から帰ってきた夫が
「勘弁してくれよ。
仕事で疲れて帰ってきているのに、夕飯まで俺に作らせるのか。
早く治ってくれよ」
と暴言を吐く。

妻が夫に
「子どもの頭が悪いのは、あなたに似たからよ」
と、夫を批判する。

みな人の責任にする生き方です。

もうひとつ詩を紹介します。
『ことばのしっぽ』(中央公論社)に出ていた詩です。

小学校一年の男の子の詩です。

おとうちゃん大好き

おとうちゃんは
カッコイイなぁ
ぼく おとうちゃんに
にてるよね
大きくなると
もっとにてくる?
ぼくも
おとうちゃんみたいに
はげるといいなぁ

(『ことばのしっぽ』中央公論社)

川崎洋さんがコメントしています。

「今朝、たくさんの『はげお父ちゃん』が、
この詩を読んで、オーッというかん声をあげるのではないでしょうか」

この子がお父さんに似ていて、
「おとうちゃんみたいに、はげるといいなぁ」と言っているところは、
とてもほほえましいところです。

大きくなって「はげになったのは親父の責任だ」と言わないように、
純真なこの思いを保ち続けてほしいと思います。

よい言葉を人生の友とする

昔、クリスタルキングの「大都会」という歌がヒットしたことがありました。
田中雅之という人の高い声がヒットした要因であったように思えます。
その田中さんがソロ活動に入った37才ごろ、野球をしていて喉にボールが当たり、
高い声(高音)が出なくなってしまったのです。

全国各地の病院を回ったけれどもどこも悪くないと言われる。
心霊治療も行い、何十万というお金をつぎこんだともいいます。
高い声が出なくなった男に商品価値はないと言われ、人が離れていったそうです。
そんなときに、ある野球選手からこんなアドバイスをされたのです。

「昔の想い出ばかり語っていいのか。
どんな豪速球投手も、いつか変化球で勝負しないといけない年齢になる。
そのときスタイルを変えられる奴が花開くのだ。
あなたはその時期に来ているのではないか」

その言葉を聞いて、
田中さんはもう一度頑張ろうと思えるようになったと聞きます。

歌手にとって声は命です。
それが出なくなってしまえば、当然落ち込みます。
その暗い穴から這い上がった力が、ある野球選手の言葉でした。

私も47才のころ、お経の声が出なくなって、大変な思いをしたことがあります。
以前はいい声だとみんなに言われ、その声が出なくなってしまったのです。
声が出ないならば、その分お話しでカバーしようと、
今までのスタイルを変えた経験があります。

そのときの思いは
「自分のよい点、できることを引き出して、声の出ないのを補え」
という言葉でした。

どこからいただいたのか覚えていませんが、
これも遠い世界からきた、生きる智慧の言葉ではなかったかと思います。
努力を怠らなければ、人生を支えてくれる言葉に、きって出会えるはずです。

不器用だけれども、誰しもが良い点、利点を持っています。
その力を信じて、苦難を乗り越えていく。
その一生懸命に生きる姿が尊いのだと思います。

自分を責めすぎず、自分を許すことも大切

自分の不幸を人のせいにしてはいけないのはもちろんですが、
自分自身もあまり責めてはいけないのです。

自分を叱咤(しった)しながら事を成していくことはよいのですが、
それが行き過ぎて上手くいかなかったときに、
自分の不甲斐なさを強く責めるときがあります。
そんなときには、自分を責めすぎないことです。

また、そんな不器用な自分を認めてあげ、あるいは許してあげる。
頑張れたら、ほめてあげる。そんな自分に対する気づかいが大切になります。

ある新聞を読んでいて、「こんなことで悩んでいるんだなあ」と、
深く思ったことがありました。

70才の男性で、小学校4年生のときに、先生に叱られたというのです。
それが70才になっても忘れられないで、心に傷を負っているといいます。
その先生の𠮟り方が少し度を越しているのではないかと思うくらいです。

この人がいたずらをしてやめなかったので先生が怒って、多くの生徒の前に立たせ、
この人の手を拳(こぶし)にさせ、その手で自分のこめかみを叩けと命じたのです。
この人は言われるままにたたき続けたといいます。

そしてその後も教室に立たされ続け、
あまりの恐ろしさに学校から逃げるように帰ったというのです。
その体験が忘れられずにいるというのです。

いたずらをしたのは悪かったのですが、
先生の叱り方が心に深い傷となって残ってしまいました。

私も小学校のころに、こんなことがありました。
先生が「怒りはしないから、私を怖いと思う人は手をあげなさい」
というのです。

普段からみんなが怖い先生だと言っていたので、
みんなが手をあげると思って私は素直に手をあげました。
その時はあいにく一番前の席だったので、後ろの様子が分かりません。

教室は静かでした。
誰も手を挙げなかったのです。私一人だけでした。
怒らないと言った先生は、確かに怒りませんでした。
でも、みんなの前で嫌味を言ったのです。

ちょうどその先生は私の妹の担任もしたことがあって、
「杉田君の妹は優秀だけれど、兄のあなたは・・・」と、
みんなの前で、私の欠点を語り始めたのです。
恥ずかしく、つらい思いが残りました。

友達は後で私にいいます。「杉田は怒られてばかりだ」と。
なぜみんな怖いと言っていたのに、手を挙げなかったのだろう。
そんな思いも重なって、自分の不甲斐なさに立ち直れないでいました。

学校に行きたくはありませんでしたが、
その先生よりも父のほうがもっと怖かったので、
なんとか不登校にならずにすみましたが。
今でも鮮明にそのことは覚えています。

その体験から今では、
「そういう先生にはなりたくない。そういう人にはならない」
そんな思いで当時の自分を許し、あたたかく包んでいます。

時は流れて坊さんになり、
ある地区の保護司のみなさんに講演にいったことがありました。
かつてのあの先生がそこで保護司をしていて、私の講演を聞きに来ていたのです。

講師の控室に案内されると、その先生が挨拶に来られ、
「杉田君の話を楽しみにしていた」と言われました。
複雑な思いでした。

当時を思い、こんな歌を作りました。

許す手に抱かれあるを知りて今
み心うれし春の日を生く

この時に、許しているのは自分自身であったのですが、そうではなくて、
「不器用でも許され、何か大いなる方の慈悲のなかに抱かている。
大いなるその方のみ心を知ると嬉しく、
いつも春のようなあたたかな日々をいただいている私なんだ」
そんな意味の歌です。

先生に叱られ何十年も忘れられないでいる方も、
自分自身を許してあげ、春の日を生きていってほしいと思います。

学び多き人生を生きる

不器用であるというのは、それだけ学びが多いということです。
そんな不器用な自分をいつも見守っている尊い存在があるというのも
信じていいと思います。

私たちの心の内には、仏と同じ力、仏心が宿されていると言われています。
その心を感じ取れば感じ取るほどに、
いつも見守られている自分に気づくことができます。

人はこの世限りの人生で終わるのではありません。
永遠の時という人生の道を歩んでいます。こ
の時代に生き、そして後にくる時代に再び生まれてくる。
そのたびに、自分の弱点を克服していきます。

その弱点が、時には不器用な生き方になってしまうのですが、
それでも負けず一生懸命に生きていくことが尊いのです。

3月号で、このお話の最後に、
「不器用な生き方でも、今日この日を笑顔で精一杯生きていく。
この生き方が尊いのです」
と書きました。

そんな生きる姿勢が、不器用な生き方であっても、
さまざまな出来事のなかに大切な人生の宝を見つけ、
悔いのない人生を生き抜くことができます。

そのためにも、お互いが助け合って生きていくのです。