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法話

幸せのひだまり 3 幸せの家を建てる

先月は「幸せのある場所」というテーマで、
健康や元気で働けること、家庭があたたかであること、
そして学ぶことのできる幸せなどを考えてきました。続きです。

真なる大切な道

先月は、このお話の最後のほうで、
『往生要集』(おうじょうようしゅう)からの引用を致しました。

もう一つ『沙石集』(しゃせきしゅう)という本からの引用をします。
これは仏教的説話集で、無住(むじゅう)というお坊さんが著したものです。
時代は鎌倉時代の人です。

人間があわただしく動き回って、死の近づくことも知らず、
眼前(がんぜん)のかりそめのことのみに心奪われ、
この身終わった後の真に大切な道のための糧(かて)について、
心を配らないことは、静かに思いめぐらすと、本当に悲しいことである。

多くの人は、この世のことばかりに心を奪われ、
亡くなった後に、幸せの世界へ行くための学びをしない。
ああ、本当に悲しいことだと言っています。

今どのように生きれば、死後、幸せの国で暮らすことができるのか。
そのために、生きる糧に心を配り、学んでいくことが大切なわけです。

年を取ってくると、目が弱ってきて、小さな字が見えなくなってきます。
これは何を意味しているかです。

ただ単に、年を取ったから、視力が弱くなったというばかりでなく、
「あなたに死が近づいているのですよ」
と、神仏が教えてくれているのではないかと、私は思うのです。

これも先月お話した、神のみわざかもしれません。

小さな字がぼやけて見えてきたら、
この身が終わった後の世界のことを考え、そのための学びを積んでいくことです。

こんな考えを踏まえ、今生きているときに、
どのように安らかな幸せを築いていくかを考えていきます。

小さな幸せを発見する

家を建てるには、まず基礎を築かなくてはなりません。
基礎がしっかりしていなければ、
家を建てても、家が傾き、すぐ壊れてしまいます。

幸せの家を作る基礎になる部分が、
「小さな幸せを発見する心の眼を持つということ」
です。

小さな幸せを常に発見し、幸せでいられる人は、
幸せになる基礎の部分がしっかりできることになります。

この法愛は12月号ですが、書いているのは11月1日です。
そんな朝、ある新聞(産経)に、こんな記事が載っていました。

「1日だけでいい、家族としゃべりたい」という見出しで、
12才の少女のことが書かれていました。

彼女の名前は森琴音(もりことね)さんです。

3才のときに事故にあって心肺停止になり、一命を取り留めたのですが、
下半身がまひし、声はでるのですが、言葉にならなくなってしまったといいます。

ですから、会話は文字盤でするのです。
それには時間がたくさんかかります。

そんな彼女が長い時間をかけて文字盤に文章を書きました。
「わたしの願い」という題です。

少し長いので省略しようと思ったのですが、
そうすると彼女の思いが通じなくなるので、全文を載せてみます。

「わたしの願い」

口が うまく うごかない
手も 足も 自分の思ったとおり うごいてくれない
一番 つらいのは しゃべれないこと
言いたいことは 自分の中に たくさんある
でも うまく 伝えることができない
先生や お母さんに 文字盤を 指でさしながら
ちょっとずつ 文ができあがっていく感じ
自分の 言いたかったことが やっと 言葉になっていく
神様が 1日だけ 魔法をかけて
しゃべれるようにしてくれたら・・・
家族と いっぱい おしゃべりしたい
学校から帰る車をおりて お母さんに
「ただいま!」って言う
「わたし、しゃべれるよ!」って言う
お母さん びっくりして 腰を ぬかすだろうな
お父さんと お兄ちゃんに 電話して
「琴音だよ! 早く、帰ってきて♪」って言う
2人とも とんで帰ってくるかな
家族みんなが そろったら みんなで ゲームをしながら おしゃべりしたい
お母さんだけは ゲームがへたやから 負けるやろうな
「まあ、まあ、元気出して」って わたしが言う
魔法が とける前に
家族みんなに 
「おやすみ」って言う

それで じゅうぶん

(産経新聞 2013年11月1日付)

