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法話

幸せを左右する言葉の力 2 心の思いが言葉として現れる

先月は、1つの言葉で幸せになったり、不幸になったりする言葉の力についてお話を致しました。
続きのお話を致します。

言葉は気持ちの現れ

言葉というのは、喧嘩をするためや、言い争いをするためにあるのではなくて、
相手の気持ちや思っていることが分からないので、
相手は今どのような気持ちなのか、
あるいは私自身の気持ちをどう伝えればよいかを、
手伝うために言葉があるのだと思います。

ですから、この言葉を上手に使っていくことが大切なのです。

言葉があるという表現ではなくて、
神仏(かみほとけ)が、お互いの気持ちを上手に伝えるために、言葉を授けてくれた、
そんな気も致します。

また、この言葉は気持ちの現れであり、その人の心の思いを現わしているのです。

たとえば好意を持っている人がいれば、その思いは言葉に現れます。
それはあたたかな言葉だったり、感謝の言葉かも知れません。

逆に相手に対して、憎しみや怨みの思いを持っていれば、
相手を拒否する言葉であったり、きつい言葉や、怒りの言葉になるかもしれません。

言葉の前に、自分の思いが大切

辻井伸行さんを知っている人は多いと思います。

2009年に、アメリカで開かれたヴァン・フライバーン国際ピアノコンクールで、
日本人として初めて優勝したピアニストです。当時21才で、目が見えません。

その様子をテレビで見て、最初に思ったことは、
この子はどう育てられたのだろうということでした。

目を開けずに、どうしてあんな演奏ができるのだろう。
そんな疑問が心を駆け巡ったのです。

そういえば、『五体不満足』(1998年)という本が、16年ほど前にでました。
乙武洋匡(おとたけひろただ)という人が書いた本です。

先天性四支切断という病気で、足も手もなく、
電動車椅子に乗っている写真が本の表紙に載っていて、非常に印象的でした。

そんなわが子を見たおかあさんは、
卒倒するのでなく、ほほえんで「かわいい」と言ったといいます。

そんな思いが、乙武さんを立派に育てていったのでしょう。
そして、そんな思いが「障害は不便です。しかし、不幸ではありません
という言葉に転じていったのではないかと、私は思っています。

一方の辻井さんはどうでしょう。彼は今年で26才になりますが、
生まれた時から眼球が成長しない「小眼球」という難病で、目が開けられないのです。

お母さんはいつ子さんといって、彼を28才のときに授かりました。
出産から退院まで一度も目をあけないので、
母親の勘で「何か変だなあ」と思ったようです。
目の障害と分かりずいぶん落ち込みました。

太陽の光が認識できず、昼夜が逆転して、
3才ころまで、3食とも夜中で、真っ暗な街中を2人で散歩して歩いたそうです。
ずいぶん子育てに苦労したのだと思います。

心に暗い思いを抱いていれば、
きっとマイナスの言葉ばかりでて、生きるのが辛いと思います。

生後8カ月で、スタニスラフ・ブーニンの「英雄ポロネーズ」をかけると、
足をばたばたさせてご機嫌になったのです。

そして、2才3カ月のとき驚いたことに、
「ジングルベル」を口ずさむと、おもちゃのピアノで伴奏したといいます。

いつ子さんは言います。

「『この子のために自分のすべてを犠牲にしていい』とは思いませんでした。
自分自身が自分らしさを失い、あきらめた時点で、息子の光輝く道も閉ざされる。
壁にぶち当るたびに、わが子の可能性を信じようとしました。
すると闘志がわいてくるのです」

(中日新聞 平成21年7月12日付)

