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法話

心の眼を開く 1 見方が人生を変える

今回から数回にわたり「心の眼を開く」というテーマでお話をしたいと思います。

さて、今月のテーマは「心を切りかえる妙法」です。
年の初めに、心を切りかえ、幸せの道を共に歩んでまいりましょう。

さまざまな見方

今回のテーマは「心の眼を開く」というテーマで、
結論を先に言えば「心の眼を開くことが、幸せを得る唯一の方法である」
ということになるでしょう。

さて、「見る」ということでも、そこにはさまざまな見方が出てきます。

たとえば、昨年3月11日、東日本大震災がありました。
実際に震災に遭(あ)われて、津波を目の当たりにして何とかその難を逃れた人と、
遠くでテレビ映像として津波を見ていた人の見方は随分違うと思います。

後にボランティアで現地に行かれた人は、その現地の様子を始めて見て、
余りの悲惨さに動けなくなってしまったという人もいらっしゃいます。

実際に震災に遭われてその悲惨さを見た人と、見ない人とでは、
震災の見方は大きな違いがあるわけです。

私もテレビで津波の様子を見ましたが、そのときよりも、
陸前高田に住むお寺の住職さんが送ってきてくれた津波の写真のほうが、
悲惨さは大きいものがありました。

その写真は、お寺の門の手前まで津波が押し寄せてきたもので、
ただ事ではないという切実なものが感じられたのです。
友人で親しい人の苦難を目の当たりにすると、震災も違ったように見えるのです。

震災においては、みなその悲惨さを思いますが、
実際遭われた方とそうでない方の見方の深さは違います。

でも、同じ出来事でも全く違った見方をする場合もあります。

先月の9日に、なでしこジャパンの沢穂奇(さわほまれ)さんが、
スイスのチューリッヒで国際サッカー連盟から、2011年の最優秀選手に選ばれ、
賞をいただきました。男女を通じて、アジア人初といいます。

昨年7月17日に、
ドイツのフランクフルトで行われた女子ワールドカップ(W杯)決勝戦で、
アメリカと2対2の同点となり、PK戦で3対1で勝って優勝しました。

アメリカとの通算対戦成績は4引き分け21敗だそうで、
(PK戦は記録上引き分けだそうです)
日本はアメリカに一度も勝っていないのです。

そんな相手に勝って優勝しました。
沢選手もずいぶん活躍をしました。

このとき日本はすごく盛り上がり、最高の気分になりました。
優勝したことで、経済効果がなんと3,000億円もあったと聞きます。

これが日本の見方ですが、アメリカはどうでしょう。
悔しさとプライドを傷つけられた思いで一杯だったかもしれません。

同じ試合でも勝つのと負けるのとでは、見方が全く違ってくるのです。

さまざまな見方によって、人はいろいろな判断をし、
それによって幸せになったり不幸になったりします。

人は見ることにおいては自由なのですが、
「見る」という一つのことで、幸不幸に分かれることを知っていなくてはなりません。

家族の価値観

昔『下流社会』(三浦展・光文社新書)という本が出たことがありました。

ずいぶん売れたようですが、この本の中にはたくさんのグラフがでてきて、
下流社会についてのさまざまな分析をしています。

その中に、団塊ジュニアの男性と女性の
「幸せを感じるときはどんなときか」というグラフが出てきます。

上流、中流、下流の区別を比較してグラフにしています。
このグラフから、上中下を区別しないで、全体から見た幸せ感を考えてみます。

団塊ジュニア階層意識別 幸せを感じるときは、どんなときか(主な項目)

