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法話

心の癖を見抜く 5 マイナスに考えてしまう癖

先月は楽な方へいってしまう心の癖と、
人のことは分かっても、自分のことはなかなか分からない
という心の癖をお話しいたしました。続きです。

取り越し苦労

人生をマイナスに考えてしまう人は、
ずいぶんいらっしゃるのではないかと思います。

そのなかで取り越し苦労というのがあります。
余計な心配をして、いつも心がマイナスの思いになり、不安でしかたがないのです。

杞憂ということわざがありますが、
心配しなくてもよいことを、くよくよ心配するという意味です。

天が落ちてくるというほどの心配ではないと思いますが、
心配の8割が取り越し苦労であると言われています。

私が住職になったのは、もう34年ほど前になります。
先住が早く亡くなったので、住職になったのは24才の時でした。

そのとき、当時の総代さんに
「このお寺は檀家が少なくて食べていけないから、どこか働きに出てくれ」
と言われたことがあります。

私は坊さんになったからには、坊さん一つでやっていこうと思っていたので、
総代さんの心配をよそに、少ない檀家さんと共に、このお寺を守ってきました。

そう言えば、長女が生まれた時には、
お産のお金がなくて、困ったことがあります。
そんな状況からの出発でした。

いつも心の内に、「このお寺で食べていけるだろうか」という心配が、
なかったといえば嘘になるでしょう。

でも、今考えれば、その心配も取り越し苦労であったと思います。

み仏様に仕えて、一生懸命自分の勤めをし、
常に未来は明るいと思っていれば、なんとかなると今では確信できます。

取り越し苦労をする前に、
常に人生は開けてくる、未来は明るく幸せの光に満ちている
と思えば、人生もそうなっていくのです。

老後は不安

9月22日付けの『婦人公論』で、特集として「幸せな老後を迎えたい」がありました。

そのなかで「老後は不安ですか」というアンケート調査が載っていて、
このアンケートに答えてくれた女性の年齢は、平均で58.4才でした。

このアンケートによると、
「老後に不安ですか」に「はい」と答えた人が、50.8%おられます。
「いいえ」と答えた人は。25.4%です。

不安の内容を挙げると、

・認知症になって、家族に迷惑をかけないだろうか(50才・薬剤師)
・いずれわたしも一人になる。この老朽化した家で・・・(59才・会社員)
・ただただ健康のことだけ心配(62才・自営業)
・自分で自分のことができなくなることが怖い(66才・無職)
・独身の一人息子がいなくなったら、家も墓もどうなるのか(65才・派遣社員)

みなこのような不安を抱えて暮らしているのですね。
おそらく、このような心配も、8割は取り越し苦労ではないかと思います。

老後の心配をしたらきりがありません。
老後も「なんとかなる」と思い、日々を明るく過ごせば、
平安の多い暮らしになると思われます。

死後の不安

死後の不安を取り除くために、死んでも困らないように、
財産を貯めておくという人もたくさんいらっしゃると思います。
それも必要以上のお金を貯えているわけです。

これも無明からくる、取り越し苦労ではないかと思うのです。

どうも、死んでも財産を持っていたほうが、安心だ
という思いが、心のどこかにあるのかもしれません。

生きているときは、貯金があったり、食糧の備蓄があったり、
地震などくれば大変なので、そのための備えが必要です。

でも、死後の世界で、そんな見える物の貯えが必要なのでしょうか。

残された家族のために、
自分の葬儀代くらいは残していくのは礼であると思いますが、
「私は死後の世界までお金を持っていくのだ、
そうすれば死後も困らないし、不安もないと思う」
そんな思いでいたならば、考えを少し変えたほうがよいかもしれません。

冥土のみやげ

仏典の中に『冥土のみやげ』という話が出てきます。
簡略して、そのお話をここに載せてみましょう。

昔、ナンダという国王がいました。

王は自分の死後を思うにつけ、
国中の金銀財産を携え、死後の世界といわれる冥土にいけば、
その宝を思うままに使うことができると考えました。

そこで、どのように国中の宝物を集めたらよいかを思案したのです。

そこで、宝物を持ってくれば王女とひとときを過ごすことができる
というお触れを、国中に出しました。

その結果、国中の財宝を手に入れることができたのです。

さて、この国の中に年老いた母親がいて、
夫の死後、一人息子だけを頼みにして暮らしていました。
その息子が、王女の美しさに心を奪われ、病気になってしまったのです。

母親が息子に問いただすと、
「王女とひとときを過ごさなかったならば死んでしまう」と言うのです。

しかし、家には大金はありません。
考えた母親は、夫が亡くなったとき、
お墓の中に金貨一枚を入れたことを思い出しました。

息子なる青年は急いで墓に行き、
掘り返してみると、確かに金貨が一枚出てきたのです。

青年はそれを持って王の所に行きました。

すると王は、
「国中の宝物を集めてしまったので、
こんな貧しい者が、金貨を持っているはずがない。
どこからか盗んできたのだろう」
と、青年に問い正したのです。

理由を聞いた王は、家来に調べさせると、
青年の言っているこが本当だと分かりました。

それを知って、王は悟るものがあったのです。
その心境を、こう述べました。

死出の旅路に 携えて
冥土で使う 宝物
無限の宝 我のもの
けれど男の 父親は
墓地に眠って そのままに
金貨一枚 運べない

(『仏教説話体系10』すずき出版)