このお母さんの思いを知って、
「なるほど、辻井さんが目が見えなくても、立派にピアニストとして成長したのだ」
と思ったのです。

思いの中で、
「息子の犠牲になるのでなく、私自身、自分らしさを失わず、息子を信じる」
そんな思いが、言葉になって現れてきます。

「私も講演活動に力を入れて子育てに悩む人々を支えたい」と。
それを聞いた息子の伸行さんは「お互いにがんばりましょう」と喜んでくれたといいます。

言葉の前に、思いがあるのです。
その思いが言葉に現れてくるのです。

ですから、思いを常に正しく前向きにしておくことが大事になのです。

言葉が現実化してくる

思いが言葉に現れてくるのですが、その言葉を何度も使っていると、
その言葉道理に、人生が展開してくるという法則があります。

たとえば、「いつもお金がなくて、私は貧乏だ」と常に言っていると、
そのようになってきて、お金は入ってきません。

「貧乏だ、貧乏だ」という思いは、欲望の裏返しで、
「もっと欲しい、もっと欲しい」と言っているのと同じで、
そのような人の所へはお金は入ってこないのです。

ですから、
「いつも充分な生活が出来てありがたい」「働けて嬉しい。おかげさまだ」
と思っていることです。そんな人の所へ、お金は廻ってくるのです。

お金ばかりではありません。
「毎日大変だから、交通事故になって死んだら楽だ」などと言っていると、
いつかそうなるでしょう。

こんな人もいました。
「和尚さん、仕事がなくて大変で、首つりの木を探しているところですよ」
と冗談で言っていた職人さんがおられました。
そんなことを、お会いするたびに言うのです。
その人は屋根から落ちて亡くなってしまいました。

言葉が現実化してくるのです。
ですから、マイナスの言葉には気をつけなければなりません。

心で思っていること、それは言いかえれば心の姿です。
その心の姿が、言葉に現れ、それがまた現実の生活の中にも現れてくるのです。

幸せを左右する言葉の力 3 言葉と人生のかかわり

言葉が心の栄養になる

心の思いが言葉として現れるというお話をしましたが、
逆に言葉が心の思いや生き方を決めていくこともあります。
言葉が人生観に深く影響してくるのです。

ですから、プラスの正しい言葉を持っていることが必要です。
そんな大切な言葉を心のドアを開けて、心の内に入れてあげることが大事なわけです。

この『法愛』はたくさんの方に読んでもらっていますが、
読まれる人によって、気づきを得るところが違っていると思います。

あたかも薬のようで、
風邪をひいたら風邪薬、食べすぎたら胃腸薬、怪我をしたら傷薬など、
その症状にあった薬を使います。

同じように、この『法愛』を読んで、
心を動かされる所が読む人によって違っていると思うのです。
それはみな人生の問題が違っていたり、人生の課題が異なっているからかもしれません。

『法愛』を読んでいるかたから、感想を書いたハガキやお手紙をいただきます。
ちょうど平成21年の6月の『法愛』を読んだ人から次のような文章をいただきました。

この6月のメイン法話は『命、終わる時は楽しい』で、
「与えなさいという声」の章では「笠地蔵」の話をし、
「最期の言葉を残す」の章では、こんなエピソードを載せました。

あるおじいさんの葬儀をしたときに、息子さんが謝辞で
「私の父は目が不自由なって20年近くなりますが、
それで愚痴をこぼしたことは一度もありませでした。
『おれはこうしてラジオが聞ける。それだけでありがたい』と言っていました」
と、涙をこぼしながら挨拶をしていたのを忘れられないでいます。

ハガキをくださった方は、こう書いています。

「与えなさいという声」のテーマに、心がドキッとしました。
この世は投げかけたものが返ってくると本にありました。

喜んでお布施をしようという思いの前に、
お布施の後の喪失感を思うと、不安でなかなかできません。
その欲を捨てる練習が私には必要です。

別の方から、こんな手紙をいただきました。

私はなんと不平の多い日を過ごしていることでしょう。それに比べて、
「目が不自由になってもラジオを聞けるだけで幸せ」と言いきれる立派さ、
また感謝して旅立つ人、こういう人たちがいることに驚きとともに、
感心するばかりです。

感謝して旅立てるというのは、
「みにミニ法話」の中に、ある女性の言葉を載せたのが、心に響いたのです。

ありがたや 楽しくかえる ふるさとへ

亡くなって誰もが死んでしまうのだけれど、あの世がちゃんとあって、
この世の旅路を終えて、もといたあの世の古里に帰ることができる。
嬉しくてありがたいという俳句です。

