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法話

美しく最期を迎えるために 1 別れのイメージを持つ

死の練習

心理学者であり精神分析学者であるユングという人が、
「死の練習」には20年かかると言っています。

死の練習といっても、これは自殺のすすめではなく、
死を受け取るまでに、死の意味を学びながら、「いかに生きるべきか」を自らに問い、
この今を大切に生きていくという意味があると思われます。
そう生きて最期を美しく迎えられるのです。

古代ギリシャの哲学者であったプラトンは、数多くの『対話編』を残しました。

死の床にあったプラトンに、 この『対話編』を要約するとどうなりますかと聞くと、
じっくり考えていったプラトンの言葉は、ユングと同じように「死ぬ練習をせよ」という答えであったようです。

ユングが活躍したのはプラトンに比べればつい最近で、60年ほど前になりましょうか。

プラトンが紀元前4世紀ぐらいに活躍した人ですから、
その差は約2300年ほどになります。

でも、この二人の精神世界の巨匠がいっている「死の練習」というのは、
非常に興味がある考え方であると思います。

プラトンはあの世を確信していますし、ユングも霊体が身体から抜け出し、
何千メートルもの上空から地上を眺めたという体験をしていますから、
あの世の存在を知っていたのかもしれません。

死の練習というのはあまり聞いたことはありませんが、
字を習うにも何度も練習し、最後に清書して先生に提出したり、展示したりします。

楽器を弾くにも、師に学び、
どれだけ練習を積み重ねて上手になっていくか分かりません。

スポーツも勉強も仕事もみな練習しながら熟達していきます。
事を成すのに、たいがい先生について、その学び方を教えてもらい、
何度も練習して上手になっていくわけです。

死の練習も同じことがいえると思います。

死の練習、あるいは死の準備といってもいいかもしれませんが、
そんな備えもせず死を迎えたならば、誰しもが恐らく困惑して迷ってしまうでしょう。

あたかも、一度も車の運転をしたことのない人が、
何の練習もなしに急に「車を運転してくれ」といわれれば困ってしまうのと同じです。

ではどのように死の練習をしていったらよいのでしょう。

イメージする力

私は正直に言って坊さんに「なりたくて、なりたくて」なったわけではありません。

父が急にガンで亡くなってしまったので、
お寺を継ぐために坊さんになったわけです。

でも、いくらお寺を継ぐためとはいえ、一生の自分の仕事になる職業ですから、
自分なりに精いっぱいやっていこうと思ったのも確かなことです。

「お坊さんになって、この仕事を大切にしていこう」という思いと、
そんなイメージを心のなかに描きながら働いてきて、すでに30数年が立ちました。

もし坊さんの仕事がいやでたまらず、30数年やってきたならば、
おそらくこの「法愛」もないでしょうし、法話会といったお話も一つもしていないかもしれません。

ですから、イメージとして「私はこんな坊さんになりたい」というものがあったので、
それが今の形になって現れてきていると思っています。

このように「こんな仕事をしてみたい」「こんな人になりたい」などの思いが強くあると、
やがてそれが現実として、目の前に現れてくるという法則のようなものがあるのです。

野菜でも「美味しくて、大きくて、美しい。そんな良い野菜を作りたいなあ」と思って、
野菜作りに勤(いそ)しんでいる人は、何も思わず野菜を作っている人よりきっと良い野菜が出来ると思います。

「みんなが美味しいといってもらえるような料理を作ろう」と思って料理をしていると、
そのイメージにあった料理ができるのです。

年老いて、
「ほがらかで物分かりの良いおじいちゃんになりたい」と思って努力してきた人は、
そんなおじいちゃんになる確率は高いといえます。
「意地悪ばあさんになりたい」と思って暮らしていれば、きっとそうなるでしょう。

心に強く思っていること、またそれをずっと思い続けていることは、
不思議と現実化してくるのです。

死のイメージ

そんな法則をもとに死を考えてみるのです。

私は死をこのように迎えたいと思っている人は、
自分の思っているイメージのような死を迎える確率が高いといます。

たとえば「私は認知症になって、何も分からなくなり、
やがて寝たきりになって、みんなを困らせて死んでいくかもしれない」と、
ずっと思っていれば、きっとそのようになるでしょう。

そうではなくて亡くなるときには、
「自分の家の畳の上で、家族のみんなに囲まれ
『長い間お世話になりました。ありがとう』と言って亡くなっていきたい」
と思っている人は、そのように死んでいける確率は高いと思います。

実際その時がこなければ確かなことは分かりませんが、
でも「自分はこのように死んでいきたい」という願いを持って生きていけば、
そんな願いのように亡くなっていく確率は高いのです。

自分の思うように死ぬ

作家で遠藤周作さんという方が
『死について考える』(光文社)という本を書いたことがありました。

この本の中に
アルフォンス・デーケン氏のお母さんが亡くなったときのことが書かれています。
デーケン氏は「死学の創始者」とも言われ、死の準備教育をうったえた有名な方です。

お母さんが亡くなる時に、息子さんや娘さんたちを全部集めて、
こんな会話をしたといいます。本から引用してみます。

「酒を一杯飲ませてくれ」

というので、子どもたちはびっくりしたんだけれど、
死ぬ前にいうことだからと、飲ませてあげたんですよね。そしたら、

「ああ、おいしかった」

と言ったんだそうです。その後で、

「煙草を一本吸わせておくれ」

と言ったんだそうです。今まで煙草を吸わなかった人なんです。

「煙草なんか吸わなかったのに、どうしてですか」

と聞いたら、

「いつか煙草を吸ってみたいと思ってたんです。一服吸わせてね」

と言うから。煙草に火をつけて渡してやったら、一服吸って、

「どうもありがとう」

と言って目をつむり、死んでいったそうです。

デーケン氏は、この体験から、母のように死んでいきたいと言ったそうですが、
こんな死のイメージも良いですね。

私自身の死のイメージがあります。
そのイメージを私が書いた『精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう』の本の
最後の方に、詩の形で載せました。

