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法話

徳ある人生 3 徳の特徴とは

先月は「徳の特徴とは」で、その特徴を一つあげ終わりました。
続きのお話をいたします。このテーマでお話するのは、今回で最後です。

悪もうつっていく

先月、徳の特徴を3つ挙げました。もう一度ここに挙げます。

1つ目が、「徳は自ずと人にうつっていく」でした。
2つ目が「徳は自らを輝かせ、人を幸せにしていく」です。
3つ目が「徳は老いを知らず、死を知らず」です。

1つ目の「徳は自ずと人にうつっていく」という徳の特徴ですが、
徳でない悪も他の人にうつっていくことがあります。

私の知人で、昔、彼に尋ねたことがありました。
「あなたは真面目か不真面目か、よく分からないね」というと、彼は
「そうなんだよ。僕は相手によって変わってしまうんだ。
相手が真面目なら、自分も真面目になれるし、
相手が不真面目なら、不真面目になってしまうんだ」。

私はそれを聞いて
「じゃあ、真面目な人と付き合った方がいい」と言ったことがありました。

悪い友達を持つと、その悪い心がうつっていって、
自分自身が悪くなってしまうことがあるわけです。

マスコミの報道でも、悪いことばかり報道していると、
みんなが不安を感じることがありますが、
これも悪い考え方が、みんなの思いの中にうつっていく現象かもしれません。

徳の輝き

2つ目の徳の特徴は「徳は自らを輝かせ、人を幸せにしていく」です。

先月の二宮尊徳の生き方を省みれば、尊徳が輝いているのは確かですし、
まわりのみんなをその徳の輝きで幸せにしていくのも分かります。

今月の「釈尊の願い」の詩では、徳の行いについて書いています。
お釈迦さまが語った徳の姿で、「財を分かち与える」というのが出てきます。
これは尊徳にも言えることですね。

自分の幸せのために財を蓄えることは、大切なことですが、
またその財を分け与えるのも大切になります。
その後者の行いが徳の姿になり、その行為が輝いて見えるのです。

なぜ輝いて見えるのでしょう。
それは尊いからです。

尊さは抽象的で目に見えませんが、
目に見える形でこの尊さを現わすと、輝きに置き換えられるのです。

東日本大震災で他のために尽くしている人達の姿を、
何度も見るにつけ、人としての尊さと輝きを幾度となく感じたものです。

そしてこの徳ある人生を送った人々の死後の世界は、光に満ちた世界へ帰ると、
この「釈尊の願い詩」では語っています。

その光の輝きは、徳の輝きに置き換えられるのです。

徳は老いを知らず

3つ目の徳の特徴は「老いを知らず、死を知らず」です。

私は坊さんをしていますので、
尊敬する人、帰依する人はお釈迦さまです。

お釈迦さまはすでに2600年あまり前に亡くなられました。
でも、その教えが残っていて、その教えに基づいて、多くの寺院ができ、
その教えを聞いて日々の糧にしている人もたくさんおられます。

お釈迦さまや尊徳は特別な人だから、徳が消えないで残っていくと思いがちですが、
名も知らない人もその徳は消えず残っていくのです。

滝たけ子という女性がいました。 この女性の名前は恐らく知らないと思います。
昔の修身の教科書に載っていたものです。

修身とは身を修めるですから、
正しく自分を修めて、人の役立つ人間になっていくということです。

この修身の教科書は、
日本がアメリカに戦争で破れた時に、破棄されてしまいました。

日米戦争前の教科書には、
日本の伝統をたたえる文章が数々あったのですが、
それらは日本を強くするものと考えられ、
日本の文化をたたえる箇所は墨で黒く塗らされたのです。

特に修身の教えは、
マッカーサー率いる連合国総司令部であるGHQによって、
教えてはならないことになりました。

ですから、修身の教科書は日本から無くなってしまったのです。
でも、昨今、小池松次という人が、全国を歩き、対馬と壱岐でその教科書を発見し、
「日本人として忘れてはならない大切な徳目」を選び出してまとめ、
サンマーク出版から『修身の教科書』として出しました。