今回のテーマでいえば、
この俳句の言葉を心に受け取り、驚きとともに反省をしています。
人生の意味をいただいて、思いを深めています。

もう1人の方のものを紹介しましょう。
この方は女性ですが、最近、色々なことがあって、旦那さんが急に会社を解雇され、
今まで給料が入っていたのに、それが入らなくなり、さらに不安な事ごとが重なり、
心が乱れてきたと書いています。

今日『法愛』6月号をいただきました。
ほんとうにありがとうございました。

表紙の「二つの心」の詩を読み、涙しました。
私の6月の目標は、穏やかな心でいられる自分になることと決めました。

この方は、6月号の最初の詩の言葉に人生の意味を感じ、
その言葉をいただいて、6月の目標にしています。

「二つの心」の詩を載せてみます。
紙面の関係で、少し読みにくいかもしれませんが、勘弁してください。

二つの心

穏やかな心と 乱れた心
今日一日 どちらの心を持ち 生きてきたであろう

乱れた心は 悪いことばかりが見える
我欲の波と 不満の波が 心の湖面をあらす

穏やかな心には 善いことばかりが見える
満足と幸せと 感謝の思いが 心の湖面を 平らかにする

心を乱すな 穏やかであれ
そう念じ 今日の日を 大切に生きる

この詩を読んで、良い言葉が心を育てる栄養素になっているのではないかと思うのです。

1つの言葉が人生を変える

また1つの言葉をいただいて、
それが心に染(し)み入り、人生を好転させていく、
あるいは人生を幸せへと誘(いざな)っていく、そんな言葉もあります。

私の場合ですが、この話は『自助努力の精神』という本でも書きましたので、
知っている人も多いと思います。

私の父は56才でガンで亡くなっていきました。
父が心配していたのが、お寺の跡継ぎのことです。

私はなかなか坊さんになる決意ができず、半年ほど迷っていました。
父が亡くなっても決められずにいたのです。

父の葬儀を出した後のある日、
母が父のもの整理していると、父の残した遺品の前で泣いているのです。
「寛仁、これを見ろ」と私を呼びます。

そこにはお寺の般若法要で使うお札を、白い紙で包んであったものがあり、
その上に「寛仁君、たのむ。たのむ」と書いてあったのです。

いつ書いたのでしょう。病院に行く前に書いたのでしょうか。
それを書いた時点で、父は死を覚悟していたのかもしれません。

この言葉が心に染み入ってきて、坊さんになる決意をしたのです。

人生を省みれば、みんなこんな言葉を持っていると思います。
1つの言葉が人生を左右し、行く道を決めるのです。

あるいは旦那さんが40才で亡くなってしまった、1人の女性がおられました。

私が葬儀の導師をしたのですが、
子どもさんが3人いて、下の子はまだ3才くらいだったと思います。

葬儀がすんで、今後のことを相談に来たとき、
その女性の、笑顔が消えた暗い顔を見て思わず
「00さん、大丈夫ですか」と問うたことがありました。

それから10年ほどして、その女性が、
あのとき和尚さんから「大丈夫ですか」と言われたのが、とても心に染みて、
勇気づけられ、あれから一生懸命頑張ることができましたと教えてくれました。

私の何気ない言葉だったのですが、
1人の女性にとっては、大事な言葉として、人生を歩む力になったのです。

その女性もお孫さんができ、今はとても幸せに暮らしています。
言葉が人生を変えていく、そんな力が言葉にあるんだなあと感じます。

良い言葉は受け入れやすいのですが、悪い言葉を受け取ったときにどうするかです。

ある人が悪口を言われたら、
二酸化炭素を吸収する植物のように、自分の栄養素にしているという人がおられました。

悪口はこやしで、こやしは臭いかもしれないけれど、
こやしがなければ花も咲かない、そう思っているというのです。

あるいは、悪口を言われたとき、
犬は月に吠えるが、月はいつも光輝いている
ということわざのように、圧倒的善念で、ほほえみをたたえていることですね。

(つづく)