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法話

思いが仕事をする 3 思いは同じものを引き付ける

先月は、「人は思っているとおりの人間である」という言葉を挙げ、
思っていること、考えていることが、「私自身である」というお話を致しました。
続きになります。

関心のあることに引き寄せられる

思いで大切なことが、思いは同じものを引き付けるということです。

不安な思いは不安な事ごとを引きよせ、
失敗するという思いは、失敗を起こす引きがねになります。

逆に幸せな思いは幸せを引き付け、笑顔は明るさをもたらします。

今年の冬は雪が多く、雪害もたくさんありました。
でもスキー場は、スキー客で賑わいました。
スキーをしたい人がスキー場に集まってくるのです。

雪自体は何もいいませんが、
スキーを楽しみたいと思う人がスキー場に引きつけられていくのです。
スキーに興味のない人は、そこに行こうとは思いません。

図書館には本がたくさん集められ並んでいます。
その本は、本で学ぼうとする人、本を読みたいと思う人、
本の好きな人を引き寄せ、そんな人たちがたくさん図書館に集ってくるわけです。

私の好きな言葉の一つに、

桃李言わざれども 下自ずから 蹊を成す

というのがあります。

桃や李(すもも)はきれいな花を咲かせ、美味しい実を結びます。
蹊には小道の意味がありますので、訳すと
「桃や李は何もいいませんが、人を引き寄せて、そこに小道ができる」
という意味になります。

転じて、徳ある人には、何も言わなくても人が集ってくるという意味になります。

桃や李はきれいだと思う人を引き付けます。
それは桃の花がきれいで、その実も美味しいからです。

桃や李ばかりでなく、春になると桜が咲きます。
桜が好きな人は桜の花に引き寄せられ集まってきますね。

桃と李という花にたとえて、
「徳ある人に多くの人が集ってくる」という意味を内に秘めさせているところが好きで、
この言葉を大事にしています。

不安は不安を感謝は感謝が引き寄せられる

もし今この『法愛』を書いている私が、図書館であったらどうでしょう。
私という図書館に、本の好きな人が集まってきます。

私がスキー場であったらどうでしょう。
スキーの好きな人が集まってきますね。

あるいは私が桜の花であったならどうでしょう。
寛仁さんという桜の花を見に、みんなが集まってくるのです。

同じように考えていくと、私が不安な思いでいっぱいであったならどうでしょう。
そうです。不安な事ごとが集まってくるのです。

私が不満でいっぱいであったならどうでしょう。
不満な事ごとが集まってくるわけです。

そうして幸せから遠ざかっていき、心が落ち着かなくなって、
どうして私がこんなに不幸なのだろうと思うのです。

逆に感謝の思いでいっぱいであったらどうでしょう。
感謝の事ごとがたくさん集まってきます。

明るい思いに満ちていたら、明るい幸せな事ごとが集まってくるのです。
そうして幸せな日々を送ることができるのです。

不安について考える

不安について少し考えてみましょう。

不安については、経済的なことや人間関係、老後や病気など、
不安材料はたくさんあります。

たとえば病気の不安があります。
若い人はあまり考えないかもしれませんが、
年を取るに従って健康の不安は増すものです。

安保徹(あぼとおる)という医学博士がおられます。
免疫学についても詳しく、そんな関連する本をたくさん出しています。
先生は1947年生まれですから、今年で65才です。