資料:カルチャースタディーズ研究所+(株)イー・ファルコン「欲求調査」 数値は%

―男性
  上流 中流 下流
n 12 40 48
おいしいものを食べたとき 83.3 55.0 56.3
家族でいるとき 58.3 37.5 20.8
仲のよい友達といるとき 41.7 17.5 29.2
子供といるとき 33.3 20.0 6.3
妻と二人でいるとき 33.3 30.0 4.2
体をめいっぱい動かしたとき 41.7 27.5 10.4
ゆっくり休んでいるとき 58.3 55.0 66.7
ひとりでいるとき 8.3 17.5 27.1
―女性
  上流 中流 下流
n 17 52 31
おいしいものを食べたとき 94.1 75.0 77.4
感動したとき 64.7 55.8 45.2
ゆとりがあるとき 64.7 59.6 48.4
欲しいものを手に入れたとき 64.7 55.8 54.8
何かをやり遂げたとき 58.8 51.9 51.6
夫と二人でいるとき 58.8 42.3 22.6
仲のよい友達といるとき 52.9 34.6 35.5
新しい知識を身に付けたとき 41.2 30.8 22.6
良心的なことをしたとき 41.2 36.5 22.6
社会に役立ったとき 41.2 7.7 9.7
おしゃれをしたとき 35.3 21.2 19.4
自己表現できたとき 29.4 15.4 16.1
ひとりでいるとき 17.6 19.2 25.8

上のグラフを見てもらうと分かりますが、
男性にとって幸せを感じるときは、「おいしいものを食べたとき」が一番多いですね。
女性も高い数字になっています。食べることでの幸せ感は、男女とも同じ見方です。

ここでの男女の違いを見ると、
男性のほうは「家族といるとき」や「ゆっくり休んでいるとき」
「子どもといるとき」が幸せを感じるときと出ています。
一方女性のほうには、なぜかそんな項目が出てきません。

このグラフに限って判断すれば、男性は仕事に出掛け、
仕事が終って、あたたかな家に帰りゆっくりするのが幸せであり、
たまに接する子どもとの触れ合いも、幸せを感じるときなのでしょう。

女性とっても、家庭は幸せな場であると思いますが、
女性は家をあたたかく保つ立場のほうで、
そのために家事や炊事、洗濯に子育て、あるいはお年寄りの介護などで、
家庭を整えるのにエネルギーを使うことが多いのです。

ましてや働きに出ている人は、仕事面でのストレスもあって、
軽率には、家族でいるときが幸せとは思えない所があると思われます。

子どもに関しても女性は毎日子どもと接しているので、
少し子どもから解放されたほうに幸せを感じるかもしれませんし、
男性のほうは仕事から帰ってきて、たまに子どもと接するので、その「たまに」
というのが子どもといると幸せを感じるということになっているのでしょう。

女性を見てみると、精神的なことに幸せを感じているのが分かります。
「感動したとき」や「ゆとりがあるとき」「何かをやり遂げたとき」
「新しい知識を身に付けたとき」「良心的なことをしたとき」などから分かります。

こうみると男女で幸せの見方がずいぶん違うことが分かります。
この『法愛』を読んでいる方も、女性のほうが圧倒的に多いのです。

このグラフから、家庭を幸せな場にしていく方法が見えてきます。

男性は家族といるときや子どもといるときが幸せであるというのですから、
女性は、そんなあたたかで明るい家庭を作ることに気を配っていくことですし、
男性のほうは、女性の精神的な部分を大切にしてあげて、いたわりの思いや、
感動体験、家事を手伝ってゆとりのある暮らしをお手伝いしてあげたり、
共に精神的なことを語りあえるようにすることが大切なのです。

さらには、男女共に美味しいもの食べるときに幸せを多く感じていますから、
たまには家族で外食し、「おいしかったね。こんどは、別のお店で食べてみようか…」
などと、楽しく過ごす食事の場を設けることが家庭を円満にしてく方法でありましょう。

感謝の念を捧げると見方が変わる

普段、気がつかない事ごとに、「支えられているんだ」と気づくと、
まわりの見方が変わってくることがあります。

私は比較的本をたくさん読みますが、
年を重ねてくると、長時間の読書は目を疲れさせます。

眼鏡(めがね)をかけているのですが、
最近は眼鏡をはずして本を読むこともあります。

それでも、目が痛くなってきて、
「どうして、こんなに痛くなるのだろう。目よ、お前はもっとしっかりしろ」
と叱る気持ちがでてきてしまうのです。

そんなとき、こんな目に対する見方でいいのかと思うときがあります。

こんな見方でなくて、
「50数年も私のために働いてくれ、酷使して申し訳ない。
お前も疲れているんだなあ。ありがとうよ、と言ったほうがよいのではないか」
と思うときがあります。

