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法話

このお話は、平成20年に私の母校であった、
伊那市にある春富(はるとみ)中学校で、
「命の日」といって、みんなが命のことについて考える日、お話を頼まれ、
全校生徒500人ほどの前でお話ししたものです。

中学生にお話ししたものですが、
私たち大人でも、理解しなくてはならないことがたくさんありますので、
今回この「法愛」に文章にしました。少し手を入れて、お話し致します。
共に学んでみましょう。

大切な二つの命 1 誠実さ

まず、誠実に生きることが、
自分の命を大切にしているということについて、お話し致します。
どうして誠実さが、命を大切にしているかを考えながら聞いてください。

(この誠実さは、二つの命の一つ、「心の命」に関わってくることで、
続きである来月のお話になります。どうぞ、忘れないで、今月をお読みください。)

私が中学生の頃、私もこの学校に通いました。
たまたま生徒会の体育委員長になり、こんなことがありました。

昔は今よりずっと寒く、田んぼに水を引いて、その水を凍らせ、
その上でスケートをしたのです。田んぼにできたスケートリンクです。

朝になると、今日スケートができるかできないかを、
スケートリンクを見て判断をしなくてはなりません。
その判断を体育委員の顧問の先生がしなくてはならなかったようです。

先生は自宅から電車で通うほど遠くに住んでいたので、
学校に近い私が、先生に相談をうけ、「私が朝、見に行きます」と、
先生と約束をしたのです。

毎日朝5時30分に起きて、学校近くのスケートリンクに行き、その様子を見て、
当時学校に泊っていた用務員の先生に、
朝6時ごろ、スケートができるかできないかを知らせたのです。
それがスケートのできる間ずっと続きました。

そんな生活をするなかで、
いつものように用務員の先生に、スケートリンクの様子を知らせた時に、
「君を、顧問の先生が、とてもほめていたよ」というのです。

当時、体育委員長としてあたりまえのような気でやっていたのですが、
間接的でも、ほめていただいてとても嬉しい気持ちになりました。

中学を卒業して高校に行ったときにも、春富中学校の前を自転車で通ると、
ときたまその先生に朝道ですれ違い、先生のほうから先に、私に会釈をしてくれ、
とても恐縮したことを覚えています。

当時はあまり気がつかなかったのですが、
年を経るにしたがって、かつて体育委員長として真面目にしたことが、
実は「誠実に生きる」ことであると知るようになったのです。

そしてその誠実さが、実は私の命を生かしめている、
大切な心の食事であったことを知ったのです。

そして誠実に生きていることが、
自分の命を大切にしていることでもあると強く思うのです。
このことをもう少し分かりやすく、お話していきましょう。

大切な二つの命 2 身体の命

親の気持ちを知る

私たちには、実は二つの命があるのです。
一つは「身体の命」で、もう一つは「心の命」です。

誠実さは心の命に関わってくるのですが、
初めに身体の命についてお話を致します。

この身体は親からいただいたものです。
親ばかりでなく、野菜やブタさん、牛さんに魚さんの命をいただいて、
この身体の命があり、健康を保っていますね。

この身体は親からいただいたものですが、
ここで親と子の生まれてくる神秘を考えてみましょう。

ある中学校の2年生の親のみなさんが
「生命の誕生」についてアンケートしたものがあります。

この中学校ではありませんが、そのアンケートの中に、
「生まれてきたときの家族の気持ち
(お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、姉の気持ち)」があります。
少し挙げてみましょう。