先生が40才のころだったそうです。
ガン検診で胃ガンの疑いがあると言われたそうです。
そこで内視鏡で精密検査を受け、結果がでるまで3週間ほど待ったそうです。

その時のストレスは尋常ではなく、
ガンであったらどうしようという不安から、8キロも痩せたそうです。

3週間後の結果は、ただ胃が荒れていただけ。
検診でこんなに不安な思いになるのなら、返って健康によくないと、
それ以来、ガン検診を受けないと決めたそうです。

実際、長年、精密検査を受けていた人と、受けなかった人とでは、
受けなかった人の方が、死亡の確率は低いようです。

検査を受ける人は、検査を受けるたびに、
病気か病気でないかの不安な思いが、返ってその人を病気にさせるようです。
不安が不安を呼ぶのです。

もう少し気楽に、肩の力を抜いて、生きていくことが大事なのかもしれません。

感謝は病気をも変える

一方で、プラスの思いはプラスの事ごとを引き寄せるのも確かなことです。
ありがとうと言えば、相手もそれに答えてくれますし、
自分自身も気持ちのいいものです。

安保先生の『病気にならない免疫生活のすすめ』という本の中に、
ある女性のことが書かれています。

その女性は皮膚ガンだったそうで、
それが分かると、ショックのあまり、足の指を切断することにしました。

でも、4、5年前にガンで亡くなった友人のことを思い出したのです。
その友人は「手術しないと半年の命、手術すれば5年以上延命します」と言われ、
手術を受けたのです。

でも結局1年で亡くなってしまいました。
ずっとベットの上での生活でした。
しかも苦しみ続けて最期を迎えたのです。

そのことを思い出し、「私は手術をしない」と決め、
自然治癒療法を受けることにしました。

数々の医療機関を探して、ある診療所を見つけ、
そこの先生は、納得のいく治療方法を指導してくれたそうです。

そんな治療と同時に、心の治療もしたのです。

「ガンは自分で作ったもの」だから、
どのように自分がガンを作ってしまったのかを考えました。

あるとき気づいたことは、
自分がいつも他人や周囲の人を「ばかじゃないの」とさげすみ、
欲求不満であったことでした。

それに気づいたこの女性は、深く反省し、
家族に優しく周囲にも優しくしていきました。

すると周りの人たちに、自然に感謝の思いがわいてきたそうです。
感謝できると、さまざまなことが嬉しく、人生が楽しくなってきたのです。

それまで他人の欠点ばかりに目がいっていたのが、
良い所が見えるようになってきたのです。

そんな思いになり始めたころから、ガンが小さくなってきて、
足の指を切ることなく、完治したそうです。

感謝の思いが、嬉しさと楽しさを引き付け、
それがまた相手の良い所を見つめられるようになり、
ガンまでなくなってしまったということです。

これは感謝ができないと、ガンになるということではありません。
感謝の深い人もガンになることもあります。
ガンになるのには他にさまざまな原因があるのです。

責任感の強い人や、仕事で極度のストレスがあった人、
あるいは天命もあるかもしれませんね。

「ありがとう」が「ありがとう」を引き付ける

もう一つ、感謝の思い、
「ありがとうが、ありがとうの心を芽吹かせる」そんな話をします。

バカ野郎と言えばバカ野郎が帰ってきて、
憎らしいと思えば憎らしいの思いが帰ってくる。
ありがとうと言えば、ありがとうが帰ってくる。

まるで人生はやまびこのように、そのまましたことがそのまま帰ってくるといえます。
これを難しく言えば、原因結果の法則になります。

42才になる女性の方の投書です。

「天国からありがとう」

昨年四月、義父が亡くなりました。
ひどい認知症でした。

家にいる時は、やってはいけないことを山ほどして、
しからない日はありませんでした。

トイレも隣町まで行ってしてきて、
捜しに行った私たちに平気で「ただいま」と言って家の中に入ってきました。

亡くなった日は、知らせを受けた私が一番に病院へ入ると、
もう動かないおじいさんが寝ていました。

私は声を出して大泣きしました。
「おじいさん帰ろ、好きなお菓子買ったから帰ろ」と泣き叫んでいました。

お葬式からだいぶたった一月のある日、
生前お世話になった老人ホームから一通の手紙が来ました。

「昨年の一月の書き初めを整理しておりましたら、
おじいさんの作品がございましたので送らせていただきます」
と書いてありました。

一言「ありがとう」と書いてありました。

あんなにしかって怖かった鬼嫁だった私に、
天国から「ありがとう」ってお礼を言ってくれたんだと思ったら、
泣けて涙があふれ止まりませんでした。

私もあんなにしかってごめんなさいね。
そしてお世話させていただいてありがとう。

中日新聞 平成20年3月

こんな投書です。

おじいさんは認知症ではありましたが、
亡くなる3か月前の1月の書き初めで、
「ありがとう」という字を書きました。

ただ思いついたから書いたのではなく、
お世話をしていただけることに「ありがとう」の思いを込めて書いたと思います。

お嫁さんも、そんなことを素直に信じたから、
天国からおじいさんが「ありがとう」と言っているのだと思ったのです。
そして、「しかってごめんなさい。お世話をさせていただいてありがとう」と言っています。

