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法話

幸せを呼ぶ生き方 2 幸せの価値観を広げる

今月は「幸せを呼ぶ生き方」の2回目です。
前回は「人生の幸、不幸を決める」というテーマで、
幸せについて考えてきました。続きです。

普通の暮らしが有り難い

毎月、この「法愛」と共に「月の言葉」を付けてお配りしています。

「法愛」が長くて読めない人は、この「月の言葉」だけでも読んでいただき、
何らかの人生のヒントを得ていただければという願いからお配りしています。

そんな「月の言葉」の中に、
ごく普通の生活ができていれば、充分幸せなのです。
という言葉がありました。

この言葉は平成23年の7月の言葉です。

この言葉がどこから出てきたかというと、
この年、平成23年3月11日、午後2時46分ごろに、
大きな地震が東北の地で起こりました。

長野県の伊那に住んでいる私の所もかなりの揺れで、
家族みんなで外に飛び出しました。

その時の地震は、気持ちが悪くなるほどの揺れでした。
しばらくして収まったので家の中に戻りテレビをつけてみると、
今まで見たこともないような大津波が多くの町や村を襲い、
車や家がおもちゃのように流されていくのです。

東日本大震災です。

そんな報道から、あたりまえに暮らしている平凡な日々が、
実はそうではなくて、とても有難いことなのだと、自覚したのです。
そんな状況の中から出てきた言葉が、この「月の言葉」なのです。

友の壮絶な体験

陸前高田市に慈恩寺というお寺があります。
そこの和尚さんとは布教師仲間で、ずっと交流を続けていて、
当時、連絡もとれないまま、心配をしていました。

テレビで見る陸前高田市の市街も相当の被害にあっていました。

そのお寺は広田町にあって陸前高田市の市街よりも半島よりで、
少し小高いところにありました。
以前、そのお寺にお話しに行ったことがありましたが、立派な伽藍のお寺でした。

その年の10月ごろでしたか、慈恩寺の和尚さんが伊那に来られて、
ご法話をされる機会があったのです。
そこで当時の事情を話してくださいました。

3月11日、大きな揺れが襲い、津波がお寺の庭先まで押し寄せてきました。

お寺は高台にあったので、伽藍自体は助かったのです。
お寺から町を見ると、そこには信じられない光景がありました。
家が次々と流されていくのです。

お寺には40名ほどの方々が避難してきました。
余震があれば、お寺も危ないと思い、
夜中でも、みんなでさらに高い墓地に逃げました。

お寺にあった、ありったけの食料を出して4日ほど凌(しの)ぐと、
自衛隊が助けにきてくれ、そのとき「これで助かった」と心の底から思いました。

お天道様が東から西に沈む。
テッシュペーパー1枚があることが有り難い。

そんなことを恥ずかしながら知りました。
普通の生活ができるというのは、あたりまえでなく、有り難いことなのです。

お寺の子供会に来ていたひとりの女の子がいました。
その子が大学に行き、卒業して、地元の役場に勤めることになりました。
就職が決まったときにも、笑顔で「和尚さん、役場に勤めることになりました」
と報告に来てくれました。