こんなお話です。

人は金貨一枚でさえ、あの世に持って帰ることはできません。
そして、そのお金をあの世で使うことはできないわけです。

あの世に財産は持っていけないと悟れば、
お金に対する死後の不安は解消されるでしょう。

善という財宝

この話にはまた続きがあります。

王のそば近くに聡明な大臣がいました。

大臣は王にこう言ったのです。
「王さまが今悟られた心境が真実です。
死後、誰も財宝も、また愛するものも持っていくことはできません。
もし死後までも持っていけるものがあるとするならば、
この世で行った善の行い、あるいは悪い行いなのです。
死後、善悪の行いが明らかになり、
善を積んだ者は、その報いで善の宝を得、
悪を行えば、その報いで悪なる罰を受けるのです」

そうして、詩にして述べて言いました。

人皆死んで 後の世に
もっていけるものは 果報のみ
死出の旅路は ただひとり
善行を尽くせば その報い
すばらしいこと 疑いなし
ただひたすら 施しを
慎み深く 行うべし

自分が今どれだけの施しをし、善を積んでいるか、
そのような心配をしたほうがよいようです。

ダメな人間と決めつけてしまう

取り越し苦労のことをいいましたが、
2番目のマイナスの思いとして、自分はダメな人間だと思ってしまうことです。
失敗などすると、特にそう思ってしまうものです。

恥ずかしいことですが、
私自身、お話をしたり、このように「法愛」を書いたりするために、
年に数百冊もの本を読みますが、勉強すればするほど、
「自分は頭が悪いなあ」と思うのです。

さまざまな人や物事を知ると、
「この人は、私よりずっと勉強していて、
私の知らないことを、こんなに詳しく知っている。すごいなあ」
と思うのです。

知れば知るほど、そんな人がたくさんいて、
今現在でも、また歴史に名を残した人でも、数え切れないほどいらっしゃるのです。

1週間前に読んだ本でも、もう一度、ぱらぱらとめくりながら速読していくと、
「こんなことが書いてあったのか」と、
前に読んで納得したことを忘れてしまっています。

そんな体験をすると、智者と言われる人と比べ、
「私はダメな人間だなあ」と思うようになるのです。

そんなとき、比較の対象を自分自身に持っていくと、
ダメな人間から少し解放されます。

それは、今の自分を、1年前の自分と比較をするのです。

「1年前は、こんなことも知らなかったけれど、今は知っている。
どうも1年前よりも、少しましな人間になっている」と思うのです。

支えられている自分を感じながら、
何度失敗を繰り返しても、前の自分よりも成長していると思い、
自分の力量を信じながら、たんたんと生き抜いていくことです。

私ほど不幸な人間はいない

マイナスの最たるものは、
「私ほど不幸な人間はいない」と思ってしまうことです。

この場合、自分はどこを見ているかですが、
大抵、自分のことしか見ていない場合が多いのです。
あるいは、自分のことしか考えていないと言ってもいいかもしれません。

幸せは、自分のことばかり考えている人のところには寄ってこないで、
他の人、相手の事を考えている人のところにやってくると、言われています。

私のところに、悩みを抱え相談にくる人の中で、
多くが「自分の苦しみのみ」を語るのですが、
そんなとき相手のことを心配したり、思いやったりする思いが出てくると、
この人は立ち直っていけるなあと思うときがあります。

私ほど不幸な人はいないと思ったとき、目を自分から外に向けてみることです。

「ああ、私よりも不幸な人がいる。私のような苦しみを乗り越えていった人がいる。
私はこんなにみんなに心配されている。
あの人もこの人も、私の事をこんなに愛してくれている」

まわりを見て、このことに気づくと、きっと解決の道が開けてくることでしょう。

心の癖を見抜く 6 心の癖を払い取る

自分のことが分からない

9月から、人としての心の癖をお話してきました。

1番目が「あたりまえと思ってしまうこと」。
2番目に、「楽なほうへと言ってしまうこと」。
3番目に「人のことは分かるのですが、自分のことがなかなかか分からないこと」。
そして4番目に「マイナスに考えてしまうこと」です。

それぞれの所で、その対処法をお話ししてきましたが、まとめると、

1番目のあたりまえに思ってしまう癖に対しては、
「小さな幸せを見つける力をつけ、感謝の思いを深めていくこと」
が大切だと思います。

2番目の楽な方へいってしまう癖に対しては、
「努力することが幸せをつかむ方法で、
少し自分に厳しくあるほうが、何事もうまくいく」
と考えていることです。

3番目の人のことは分かるが、自分のことは分からない癖に対しては、
「思いやりを大切にし、少し静かに自らを見つめる習慣をつけること」です。

相手を思いやるためには、よく相手の状況を見て、
相手の思いを知っていなくてはなりません。
その相手の状況を見て、心配し思いやっているのが、本当の自分なのです。
思いやりのない自分ほど、迷い深い自分であると知っていることです。

4番目のマイナスに考えてしまう癖の対処方法は、
「普段からプラス思考に心がけ、
その考えに合わせて、物事を考えられる習慣を付けていくこと」です。

成功方法を述べたマーフィーという人のプラスの言葉を載せてみます。

老齢とは本当は最高の見地から人生を眺めることです。
老齢の喜びは青年の喜びよりも大きいのです。

問題が重大になればなるほど、笑いが必要になってきます。
笑いは多くの面倒ごとによく効く薬です。

もっとも幸福な人は
自分の中にある最善のものをつねに引きだして使っている人のことです。

天国は平和を保っている心の中にあるのです。

(『マーフィー珠玉の名言集』産能大学出版)

人生という平坦な道は歩きやすいのですが、心の癖に翻弄されやすいといえます。

人生の坂道を登る気持ちで生きていったほうが、
心の癖も修正され、幸せを得られそうです。

自分が自分を変えていくのです。