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法話

不器用な生き方でも尊い 2 不器用さはどこからくるのか

先月は「みな不器用に生きている」というテーマでした。
人はみな完璧に生きるのは難しく、不器用でも、
今日この日を笑顔で精一杯生きていくのが尊いという、そんなお話でした。
その続きで、さまざまな角度から考えていきます。

不器用なマナー

私が大学生の時でした。
冬であったのでコートを着たまま、教授の研究室に入ったのです。
すると先生が「杉田、部屋に入る時は、コートを脱いで入ってくるんだ」
と注意を受けたのです。

そのときは非常に恥ずかしい思いをし、
尊敬する先生であったので、それ以来、その教えを守っています。
知らないというのは、相手に失礼な思いをさせてしまうのだということを、
そのとき学ばさせていただきました。

マナーの本はたくさんでていて、やはり部屋に入る時はコートを脱ぎ、
しかも裏返しにして折りたたむと書いてありました。
コートについた汚れで部屋を汚さないという配慮からだそうです。

このコートを脱がないで部屋に入ってしまったという経験は、
マナーを知らないところからきています。

これが不器用な生き方とは関係しないかもしれませんが、
知らないことで、相手に不愉快な思いをさせてしまうのも確かなことです。

ある方の法事が終わって、食事の席に招かれた時のことです。
上座に法事をされた方のお位牌を安置しました。

ごく一般的には、そのお位牌から見て左側の列が上の席なりますが、
入り口の位置で、右側になるときもあります。
和室の場合では、一面の床の間での位置や脇床のある場合、
そして入り口の位置でも座る場所は変わってきます。

その法事の後の席で、私が座った場所は位牌が置かれた場所から見て、
右の席の一番上でした。

でも、私の座ったその後(うし)ろが、ちょうど入り口になっていたのです。
何と施主の挨拶の時には、私が入り口のドアを閉めなくてはならなくなりました。
マナーでは入り口が一番下の席になります。

この時は黙っていたのですが、あまり気持ちのよいものではありません。
施主の家族が上座で、僧侶の私と主賓の方々が下座であったわけです。

スタッフの人は失礼のないようにと心がけたのでしょうが、
これなども不器用な接待と言えばそうなりますね。
これも知らないところからきています。

そう考えてくると、私自身もマナーを知らないゆえに、
今までたくさん人に、不愉快な思いをさせてしまったことがあったかもしれません。

黒き芽を知る

こんな短歌がありました。どなたの歌なのかは定かではありません。

自我という黒き芽が出て
幼子は何を聞いても「イヤ」と答える

子どもでも、その子の性格にもよりますが、
幼少のころは言うことを聞かなかった子も、
小学校に上がるころになると少し落ち着いてきて、
人の言うことや、学校の先生の言うことを聞くようになります。

いつだったか、こんな出来事がありました。
車で移動中、信号が赤になって止まったときのことです。
赤いランドセルを背負った小学校低学年らしき女の子が、横断歩道を渡りました。
その子にとっては信号が青になったので横断歩道を渡ったわけです。
そして渡り終えるとこちらを向き、直角になるまで頭を下げ、
お礼の挨拶をしてくれたのです。

これには、驚きました。
素直というのか、大人にはできない振る舞いです。

横断歩道のないところならともかく、
当然渡っていいところを、頭を下げてお礼を言う。
大人であったら、どれだけの人ができるでしょうか。

このようなことは、小学生にはできるのです。
でも、中学生になるとできなくなります。

自我が芽生えて、恥ずかしさなどが邪魔をするのでしょうか。
これも、先に挙げた短歌の「黒き芽」かもしれません。
この黒い芽が心に巻きついて、不器用な生き方になっていくとも考えられます。

東日本大震災の時にも、避難所になっていた体育館で、ある女性が
「こうしていると何でももらえるので有り難いことですが、
子どもにもらい癖(くせ)がついてしまうのが心配だ」
と言っているのをテレビで見たことがあります。