赤いまりと白いまり

滝たけ子の話は、第4期尋常小学校修身書の巻4にでているようです。
たけ子の夫は、細井平洲という儒学者の友達で滝鶴台という人でした。
たけ子は夫である鶴台を支え、家を守ってきました。

あるとき、たけ子のたもとから赤いまりがころりと落ちました。

鶴台は不信に思って、
「それは何ですか」
と聞きました。たけ子は、
「私はあやまちを後悔することが多く、どうかして少なくしようと考え、
悪い心が起きた時には、赤いまりに糸を巻き、
良い心が起きたときには、白いまりに糸を巻きそえていました。
始めのうちは、赤いほうばかり大きくなりましたが、
今では両方がやっと同じくらいの大きさになりました。
まだ白いまりが赤いまりより大きくならないのを、恥ずかしく思います」

そういって、白いまりも鶴台に見せたのです。

こんな話を載せ、この教科書には、
「自分をふりかえってみて、よい行いをするように努めることは、
始めは苦しくても、習慣となれば、それほど感じなくなる。
習イ、性(せい)トナル」と書いています。

たけ子の良い人間になるための白いまりと赤いまりの工夫が、
今でも新鮮に読めます。

こんな無名な一人の女性のことが、今でも読むことができ、
その徳は老いず、死なないでいます。

このように徳にはさまざまな特徴があり、
神仏の片りんをそこから、伺うことができるような気が致します。

徳ある人生 4 徳を身につける方法

一つ一つ積み上げる

次に、徳を身につける方法を考えてみます。

まず考えられることは、毎日一生懸命働いて、給料をもらい、
日々の生活に当てた残りを貯金していくように、
日々地道に徳を積み重ねていくことです。

それには少しでも貯金して車を買おう家を建てようと思うように、
少しずつ徳を積み重ね、徳ある人になっていこうと思うことです。

積み重ねるで思い出すのは、
『百喩経』(ひゃくゆきょう)というお経の中にでてくるお話です。

昔、一人の愚か者が、お金持ちの立てた3階建の家を見て、
あんな3階建ての家がほしいと思った。そこで大工を呼んで、

「あのような立派な3階建ての家を作ってほしい」と頼んだ。

大工はそこで土地を測量し、土や石を積み、土台を作り始めた。

愚かな男はそれを見て、
「私がほしいのは、一番上の3階だけだ。
1階も2階もいらん。早く3階だけ作れ」
と言った。

このようなお話です。

喩(たとえ)ですから、このなかに何か大事なことが示されているわけです。

考えられることは、家も測量し、土台を作って、
その上に1階、2階、3階と建てて、家が完成するわけです。

一つ一つ積み重ねて家が建つ。
同じように徳も、一つ一つ積み重ねていくことで、
徳ある人が出来上がっていくわけです。

徳ある人になりたいと思う

家を立てるには、家を建てたいと思わなくてはできません。

家を建てたいと思い、それには資金がいるので、
毎日の生活の無駄を省(はぶ)いて貯金をしていこうと思います。

同じように、徳ある人になろうとまず思って、事は始まるわけです。

このお話は喫茶店法話の会でお話ししたものをまとめていますが、
この喫茶店法話も、今年で15年目になります。

以前は辻説法という名称で9年ほどやりましたので、合わせて24年になります。
これも長く続けたいという思いがあるからこそできたのだと思います。

辻説法という名称で行っていたときの想い出ですが、
平成元年の1月28日のちょうどその日は大雪で、また辻説法の日でした。

スタッフ全員が、「こんな大雪では誰も来ないぞ」と言っていると、
時間までに10人ほどの人が来られたのです。24年間行っていて、最小人数です。

その時の講師は伊那市の常円寺の和尚様で、もう亡くなられてしまいましたが、
「よくみなさん、こんな大雪の日に来られましたね。ありがたい」
とお話を始められたのを、今でも鮮明に覚えています。