母親として、ずっと入院して、大切にお腹の中で育ててきて、
生まれたと思ったらちっとも泣いてくれず、どのくらい泣き声を待ったことか。

たった一回泣く子どもの声を聞いたとき、涙が止まらず、
先生や看護婦さんに「ありがとうございます」といって、気を失っていました。

目がさめた時、母子共にあまりよくない状態だったと聞かされ、
子どもに1分でも1秒でも早く会いたくてたまりませんでした。

みんなに待ち望まれ生まれてきた大事な宝物が、
我が家に言葉では表せないほどの喜びを家族に与えてくれました。

4才の兄が一生懸命赤ちゃんが無事生まれてきますようにと、
神棚に向かってたのんでくれ、生まれるととても喜んでくれました。

こうしてみると、多くの人は、みな祝福され、
「生まれてきてくれてありがとう」と思われ、生まれてきたのです。

さらにこのアンケートの中に「これから、どう育って欲しいか」という項目もあります。

やはり子どもを生んで命の尊さをあらためて思ったので、
自分自身を大切にし、また、人も大切にして欲しい。
そして、人の役に立つことができる人間になって欲しい。

素直な心で、人の気持ちを大切に思える、人に嘘をつかない人に育ってほしい。

人間関係を豊かに、たくさんの人と出会いを大切にしてもらいたい。
周りの人に迷惑をかけず、聞くことのできる人間になってもらいたい。
そして、自分は生まれてきてよかったと思えることに出会ってもらいたい。
誰でも親なら子どもの幸せを願っていると思います。

他の意見も含めまとめてみると、みんながこう言っています。

「人に役立つ人間になってほしい。
生まれてきてよかったと思える出会いを得てほしい。
まわりの人の気持ちを考えて行動できる人になってほしい。
人の痛みが分かる人になってほしい」
です。

これらの言葉から、どんなに自分の子どもを大切に思っているか分かりますね。
こんな願いの中で、みなさんはこの身体の命をいただいたのです。

この世にどう思い産まれてきたか

次に、みなさんは、この世にどんな気持ちで生まれてきたのかを考えてみましょう。

生まれてくる前のことなど覚えていないし、
分からないというのが普通の考え方です。それがどうもそうではない、
ということを伝えた本があります。

『生きる前からの子育て』という本で、
お医者さんで池川明という方が書かれた本です。

先生は子どもと関わり合い、2才や3才の子ども達が、
お母さんのお腹の中にいた記憶や、生まれる前の記憶を語るのを聞いて、
始めは信じられなかったといいます。

「そんなバカなことがあるはずはない」と思っていたのです。
あまりにも多くの子ども達が語るので調査をしたのです。

2000年から2002年にかけて、
長野県の諏訪市、塩尻市の保育園や幼稚園の3601組の親子に聞いて、
それをまとめたのが、この本なのです。

解答を得たのが1620組の親子ですが、
なんと3人に1人の子どもが、生まれる前のことを覚えていたのです。

この中に、子ども達が語ったことが書いてあります。

おなかに入る前は、光がいっぱいあるところにいたよ。
天使さんのお手伝いをしていた。(3才・男の子)

「生まれてもいいのかな」って思って、神さまのところに行ったら、
「いいです」っていう答えだったんで、羽をつけてもらって行きました。
お母さんは、けっこう前から選んでいました。
なかなか生まれなかったのは、お母さんが忙しかったから。(12才。女の子)

生まれる前の子たちは、雲の上で、ずうっと列みたいに並んで、
遊んでいないけど、ふつうに歩いてたり。
病気の子で生まれるか、元気な子で生まれるかっていうのを
ぜったいきめなくちゃ、生まれられないから。(6才・男の子)

この本から分かることは、
私たちはこの世に偶然に生まれてきたのではないこと、
私たちが生まれて来たのは、目的があったからということです。

そんな大事な使命を持って、この身体の命があるのです。

ちなみに、このお話を終え、生徒たちが書いてくれた感想文の中に、
こんなものがありました。当時2年生の女の子です。

杉田住職さんのお話を聞いて、驚いたことは、
お腹の中でのことを2〜3才の幼児の子が覚えていることです。

私には2才の弟がいたので、「お腹の中で何をしてたの?」と聞いたら、
かくれんぼしていたそうです。

「なんでここにきたの?」と聞いたら、
「神様がここにいきなさい」と言ったからそうです。

他のこともいろいろ聞きましたが、本当にびっくりしました。

実際に講演を聞いた生徒の中にも、こんな体験を持った人がいるわけです。

命をいただかなくては生きていけない

もう一つ、この身体の命で知っておかなくてはならないことは、
私たちは、他の命をいただかないと生きて生けないということです。

これは考えてみれば残酷なことですが、
この事実を大切に受け取め、私たちの身体の命を大切にするということです。

私たちの主食は、お米ですね。
パンを食べる人もいますが、パンは麦から作られます。
たまには肉も食べます。それはブタさんや牛さんの命です。
お米の命、麦の命、ブタや牛さんの命を殺し食べているんです。