あるいは、生活保護を受けていたお母さんが、子供が
「働かないで暮らしていけるのなら、僕も生活保護を受けて暮らす」
と言うのを聞いて、子どものためにも、自立して働いて生活をしていきたい。
そういった記事をどこかの本で読んだことがあります。

小さいころは純真だったのが、大人の世界に入っていくにしたがって、
心の中にある「黒き芽」という「煩悩」が目覚めてきて、
不器用な生き方になってしまうのかもしれません。

だから、正しく生きる術を学んでいって、
その黒い芽が心を蝕(むしば)んでいくのを取り払っていくことが必要なわけです。

困難の意味を知る

誰しもがこの世に生まれてきて困難に出会わない人はいません。

器用にその困難を乗り越えていけるか、あるいは不器用に生きて、
その困難に埋没し、苦しみもがくのか。
どちらを取るかは、その人の生き方にかかっています。

要は、その困難を冷静に受け止めて、
どのような原因があって、今ある困難に遭遇したのか、
さらには、この困難から何を学び取ればよいのかを考えていくことが大切になります。

『ヨハネによる福音書』の中に盲人の話がでてきます。
これは聖書に出て来るもので、仏教ではありませんが、
教えというのは洋の東西を問わず、正しいものは学んでいくべきでしょう。

イエスが道をとおっておられたときに、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは、イエスに尋ねた。

「先生、この人が生まれつき盲人なのは、誰が罪を犯したのでしょう。
本人ですか、それとも両親でしょうか」

イエスは答えられた。

「本人が罪を犯したのでもない。また、両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである(中略)」。

そう言って、地につばをはき、そのつばでどろを作って、
その盲人の目にぬって言った。

「池に行って目を洗いなさい」

そこで彼は池に行って目を洗った。
すると、目が見えるようになった。

(『ヨハネによる福音書』)

こんな話です。

ここで注目することは、
目が見えなくなったのは本人の罪でも両親の罪でもなくて、
そこに神のみわざが現れているという教えです。

このことをどう考えていけばよいのでしょう。

これは、
「目の見えない苦しみが何を教えてくれているのかに、静かに耳を傾ける」
ということです。

以前、目が不自由で見えなくなったおじいさんがいて、
そのおじいさんが亡くなり、葬儀の時に喪主が、
「おじいさんは晩年、目が見えなくなったけれど、
『俺はラジオが聞けるだけで、ありがたい』と言っていました。
自分にはできることではないと思い、ありがたく思いました」
と、そんな意味の謝辞をしていたことを思い出します。

このおじいさんにとって、
足ることを知って、今与えられていることに満足する。
そんな神仏の声を聴いたのかもしれません。

困難にあったら、そこにどんな意味があるのかを問い尋ねていく。
そんな生き方が、不器用な生き方であっても尊い生き方に通じていく。
そんな気がいたします。

そして、そこに、幸せに至る奇跡が起こってくるのかもしれません。

少しの幸せを大切にする生き方

人は子どもから大人になっていくにしたがって、
心を黒い芽(煩悩)のつるに巻かれ、この世の荷物をいっぱい背負っては、
重い、苦しいといってもがいているような気も致します。

言葉を換えれば、これだけのものがないと幸せになれないという価値観です。

他人の幸せを見ては比較をし、
お金があって生活に困らなく、きれいな家に住み、
健康で病気もなく、子どもがいればみないい子で、
お年寄りの介護もなく、みんな家族が笑顔で暮らし、
不安も失敗も悩みもない。そんな世界を幸せと思う。

これにこしたことはありませんが、
こんな荷物を背負っていたら、この中の一つでも欠けたら、
不満が口からこぼれ落ちてきます。

夢は大きく描いて、それに向かって努力をしていくことは大切ですが、
幸せは、小さな幸せでも、両手で有り難く受け取っていく。
そんな生き方が尊いと思うのです。

この境地をいつも心にたたえていると、どんな困難にあっても、
そこに隠れている幸せを探しだすことができる。そんな気がします。

元プロ野球選手で現役時代は2回の三冠王を取り、
野球監督としても活躍した落合博満さんが『采配』という本を出したことがあります。

私にとって野球は詳しくないのですが、
この本の中で「人生の采配」を語っているところがあり、興味を持ったのです。
彼は本の最後のほうで、このように書いています。

簡単なあらすじをお話ししてみます。

自分の人生を采配できるのは、ほかならぬ自分であり、
そこに第三者が介入する余地はない。
ならば、一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないか。