この詩は、
スイスに生まれた哲学者でもあり政治学者でもあるヒルティという人の考えと、
臨済宗で読んでいる『大慧禅師発願文―だいえぜんじほつがんもん』というお経の
内容を合わせて、私なりに死のイメージをして書いたものです。

長い詩なので、最後の方だけ少し載せてみます。「生と死の旅」という題の詩です。

ほんの少し病む時を経て
亡くなる七日以前に
天使からの旅立ちの声を聞き
五月の爽やかな道を散策して
眠るように静かに天に帰っていった
机の傍らには
『永遠のいのち』という本が
著されてあった

亡くなる7日前に、「私は死を迎えるのだ」と知り、
5月の晴れた爽やかな日に、外へ出て少し散歩をし、
家に帰って揺り椅子にもたれかけ、静かに亡くなっていく。そんなイメージです。
最後の仕事としては、『永遠のいのち』という本を書くわけです。

できることなら、
「あんな詩を書いたのに、2月の寒い日に亡くなっていったなあ」
と言われないように精進していかなくてはと思っています。

美しく最期を迎えるために 2 家で最期を閉じることと告知について

延命の良し悪し

できれば家で亡くなっていくことがよいと思います。
病院の冷たい壁を見ながら亡くなっていくほど、寂しいことはないでしょう。

普段住みなれた家で最期を閉じる。
これも一つの美しく最期を迎えることだと思います。

でも、今現在、家で亡くなっていく人は少なくなりました。

2005年の統計(医療経済研究機構調査)では、
病院で亡くなる人が80%で、自宅が13%、ホームが7%です。

家で介護ができない場合、ホームで亡くなっていきたいと思っても、
身体に異常があれば、ホームから病院に運ばれ、そこで死ななくてはならないという場合が多いようです。

点滴などの過度の栄養をいただいて、少し長生きをするよりも、
延命をせず、自分の身体が使えなくなっていくのを自然に受け取って、
食を細くしていくほうが、死を受け取るものにとっては良いと思われます。

平成16年の厚生労働省検討会の報告では、
最期を迎える時、単なる延命処置はいらないという人が74%で、
医師では82%だといいます。

いつも現場にいて延命の苦しさを見ている医師は、
延命よりも自然に亡くなっていくほうがよいと思っているのです。

私の近くの医師も亡くなる時、点滴は受けなかったようですから、
延命のための点滴は、素人の私がいうのは軽薄かもしれませんが、
考えものだと思います。

家で亡くなっていく場合の心構え

できれば家で亡くなっていきたいと思いますが、
介護する家族の負担も大きいので、誰でもできるというわけにはいかないでしょう。

でも大切なことは、家族愛を常に作っておくことだと思います。

「この人は家族にとって、かけがえのない人だ」とか、
「家族にとって、とても必要な人だ」という生き方をしておくことが大事である
と思います。

それも死の練習の一つかもしれません。

家で亡くなっていく時に注意しなくてはならないことは、
いつまでも家にいたいと執着しないことです。

平安時代では、家で亡くなると、
亡くなってからも家にずっといたいと執着して、
その強い思いが成仏の妨げになるので、村に阿弥陀堂という御堂を作り、
亡くなりそうになるとそこに入って、亡くなっていったそうです。

「もうあなたの寿命は残りわずかですよ。
  阿弥陀堂にいって、無事浄土の往生できるように御念仏を唱えなさい」
と言ったのです。

今よりも返って告知が進んでいたのかもしれません。

こんなことが平安時代にもあったのです。
家で亡くなると家に執着して、なかなか往生できないという考え方です。

ですからもし幸いにも家で亡くなっていける人は、家にいつまでも止まっていないで、
あの世の世界へ帰っていくんだという思いを持っていることが大事になります。

人は亡くなると、使えなくなった身体を捨てて、
心の身体(霊体ともいう)になって、あの世の世界へ帰っていくのですから、
いつまでも家にいるというのは、禅的には迷っているといえます。

亡くなったら家にいつまでも執着しない。
49日になったら、帰るところに帰ると知っている。

これも死の練習、あるいは死への準備かもしれません。

告知について

告知については、今は平安時代のように、
「あなたは死ぬから阿弥陀堂に移って、死になさい」などとはいえないものです。
それだけ信仰心が薄れてきているのでしょう。

私の知人の和尚さんが、以前二人亡くなったことがありました。

一人の和尚さんは自分がガンであることを知っていて、奥さんも知っていました。
その和尚さんが亡くなった時、もう家族とのお別れもできていて、
和尚さんが亡くなっても奥さんは気をしっかり持ちお葬式もちゃんと出してあげました。

この時、告知をしていると、
お別れもちゃんとできて、強い心を持つことができるのだと思ったのです。

もう一人の和尚さんもガンで亡くなっていったのですが、
家の人が本人にも奥さんにも知らせませんでした。

ですからお別れもないので、
和尚さんが亡くなった後、奥さんは力をおとし、
立ち直るのにずいぶん時間がかかったようです。

ですから、この意味で告知は大事であると、私は思います。

告知するにも、「死んだら何もかもおしまい」と考えている人は、
なかなか告知はできないでしょう。

告知には、あの世の知識がいるのです。
その辺を来月で・・。

(つづく)