ありがとうの力はすごいですね。

おじいさんがありがとうと言い、
お嫁さんがお世話をさせていただいてありがとうと言う。

このありがとうの言葉には、美しく尊い思いが宿っているのです。
実にプラスの言葉であり、思いです。

そんな思いが、互いを幸せにしていくのです。

思いが仕事をする 4 よい思いを習慣にし幸せを招く

プラスのよい思いで心を飾る

思いは同じ思いを引き寄せていくというお話をいたしましたが、
できればプラスのよい思いを常に出し、続けていくことが必要です。

その思いを習慣にし、その思いが私自身であるところまで心に染めていくのです。
そうすると、思いが仕事を始めていきます。

幸せを招く思いはたくさんありますが、思いついたものから挙げてみます。

@お金には困らない。
Aお金は善であり尊いものである。
B働くことを惜しまず、豊かになっていく。
Cいつまでも健康でいられる。
D身近なところに幸せはいっぱいある。
E勤勉は尊く、学びは素晴らしい。
Fありがとうは魔法の言葉。
G笑顔が一番。
H他の人の幸せを願うことが、自分の幸せをつくる。
I家族は大切で、助け合って生きる。
J小さなことに、くよくよしない。
Kほがらかで明るい気持ちは、心の薬である。
L優しさが幸せを連れてくる。
M穏やかさは唯一の心の宝だ。
Nささやかな喜びを大切にする。
O苦労があるから強くなれる。

まだまだたくさんあると思います。

Nに「ささやかな喜びを大切にする」とあります。
これを今回のテーマである「思いは仕事をする」ということに結び付けてみましょう。

「ささやかな喜び」とはどんな喜びでしょうか。
思いつくものを少しあげてみます。

生きていて幸せ。
今日も命があった。
今日も働ける。
ごはんが食べられる。
家がある。
顔を洗える。
新聞が読める。
本が読める。
メールができる。
子がいる。
妻がいる。
夫がいる。
おばあちゃんがいる。
友がいる。
出会いがある。
自然を感じることができる。
鳥の声が聞こえる。
花のほほえみが見える。
支えていただける。
支えてあげられる。
この『法愛』を読んでくださるかたがいる。
『法愛』を読むことができる。
字が書ける。
合掌ができて神仏を信じられる。

ほんとうに小さなことですが、
あたりまえと思わず、この喜びの思いを習慣化させ、自分のものにしていくことです。

そうすることで、どんな苦難にもくじけないで生きていくことができます。
プラスの事を引き付け、必ず困難を乗り越え、幸せの世界に住むことができます。

「ほんとうに幸せ」と唱える

女優の森光子さんが、昨年平成24年の9月に亡くなられました。92才でした。
『放浪記』を2017回達成したことは、有名です。

そんな『放浪記』の林芙美子役をいただいたのが41才。
初めての主役だったそうです。苦労をしたのですね。

『人生はロングラン』という本の中で、森さんはこう言っています。

下積みの苦労はお金を払ってもしたほうがいい。
苦労をさけるのではなく、自らに課する姿勢が大切だと思うのです。
苦労があるからこそ人は強くなれる。

もし「苦労があったから幸せになれなかった」という思いに心をそめたならば、
決して幸せにはなれないでしょう。

そうではなくて「苦労があるからこそ人は強くなれる」、
そう思って頑張ってきたからこそ、『放浪記』も、
こんなに長く続けられたのだと思います。

そして
「お客さまのおかげです。
一人ひとりのお宅にうかがって、お礼をしたいくらいです」
と言っています。

感謝の心も忘れず、苦労の中に幸せを見つけています。

「ほんとうに幸せ」と日々思い、生きていくことです。
幸せは幸せを引き付け、幸せの園に遊ぶことができます。