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法話

徳ある人生 2 二宮尊徳の生き方

先月は思いが徳の姿となって言葉や身体に現れ、
その思いを二宮尊徳の生き方に照らし、お話を致しました。

誠実で思いやり深い

先月、二宮尊徳(以下、尊徳とします)の生きる精神として2つ挙げてみました。

1つは「父母の恩を忘れない」で、2つ目が「勤勉である」ということでした。
そんな思いを抱いて生きていくと、徳としての姿が現れてくるということでした。

では3つ目は何でしょう。

誠実で、人を思い、慈しみ深い

これが3番目として気がつく尊徳の生きる精神です。

話は飛びますが、この誠実さを大切にした人の一人が内村鑑三という方です。

内村鑑三が書いた『代表的日本人』という本が岩波からでていますが、
この本の中で、代表的日本人の一人として、尊徳を挙げています。

その中で、尊徳の「誠実」という生き方を、何度も書いています。

内村鑑三は明治、大正期に活躍したキリスト教の代表的は方です。
内村鑑三自身も誠実さを大切にしました。

なぜ誠実さを大切にしたかです。

内村が人前で話をするときに、どのように伝えたらよいかを迷っていたのですが、
トマス・カーライルという人の言葉にであって、その悩みを解消したのです。

この話は拙著『自助努力の精神』にも書きましたが、
カーライルの言葉を引用してみます。

人の前で話をするとき、誠実であることと、
心の真なる思いがどれだけ尊いかを、知らなくてはなりません。

この思いが心の中にあれば、
いかに話が劣っていても、必ず誰かが話を聞こうとするでしょう。

話をするときに、誠実であることを言っています。

この言葉に出合ってその後、内村鑑三は誠実にお話をし、
一度も悔いの残る話をしたことがないといいます。

私自身も人の前でよくお話をしますが、
できるだけ、この誠実さを大切にお話ししています。

苦しみのなかの楽しみ

ところで尊徳はどうでしょうか。

お世話になっているおじさんの家で、尊徳が遅くまで本を読んでいたときに、
おじさんが火を灯す油がもったいないと戒めたことがありました。

そこで人が使っていない空き地を利用して菜種油を作り、
その油で火を灯し、夜、本を読んだことがあったのです。

それでもおじさんが、そんな時間があったら、もっと働きなさいと叱りました。

そのとき尊徳はどうしたかというのが『報徳記』(ほうとくき)に書いてあります。

少し長いですが、引用してみましょう。
ここでは、尊徳を金次郎と書いています。

そこで金次郎は夜になると必ず縄をない、筵(むしろ)織り、
夜がふけて人が寝るころになって、毎夜ひそかに明かりをともし、
衣類でおおって、外に光がもれないようにして、文字をならい、読書をして、
一番鶏(どり)が鳴くころになってやめた。

昼は山に登って薪をとり、柴を刈り、田にでかけて耕し、
また酒匂川(さかわがわ)の堤防の普請(ふしん)にかり出されて力を尽くした。

賃金をもらうと名主の家にいってこれを預け、1貫文に達するとこれを持って
村内の寡婦(かふ)や年をとって身よりのない極貧の者や
そのほか貧困の者たちに、200文、300文ずつ分け与え、
当座の貧困を軽くしてやり、すこしも自分のために用立てず、
このことを苦しみのなかの楽しみとした。

『報徳記』 日本の名著26 中央公論者(下線筆者)