そんな彼女が、仕事で役場にいて、津波にのまれ、
帰らぬ人となってしまいました。

涙ながらにお葬式をして、49日の日に白い木のお位牌を見ると、
しっかり筆で書いた戒名が、水で濡れたようになって、
戒名の字がぼやけています。

「どうしましたか」と、その家のおじいちゃんに聞くと、
おじいちゃんが言います。

「あまりにも孫が可哀そうで、夜、位牌を抱いて寝るのです。
涙が出て、位牌を涙で汚してしまいました。申し訳ない」

慰めの言葉も出ないのです。
家族が元気で日々を暮らせるというのは、
あたりまでなく、有り難いことなのです。

こんな話をしてくれました。

何の不自由もなく暮らしていると、
その有り難さがわからなくなることがあります。

時々、自分を振り返ってみて、
与えられている事ごとに、目をも向けることが大切なのですね。

幸せの底を広げる

ある川柳にこんなものがありました。

このバラが昼食代だと知らぬキミ

奥さんの誕生日の日なのでしょうか、それとも結婚記念日の日でしょうか、
バラを買ってプレゼントした。

それが昼食を食べないで我慢し、そのお金でバラを買った。
そのことを知らない「キミ」と歌っています。

あるいは、

お金がなくてプレゼントできない。
そう思った人が、ある家から一輪、頭を下げて、そのバラをもらい受け、
それを奥さんにプレゼンとしたことがあった。

当時は生活が苦しく、今は豊かになったけれど、
あの時、バラの花をもらったことが忘れられなく、
ずっと心に残っている。

そんな奥さんもいらっしゃいました。

高価なダイヤモンドのリングも嬉しいのですが、
粗末であっても心のこもった贈り物は、忘れないでいるものです。

幸せは、それが粗末なものであっても、
そこに相手の気持ちを読み取ることで、見つけ出すことができます。

「幸せの底を広げる」という言葉をここで使っていますが、
不幸なことばかりに目を向けないで、今与えられているものに目を向けると、
幸せの空間が広がってくるのです。

高価なものをいただく、
満ち足りた生活ができる、
苦労のない日々を送れる、
そんな生活のみに幸せがあると決めつけない。

粗末なものにも幸せがある、
暮らしに困ってもそれなりの幸せがある、
苦労の中にも笑顔の生き方がある。

そう思えば、幸せのあたたかな風が吹いてきます。

すべてが幸せの栄養素と考える

今年1月2日と3日に行われた箱根駅伝は、
正月にはなくてはならない注目を集める行事です。

今回優勝したのは青山学院大でした。
それぞれの立場でよく走り戦いました。

そんな走りの中で、それぞれの大学で起こった、さまざまなドラマは、
みな人生の大切な糧として、忘れられない出来事になることでしょう。

1位になった青山大のアンカーは、笑顔で両手を握りしめゴールし、
2位になった東洋大のアンカーは
「申し訳ない」という顔をして、手を合わせてのゴール、
3位の早大のアンカーは苦しい顔をしてのゴールでした。

あるいは先頭より20分以上遅れ、
タスキを受け取ることなく走らなくてはならない選手もいて、
それぞれの選手の心のうちは察することができませんが、
お互いに素晴らしい何かをそこにつかみ、得難い心の養いになったと思います。

青山大の7区を走った田村選手は、大会直前に風邪を引き、
そのためか15キロ付近からペースが大幅に落ち区間では11位の結果でした。

その田村選手のタスキを受け取り走り出したのが、下田選手。
「任せろ」と勢いよく飛び出して、区間で1位の走りを見せました。

下田選手は、
「出雲、日本大学駅伝では僕が振るわず、田村に助けてもらった。
田村がダメなら僕が走る。それが駅伝」
そう語りました。

田村選手は走り終わると病院に運ばれ、
閉会式に出ないで、そのまま寮に帰るつもりだったのが、
アンカーの安藤選手が必至で走っている様子を車内のテレビで見て、
「ここから逃げちゃだめだ。他のメンバーにありがとうを言いたい」
と、戻ってきて閉会式に出ました。

このエピソードを聞くだけでも、
すべてに無駄がない。みな心を養う大切な出来事だ。
そう思うのです。

そんな前向きな生き方に、幸せがたくさん見えてくるのです。

幸せが逃げていく

幸せは不思議な動きをします。
これもよく知っておくことです。

どんな動きをするのでしょう。
それを知っていないと、幸せが逃げていってしまうのです。
それは、自分の幸せのことばかり考えていると、
なぜか幸せが逃げていくということです。

極端な例を一つ挙げてみましょう。

拓殖大学の客員教授をなさっている石平(せきへい)さんという人がおられます。

石平さんは、1966年に中国に生まれ、2007年、日本国籍を取得し、
現在テレビに出たり、たくさんの著書を表しては、
今の中国の様子を詳しく伝えています。

その石平さんの『中国人の正体』という著書の中に、こんなエピソードがでてきます。
路上で倒れて人を助けない中国人という話です。

2006年11月、
南京市内のバス停留所で倒れていた老女を若者が助けたのです。
驚くことにその老女は「私を倒したのはお前だ。責任を取れ」と言い出し、
助けてくれた若者に訴訟を起こしたというのです。