一杯の白飯と緩(ゆる)やかな時間。
その中で生きていこうとするのが、落合博満の「人生の采配」である。

(落合博満『采配』)

こう述べています。

一杯の白飯と緩やかな時間。
この二つの荷物なら軽く背負いながら、どんな坂道でも登っていけそうです。

小さな幸せを心にしっかり受け止めると、
そこに生きる力がわいてくるのかもしれません。

私自身いつだったか、誰も孫を寝かしつける人がいなくて、
いやいやながらも孫とお昼寝をしたことがありました。

その時、あたたかな陽ざしが居間に差し込んで、部屋の中できらきら揺れ遊んでいる。
そんな情景を見ながら、「ああ、これ以上、何もいらない」。
そんなことを思ったことがありました。

そんな小さな幸せが、生きる力になっていくのかもしれません。

自分はこういう人間だと決めつけない

落合さんの「人生の采配」は、不器用でない生き方かもしれません。
これは落合さんの自分自身の采配であって、その生き方を参考にはできますが、
人それぞれに、自分自身の「人生の采配」を見つけ出していく必要があります。

その中で注意することは、「自分はこういう人間だ」と決めつけてしまわないことです。

自分は短気な人間だ。
きつい人間だ、頑固な人間だ、何もできない人間だ。
自分は幸せにはなれない。
人には優しくなれない。
自分の性格は変えられない。

中には、自分は地獄に落ちる、それでもかまわない。
そんな人もおられます。そして、この性格は直らない、と決めつけてしまう。

しかし、です。
人の性格は変えることができるのです。

変えようとしないのは自分自身で、
それに気がつかないと、いつまでも不器用な生き方から脱することはできません。

まず、自分は変えられる。そう思います。
どう変わっていくのか。できれば穏やかで人を思う気持ちを持てる、
そんな性格を身に着けていきたい。

そのために、常に心にこのことを思い続け、
できればそのように生きている人の話を聞いたり、関連した本を読む。

こんな古歌がありました。

怠らず行かば千里(ちさと)の外(ほか)も見ん
牛の歩みのよし遅くとも

牛の歩みよりゆっくりでいい。
日々怠らず努力していくと、やがて千里(せんり)の遠きにも達することができる。

そのように、性格も穏やかに、人を思う気持ちを持てる人間に変わっていく。
自分はこのような人間だと、決めつけてはいけないのです。

相手を思う心の広さを大事にする

人はとかく自分のことばかりを考えやすいのですが、
相手を思う気持ちを深めていくと、不器用な生き方でも、
尊い人としての生き方に変わっていきます。

今年の2月17日は、作家の山本周五郎の没後50周年の命日だそうです。
山本周五郎が『樅木(もみのき)は残った』という作品を新聞に掲載していたころ、
読者から手紙をもらったといいます。

そこには、
「私は貧乏書生で新聞を定期購読できません。
毎朝、新聞社の支局前に張り出されている紙面で立ち読みしています」

その手紙に、こう答えていたといいます。
「恵まれた境遇にいる読者も大切だけれど、
僕には彼のような読者のほうが、もっと大切に思えるんだ」と。

新聞を取ることができなくて、でも『樅木は残った』 の小説が読みたい。
支局前に張り出されていた新聞で、毎日それを読む。なかなかできないことです。
そんな読者に山本周五郎が心を寄せています。
こうして相手を大切に思える姿勢が、小説を書く力になっていると思います。

相手のことをどれだけ思い、考えてあげられるか。
これは私たちにとっての永遠の課題です。

でも、この生き方が不器用な生き方の壁を打ち崩し、
その向こうにある幸せの花園へと誘(いざな)ってくれるのです。

(つづく)