お米でも、おにぎり一個分の中に、
ご飯粒が3000ほど入っていると言われています。
それだけの命を食べているわけです。

植物は動物のように激しく動かないので、
生きているっていう感覚は薄いのですが、植物も確かに動いています。

たとえば、私のお寺の庭にある紫つゆ草は、
朝花を開き、夕方になると花を閉じます。
ねむの木の葉は、昼間はしっかり開いていますが、
夕方になると葉をきゅっとつぼめます。
そんな様子をみると、「生きてるなあ」という思いがするのです。

植物にもちゃんと意志があることを調べた実験があります。

これは私が書いた最初の本『幸福の地図を開く』の中にも載せてあります。

実験室の中に、ある植物を置きます。
その植物に、何らかの変化を知らせる機械を取りつけてあります。
その変化は脳波のように、波になって現れてくるようです。

A・B・Cさんがいて、3人の人が1人ずつ実験室に入って、植物に相対します。

Aさんがまず実験室に入って、その植物を傷つけます。
すると取りつけてあった機械に波が起こり、この人は危険な人だと、
この植物が反応したのです。

次にBさんが入ります。Bさんは何もしません。
ただ植物に近づいただけです。ですから、植物は何の反応もしませんでした。

次にCさんが入ります。Cさんも植物に何もしません。傷つけもしません。
でも、機械の画面に波が起こり、Cさんは危険だと植物が反応したのです。

植物を傷付けてもいないのに、反応しました。
やはり植物は危険を感じる力がないのかと判断しかねていると、
Cさんが、この実験に来る前に、草刈りをしてきたというのが分かりました。
そのCさんの何らかの様子を察知して、Cさんは危険であると、
植物が判断したという結果をえました。

植物は危険な人を察する意志、力があると分かったわけです。
小さな虫でも、危険が迫ると、自分を守る格好をしますね。
みな危険が分かるのです。

どう生きればいいのか

動かないと思っていた植物も、
危険であることが分かり、身を守ろうとします。

お米もそうでしょう。
そんな命をいただいて、私たちはこの身体を維持しています。

ではどう考えて、食事をすればよいのでしょう。

まず1つ目が、
「あなたの命をいただいて、生かさせていただいています。ありがとう」と、
感謝していただくことなのです。

何も言わないで、当然のように思って食べる。
このような食べ方は、自分の命を投げ出して、
私たちの命になってくださるお米さんたちに、申しわけないのです。
それに気がつかなくてはなりませんね。

2番目に、
「あなたの命を粗末にしません。無駄にしません」
という思いを大切にすることです。

この食べ物は嫌いだから、捨ててしまう。
もう食べられないから、いらない。
そんな心構えでは、命を大切にしていることにはなりません。

粗末にしないように、大切に食べ物を扱うことです。
そんな思いは必ず食べ物に通じていきます。

食べ物を大切に扱ってくださる方に、食べ物たちはきっと
「わたしの命をあなたにささげます。こんな大事にしてくれてありがとう」
と言ってくださると思います。

3番目に、
「あなたの命をいただいて、あなたの命の分まで、私は一生懸命に生きます。
できることなら、あなたの命をいただいて、多くの人に恩返しをしていきます」
と思うことです。

お米の命が私の身体の命の中に入り、
私自身が他のために役に立つ生き方をすることで、
お米の命も生かされていくのです。

逆に、お米の命をいただいて、
人の迷惑になることばかりしてこの身体を使っていたら、
命をくださったお米さんも、きっと悲しい思いをするはずです。

(つづく)