こんな文章です。

神様が1日だけ魔法をかけてしゃべれるようにしてくれたら、
といってその思いを書いています。

最後に魔法がとける前に「おやすみ」って言う。
「それでじゅうぶん」とも書いています。

私は自由に話せて、家族との会話もあります。
「いい法話ができますように」と、神様に祈ったことはありますが、
声が出ますようにと神様にお願いしたことはありません。

しゃべることができるだけでも幸せであるわけです。
家族との会話もできる。電話もかけられ、歌も歌える。
おはようや、おやすみも言えるし、最も美しい言葉「ありがとう」も言える。
小さなことのようで、大きな幸せをいただいています。

こんなまわりにある幸せを発見し、強く幸せを思う。
これが幸せを作り上げていく、基礎の部分になるわけです。

あたりまえの生活を見つめ直す

小さな幸せを見つけることができる。
それが幸せの基礎を作っているとお話ししました。

でも、人間は忘れやすく、
また日ごろから充分に与えられていると、
それをあたりまえに思ってしまうものなのです。

病気をすると、元気に動け、働けることが、
どんなにありがたいものなのかを知ります。

病院のベットで何日も過ごしていると、
仕事が大変でも元気でいられることのほうが尊く思えるようになります。

それが病院を出て、1年も元気で暮らしていると、
病気であんなに元気でいられることがありがたいと思っていたのが、
すこしずつ失われ、元気でいることがあたりまえになっていくのです。

ですから、ときどき自分の生活を省みて、
あたりまえに思っているその思いを点検し、
あたりまえでなく、ありがたいことなのだと思い返すことが大事であると思います。

この『法愛』も1ヶ月に1度です。
毎月お読みいただければ、自分の生活を省みる縁(よすが)になると思われます。
あたりまえを見直す一つの方法かもしれません。

感謝を忘れてしまうとき

「当たり前」に感謝できない、と言って悩む人もいます。
ごく普通の人は、こんなことで悩まないと思いますが、
深く心を見つめている人なのでしょう。

ある新聞の「人生案内」にでていた悩みです。

30才主婦。パートで働きながら4人の子どもを育てています。

数年前、子どもが病気で2ヶ月入院したことがありました。
私は泊まり込みで付き添いました。

当時病室の窓から空を眺めては、
「家族みんなで食卓を囲みたい」
「付き添いのベットでなく、自分の布団で眠りたい」
「早く普通の生活に戻りたい」
など願っていました。

子どもが退院した時、普通に過ごせることに、ありがたみを感じました。
今後は大切に時間を過ごそう、出会う人を大切に思っていこう、と決心しました。

しかし、最近は忙しくてものごとが思うようにはかどらず、
いらいらして子どもたちをがみがみしかってしまいます。

たまに暇ができても、のたりのたりと惰性で一日をすごしていまいます。
毎日を一生懸命生きていません。

当たり前の生活に感謝しながら生きていこうと決めた初心を、
どうやって保っていけばよいのでしょう。

(読売新聞 平成20年11月21日付)