修行僧堂でも夜の9時に消灯ですから、明りを付けてはいけないので、
衣類でおおって明りを外にもらなさいように勉強しました。

これは修行僧と同じですね。
私が僧堂に入ったばかりは、お経が読めなかったので、
自分の部屋もない私は、トイレの薄明りで経本を見て、
お経を覚えた記憶があります。

尊徳はそんな働く日々の中で、お金を貯め、
それを貧しい人に分け与えたわけです。

そんな苦しい毎日の中で、貧しい人に分け与えることを楽しみとしたといいます。
ここが、すごいです。私たちにはできますでしょうか。徳ある姿を思います。

この行動の奥にある思いは何でしょう。
それは「誠実で、人を思い慈しみ深い」思いです。
この思いが外に現れると、徳の姿として現れてくるわけです。

こんな人が日本人の中にいらっしゃったと思うと、私は日本人でよかったと思います。
子どもたちにも、学校で是非教えていただきたい偉人です。

慈しみの思いをあらゆるものへ

仏教も教えの柱の一つは「慈悲」です。
お釈迦さまが弟子であるサーリープッタという人によく説いた教えが、

弱いものでも、強いものでも、あらゆる生きものに、慈しみを以て接せよ

というものでした。

お釈迦さまはこのように、
何度もお弟子さんに、慈しみの心を語り聞かせました。

もうずいぶん前になりますが、無職の18才の3人の青年が、
東京のある小学校で飼っていたウサギを持ち出し、
そのウサギをサッカーボールのように蹴って遊び、
殺してしまったという事件がありました。

これは徳の姿ではなくて、残忍な姿です。
心の内に慈しみのない相手の苦しみを分かろうとしない思いをもっていると、
残忍な姿になっていくのです。

「あらゆる生きものに慈しみを以て接せよ」
とお釈迦さまは説かれましたが、ウサギにも慈しみの心があるのです。

昔ウサギを飼っていた時のことです。
お寺の隣のおばさんが飼っていたのですが、
おばさんが亡くなって、飼う人もいないというので、
私が預かり飼わせていただいたのです。

おばさんが亡くなって、火葬にいく霊柩車が来て、
みんなでおばさんと最期のお別れをしてお見送りをしたとき、
お見送りにきたみなさんが手を合わせて送ってあげたように、
そのウサギも巣の中で手を合わせていたというのです。

お寺にきたそのウサギは最初、頭をなでさせてくれませんでしたが、
餌(えさ)をやり可愛がって2〜3カ月ぐらいすると、
素直に頭をなでさせてくれるようになりました。
「この人は私に危害を加えない人だ」と分かったのだと思います。

それから2年ほどして死んでしまいましたが、
亡くなる数日前、私の夢枕に立ち、笑いながら何か言うのです。

何を言ったか覚えていませんが、ウサギがニコニコ笑っているのです。
きっとお別れにきたのだと思いました。

それから数日して亡くなりましたが、
お地蔵様のお札をそえて土に埋め、家族でお経を挙げてご供養しました。

ウサギを飼ってみて、ウサギにも慈しみの心があるのだと学びました。
ですから、そんなウサギでも人との交流ができるのだと思うのです。
このような慈しみの思いを持つことが徳の姿なのだということを知ってほしいわけです。

繰り返しますが、尊徳は誠実に働いてそのお金を分け与えた慈しみの思い、
それを「苦しみのなかの楽しみにした」といいました。

この言葉は大切な教訓の言葉として覚えておかなくてはならない言葉だと思います。

己に厳しくあれ

4番目の尊徳の生きる精神は、

己に厳しく、知足を旨(むね)とし、働くことを惜しまない

です。

尊徳が小田原藩の家老である服部家の財政再建を頼まれたときのことです。

服部家にはすでに千両という借金があったといいます。
家がつぶれる寸前であったわけです。

尊徳の働きで、その借金を5年で返し、さらに300両ものお金が余ったといいます。 その300両のお金を尊徳は次のように言って渡します。

「まず、100両を藩主の奉公のためにお使いください。
もう100両は奥様へ。これは家計が再び苦しくなったときにお使いください。
もう100両は服部様の宜しいようにお使いください」

それを聞いた服部家の主人は、

「我が家は没落寸前でした。あなたのおかげで我が家も持ち直しました。
このお金100両は、私のものではありません。
あなたの努力で生まれたお金です。
どうぞ、あなたに差し上げたい」