そんな苦難を乗り越え続けてこられたのは、
続けたいという強い思いがあったからだと思います。

徳も同じで、徳ある人になりたいと強く思うことが大切なわけです。 繰り返しになりますが、もう一度、尊徳の「徳の姿」を書いておきます。
こんな人になりたいと思い、日々努力をしていくわけです。

1、父母の恩を忘れない
2、勤勉で、よく学び、人の道を知ろうとする
3、誠実で、人を思い、慈しみ深い
4、己に厳しく、足ることを知って、働くを惜しまない

徳ある人生 5 徳を作る場所

家庭という場所

徳を作る場所は、すべてを学び取っていくという姿勢で生きれば、
どんな場所も徳を育てる場所であるといえますが、
特に一番徳を育てていく場所といえば、家庭でありましょう。

ご飯をいただくときに、手を合わせ「いただきます」という。
これは家庭でまず行われることです。

夫婦の関係や、父母としての在り方として、
子どもを育てるなかでの悩みや喜び。

家族に伝え残したい生き方や教え、
さまざまに、徳を育てていくための要因が家庭にはたくさんあります。

最近、亡くなられた男性で、
子どもさんから、次のように言葉をいただき逝かれた人がいました。

これも父としての徳の姿で、
おそらくその姿を子どもさんたちも受け継ぎ、自らの徳として輝かせていくと思います。

父はあまりゆっくりすることなく、ずっと働いてきた人です。

父とはあまり遊んだ記憶はありませんが、
父と一緒にいたのはいつも田んぼであったり、畑であったり、山の中でした。

酒をひかえ、自分の身体を考えて、いつも家族のことを考えていました。

小さい頃、あまり口数の多くない父に何か相談する事に
プレッシャーを感じたりしましたが、父は私をちゃんと見ていてくれて、
短い言葉で的確なアドバイスをしてくれたりと、
静かな中にも安心を与えてくれる、そんな人でした。

もっとああすればよかった、こうすればよかったという、
そんな思いは尽きませんが、今は父の娘で良かったと、感謝しています。

父に対する子の思いが書かれています。
静かで多くを語らないけれども、みんなをいつも見守っていてくれ、
働くことを惜しまない一生でした。
そんな徳の姿を、私も思い浮かべます。

長年、この家庭で共に過ごしてきた家族のみなさんは、
きっとこの父親なる存在に、多くの徳の姿を見てきたことでしょう。

奥さんもこんなふうに書いています。

人と人との出会いは長く暮らしてみて、初めて分かる事が多いものです。

主人とはお見合い結婚でしたが、
大変穏やかな人柄で、裏表のないやさしい人でした。

私の好きな日舞で遠くに出掛ける時には
「いっといで」と心よく送りだしてくれたやさしい主人でした。

そんな主人が病と闘いながらあっけなくこの世を去ろうとは、
夢にも思いませんでした。

今まで主人に教えていただいたことを守りながら、
いつの日か、私もそちらに行きましたら宜しくお願い致します。

さようなら。

立派な夫としての姿が思われます。
家族という場の中で、長い時を経ながら、多くの徳を学んでこられたと思います。

家庭が、ただ食べ、寝て、生活するのみの場ではなく、
共に生かし合い支え合いながら、徳を学ぶ場にしていくことが、
また家庭を和やかに幸せな場にしていく方法でもありましょう。
それは徳が、幸せの輝きであるからです。

またそんな生き方をされた方は
「死後、光輝く世界へ昇っていくのだ」とお釈迦さまが言われているように、
この男性もきっと光の世界へ帰っていったことでしょう。

徳のことについて3回にわたりお話をしてきました。

徳と言われても具体的にどうすれば徳を得られるのかと迷ってしまいますが、
今回のお話で、徳の姿や、その特徴、そして徳を得る方法や、徳を育てる場所など、
お話しさせていただきました。

どうぞ、徳を軽く見ずに、重んじながら自らの心に、
この徳を育てていってほしいと思います。