この事件は中国で有名になり、それ以来、中国では老人が倒れていても、
みんな知らんふりをするようになったのです。

そのため、広東省の広州で、老人が卒倒し、
路上で2時間も倒れていて、誰もその老人を助ける人がいない。
そのため、その老人は死んでしまったというのです。

南京ではまた75才の老人がバスから降りる時に転倒したのですが、
誰も助けない。
老人は仕方なく、こう叫んだそうです。

「間違いなく、自分で倒れました。
みんなの責任ではありません。どうか助けてください」と。

さらには2011年10月13日、2才の女の子が車にひかれ、ひん死の状態。
それを18人の人が無視し、別の車にもひかれ、
やっと、どなたかが病院に運びましたが、意識不明の重体だというのです。

最初に出てきた老女が、自分が転倒したのに、
それを助けようとした若者の責任し、うまい汁を吸おうとした。
ここに問題があったわけです。

これは自分の幸せのことばかり考えている生き方で、
そこからは幸せは逃げていくのです。

幸せは、奪おうとすると、つかまらないのです。

幸せを逃がさない秘訣

そんな幸せを逃がさない秘訣は何でしょう。

たくさんの秘訣があると思いますが、
ここでは辛抱強さを挙げておきたいと思います。
つらくても忍耐強く生きていくということです。

できれば、正しい幸せの価値観をもって、辛抱強く生き抜いていくことです。
箱根駅伝でも、辛抱強く走っていれば必ずゴールに行き着くように、
人生にも必ず幸せのゴールがあるはずです。

岐阜県に伝わっている「味噌買い橋」という民話があります。
少し簡略化して、お話ししてみます。

「味噌買い橋」

長吉という貧しい炭焼きがいた。

ある晩のこと、長吉は夢を見た。
仙人様のような白い髭(ひげ)をはやした爺(じい)さまが、
「目が覚めたら、高山の町に行って、味噌買い橋の上に立っていなさい。
いいことが聞けるぞ」
そう言った。

長吉は起きると、さっそく山の村から高山の町へ出かけていった。

町に着くと、味噌買い橋はどこにあるのかと尋ねまわった。
するとひとりの婆さまが、その場所を教えてくれたので、
何べんも頭を下げお礼をいって、教えてくれた味噌買い橋まで走っていった。

その橋に一日中立っていると、
行き交う人が不審(ふしん)な目で、邪魔くさそうに見る。
狭い橋だからなおさらのことかもしれない。

長吉は、耳をさらのようにして、いい話はないかと聞いた。
しかし、さっぱりいい話はない。

その日が暮れかかって、もう帰ろうかなと思ったが、
じっと辛抱して立っていたら、きっといい話が聞けると思い、
次の日も次の日も立っていた。

ちょうど、五日目の朝のこと。
豆腐屋の爺さまが尋ねてきた。
「お前さん、ずっとここに立っていて、どうしたのかね」

「おら、夢をみただ。ここに立っていると、いい話が聞けると」

「何を言っておる。夢を見たことをいちいち本気にしとるのかね。
わしも夢を見たぞ。乗鞍のふもとの沢上の、
なんたらという男の家の杉の木の下に、小判がどっさり埋めてあるという夢じゃ。
あほらしい。そんな場所、わしは知らないし、聞いたこともない。
夢なんか忘れて帰りなさい」

そう言うと、豆腐屋の爺さまは「仕事、仕事」と言って、
あわてて行ってしまった。

長吉は、いい話を聞いたと思い、
豆腐屋の爺さまが言った場所にとんでいった。

そして、その場所を掘ると、大きな壺(つぼ)が出てきて、
ふたをあけると小判がざくざくでてきた。

長吉はいっぺんに長者さまになって、福徳長者と呼ばれるようになった。

こんなお話です。

白い髭の爺さまの夢を信じ、
五日も橋の上に立っていた長吉の辛抱強さには、頭が下がります。

ここでは、富を得たいという欲深な思いではなく、
素直に夢を信じて辛抱する、そんな教訓を学べます。

そして、その素直な思いで、辛抱強く待った、
そのおかげで富(幸せ)を得ることができました。
忍耐強く努力を惜しまないで生きていくと、必ずいいことがあるものです。

幸せになる生き方には、たくさんの生き方があります。
なぜならば、その人にあった幸せがあるからです。

今回、さまざまな視点から、幸せになるためには、
どう幸せと向き合っていけばよいかを考えてきました。

幸せは自分で作り出していくもので、
そのために、自分自身の人格を高めていく必要があります。
その道に終わりはありません。