こんな相談でした。

相談者は「今が一番いい時かもしれないね」と思って、感謝を忘れないでいる。
そう自分は自戒していると助言していました。

病院で付き添いをして思うことは、自分の布団で眠りたいということですね。
そのときは思って、退院し、家に帰り、自分の布団で寝る。

なんて幸せなんだろうと、そのときは思う。
でも、1ヶ月、1年経っていくと、その感動も薄れ、
自分の布団で眠るというあたりまえのことに感謝できなくなるものです。

ましてや子どもさんが4人もいるのですから、
つい叱って、心を乱すのも無理はありません。

ここで、相談者が自戒していると書きましたが、
「子どもとこうして暮らせるのも奇跡の毎日だ」と、自らを戒めて暮らすことです。

「今日はこんな幸せを発見したわ。ありがたいことね」と、
自分を戒め暮らしていくのです。

そしてときどき、初心の頃のことを思い返しては、
人として正しく生きる教えを学び、心の勉強をしていくことです。

感謝には深さと広さと高さがあります。
感謝一つとっても、学び尽くせない深いものがあるのです。

幸せを自分で作り上げる

次に幸せの家を建てる心構えは、
幸せは人からもらうものでなく、自分の力で作りあげていくということです。

これは家にたとえれば、柱の部分になるところです。
柱ですから、これがなければ家は立ちません。

そのために、「幸せになりたい」と思うことです。
何事も思わなくては事は始まりません。

家を建てたいと思う。
そう思って初めて家が立つための行動ができます。

「家が立っても立たなくてもいい」「誰か家をくれないかなあ」
と思っていれば、恐らく家は立たないと思います。

同じように「幸せになっても、ならなくても、どちらでもいい」とか、
「誰か幸せにしてくれないかしら」と思っていれば、幸せはやってきません。

「いい坊さんになりたい」と思って努力していけば、それに近づいていきます。
「いい先生になりたい」と思えば、その可能性が開けてきます。

この10月28日に、野球に一生をささげた川上哲治さんが93才でなくなりました。
川上さんは「いい選手になりたい」と思って、努力し、
やがて打撃の神様と呼ばれるようになりました。

その最初の出発点が「なりたい」です。
そして「常に勉強」というスタイルを変えなかったといいます。

川上さんで有名なのが、「ボールが止まって見える」という言葉です。

昭和25年の夏、カーブを打つ特訓をしていたときのことです。
打撃投手を相手にバットを振っていたとき、突然ボールが止まって見えたというのです。

この感触を忘れないために、2時間もバットを振り続け、
打撃投手が「もう勘弁してください」と泣きついたといいます。

川上さん自身「我が道をゆく」といったタイプだったそうです。

あるとき、巨人の監督になるにあたって、
師と仰いでいた岐阜にある正眼寺(しょうげんじ)の
梶原逸外(かじわらいつがい)老師を訪ねたようです。

老師は私の父の師匠でもあった人です。
老師から、「個の選手が氷であれば、今後は水となるべし」という教えを受け、
その教えを指導者のあるべき姿として悟り、「我が道をゆく」という個の自分を捨て、
水になってチームにとけ込み、我が身をささげたのです。

その精神が、昭和40年から9年連続の日本一という偉業を成したのです。

氷のままでは器に入れても、がちがちして飲めもしません。
水になればどんな器にも従い、和合していきます。
それを指導者としての在り方に重ねたのでしょう。

名選手、名監督の原点が、
「いい選手になりたい」「いい監督になりたい」という思いから出発しています。

誠実に仕事をし、誠実に生きる

幸せになりたいと思い次にすることが、幸せに向かって努力することです。
努力の上につく精神は、誠実さです。

誠実に努力する。
誠実に仕事をする。
誠実に生きるということです。
まじめに幸せを求めていくことです。

最近、あるホテルのレストランで、
メニューの表示と異なる食材が使われていたという記事が新聞に載っていました。

「和牛」と書いてあるのに、ほんとうは「豪州産」であったり、
産地が異なる野菜を「大和野菜」とか「京ネギ」と表示する。

あるいは「鮮魚」と書いてあるのに、冷凍の魚を使っていたりと、
かなりたくさんの表示の間違いが指摘されていました。

これはみな、誠実さのない仕事です。
儲けのほうを重んじて、顧客を軽んじている姿勢は誠実さを欠いていて、
いつかはばれ、痛い目を見るのです。

誠実に幸せを求めていく生き方に、
安らぎ満ちた陽(ひ)がさしてくるのです。

幸せのひだまりに住む

もう一つ大切な幸せの求め方は、精神的な学びを積み重ねていくことです。

物が得られて幸せを感じることも大切なことですが、
それとともに、精神的な学びを積み、それが得られて幸せを思うことです。

お釈迦様の教えの中に、

尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、
これがこよなき幸せである。

「ブッダのことば」

とあります。

5つのことが出ていますが、この中の一つでも得られていれば、
幸せという家の外観が整い、美しい人生を生きているといえましょう。

初めに無住(むじゅう)というお坊さんの教えをお話ししました。
この身の命など過ぎてしまえば「あっ」という間です。

そして過ぎてしまって後悔しないように、
眼の前のかりそめのことばかりに心をむけないで、
死して後の世界のことも考えにおき、
いつも幸せのひだまりに住み、
そして、その幸せの光を他の人に照らしていくことです。

みんなが幸せのひだまりに住む。
それは人の願いでもあり、神仏の願いでもあります。