それを聞いた尊徳は、ご好意にあまえてお金を受け取り、
そのお金を今まで共に働いてきた人たち男女問わずに、

「5年間、よく私の言うことを聞いて、共に苦労をしてくれました。
これは御主人からのものと思って受け取ってください」

そういうと尊徳自身は一文も受けずに、
飄然(ひょうぜん)として服部家を後にしたといいます。

ここから教えてもらうことは、服部家のためによく働き、
最後に残ったお金も服部家のために残し、自分のものとしなかった。

これは自らに厳しくなくてはできないことですし、
欲を捨て、足ることを知っていたからこそできたことであろうと思うのです。

以上をまとめれば、尊徳の「徳の姿」を言葉として表現すると、

1、父母の恩を忘れない
2、勤勉で、よく学び、人の道を知ろうとする
3、誠実で、人を思い、慈しみ深い
4、己に厳しく、足知を旨として、働くことを惜しまない

こうなります。

このように思い考え、その思いを行為に現わしていくと、
やがて顔や姿に、徳が現れてくるということです。

徳ある人生 3 徳の特徴とは

徳の3つの特徴

次に徳の特徴について考えてみます。
特徴といっても少し分かりにくいかもしれません。

人でいえば、あの人の顔は丸いのが特徴であるとか、
背がとっても高いのが特徴であるといいます。

それと同じように考えてみて、徳の特徴について3つほど挙げてみます。

1つ目

徳は自ずと人にうつっていくということです。
徳ある人と一緒にいると、その徳に感化され、
自分もそうなりたいと思うようになります。

2つ目

徳は自らを輝かせ、他の人も輝かせて幸せにしていきます。

3つ目

徳は老いを知らず、死を知らず、ずっと生き続け、
人を正しい方向へと導いていく特徴があります。

この3つを順次考えていきましょう。

徳は人にうつっていく

たとえば頭の良い子がいて、この子はテストでいつも100点取るとします。

その子の隣に座って同じテストを受けたら、
その子の賢さがうつっていって100点取れるでしょうか。

おそらく取れないでしょう。
その子とは関係なく、自分で勉強しなければ100点は取れませんね。

あるいはお金持ちの方が公園のベンチに座っていた。
ときたま貧しい人が隣に座ってしばらく休んだ。

お金持ちの思いや姿がうつっていって、
貧しい人はお金持ちになれるでしょうか。なれません。

私は坊さんをしていますが、
話を聞いているみなさんは、決して坊さんにはなれません。

修行にいって、研修を受け、試験に受かって、やっと坊さんになれるわけです。
坊さんの隣に座っていて、坊さんの能力がうつっていって、自然にお経が読め、
坊さんになっていくなどできないことです。

でも、徳は違うのです。うつっていくのです。

香を焚くとその香りが服についてうつっていきます。
また、その服についた香りが、隣の人にもうつっていくことがあります。
それが徳の特徴なのです。

次の投書を読み、徳がうつっていく感じをつかみ取ってください。
16才の高校生の女の子の投書で、「親切を行動に移す勇気を」という題です。

バスに乗っていた時のことです。

バスが発車しようとしたところ、
「おい、ねえちゃん、忘れていったんじゃないか」
という男性の声が聞こえてきました。

どうやら、誰かが忘れ物をしたらしいのです。

その男性は運転席まで行き、事情を説明しました。
そして、前を歩く落し主の後ろにバスをつけてもらい、前のドアから一言、

「おうい、ねえちゃん」

その瞬間、誰からともなく、「いい人だ」という声がもれました。
その中には、「今どきの若者」と言われる人たちもいました。
彼らも決して心が冷めているわけではないのです。

バスを降りて落し物を女性に届けた後、
その男性は何事もなかったかのようにバスに戻ってきました。
バスは穏やかな雰囲気に包まれ走り出しました。

親切とは心の中で思っていても、なかなか実行に移せないものでしょう。
その男性は何の迷いもなく、すぐに行動しました。すごいと思いました。

心の中で思うだけでは相手に伝わりません。
私も勇気を持ちたいと思います。

読売新聞 平成元年2月9日付

この男性の勇気ある親切が、まわりの人に「いい人だ」と言わせたり、
「バスは穏やかな雰囲気に包まれ」というところから、男性の親切さが、
バスの中にいた人達にうつっていくのがよく分かります。

この男性の親切も徳の一つの現れで、
そんな徳が相手にうつっていって幸せな気持ちさせたり、この高校生のように、
できれば私も勇気を出して、この男性のようになりたいという思いにさせていくのです。

徳は相手にうつっていく、徳の一つの特徴です。

(つづく)


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