同じ目なのに、思いによってずいぶん心持ちが違ってきます。

このお話を作っているときに、他に気がつかないことがあるはずだと思って、
しばらく考えを巡らせていると、足の裏を思い出しました。

今まで足の裏に手を合わせて「ありがとう」と言ったことがあっただろうか
と思ったのです。

「あなたのおかげで、この思い体重を支えてくれて、
思うところに運んでくれて、ありがとう」
とは、今まで言ったことはありませんでした。

そこで足の裏をしみじみ見ながら、
「あなたのおかげで、歩けるんだなあ」と思い、手を合わせて礼拝したのです。

そうしたら、なぜか身体がぽかぽか暖かくなるのです。
足の裏さんが、とても尊く見えるようになったのです。

この「法愛」をお読みのみなさんも、
一人静かに、足の裏さんに手を合わせ「ありがとうね」といってみてください。

このように見方によっては足の裏さえも、違ったように見えてくるのです。

足がないのが武器となる

足のお話を致しましたが、足についてこんな話があります。
見方によっては、不幸を幸せにかえることができるのです。

今から5年ほど前になりますが、平成18年の3月、
イタリアのトリノで冬季オリンピックがありました。

その後に行われたパラリンピックで、当時17才になる鈴木猛史君が、
アルペンスキー日本代表最年少高校2年生で、男子回転チェアスキーで出場しました。
結果は4位でしたが、立派な滑りをしました。

鈴木君は小学校2年のときに、交通事故で両足を失いました。
次の年の小学校3年で、チェアスキーを始めたのです。
始めたのはいいのですが、急斜面を滑る恐怖心が消えないのです。

5年生のときに、
長野大会のチェアスキーで金メダルを取った志鷹昌浩さんの講演に行きました。

お話が終わって、質疑のときに質問をしたのです。
「急斜面を滑り下りるとき、恐くないですか。僕は怖くてたまらないのですが」。
すると志鷹さんは「恐いならチェアスキーをやめなさい」と言ったのです。

これを禅では一喝といいますが、それを聞いた鈴木君は闘争心に火がついたといいます。

このパラリンピックに出て、当時のことを振り返って言うのに
「あの時の一言がなければ、現在の自分はありませんでした。
足がないのが、僕の武器です」と。

足がないのが僕の武器という見方は、
両足の健在な私にとっては、到底至り得ない、悟りの言葉です。

君しかないもの

自分に足がないというのが武器であるという見方は、
不幸を幸せにしていく一つの見方であると思います。

以前「法愛」にも書きましたが、
映画評論家であった淀川長治さんが伊那に講演に来たとき、
こんな話をしていたのを思い出します。

もう亡くなってしまいましたが、当時、80才を過ぎていて、車いすでの講演でした。

ある映画のこんな場面をお話ししてくれたのです。

か弱い盲目の女性がいました。

その女性がある夜、家に忍び込んだギャングに襲われたのです。
普通なら殺されてしまうところです。

物陰に隠れていた女性は、
もう見つかってしまうと思ったのですが、
そのとき神様の声を聞いたのです。

「君しかないものがあるよ」

という声でした。
その答えは、自分は目が見えないことだったのです。

それを知った盲目の女性は、家の明りを消しました。

ギャングはあたりが急に暗くなってしまったので、
目が見えなくなり、行動が鈍りました。

その間に女性はそこから逃げ出すことができたのです。

こんな話をしてくれたのを思い出します。

目の見えないことがこの女性を救ったのです。
普通は目の見えないことは不幸なことですが、
この時には、目の見えないことが命を救う力になったのです。

「足がないのが僕の武器である」というのと、
「君しかないものがある、それは目が見えないこと」という
人生ではマイナスと思える2つのことが、見方によって、自分を救う力になっています。

見方を変えただけで、こんなに違った世界が現れてくるのです。

見方によって、人はマイナスの出来事の中にも、幸せを見ることもできるし、
プラスの出来事であっても、そこに不幸を見ることもできるのです。

(つづく)