ホーム > 法愛 > 法話

法話

春風のスイッチ 1 スイッチの意味

今月は「春風のスイッチ」というテーマでお話をしたいと思います。
これは平成17年の3月に女性部の理事会でお話ししたものです。

生きるテーマ

スイッチというと、電気をつけるときのスイッチを思い出します。
最近の家の電気のスイッチは昔のものと比べるとずいぶん工夫がこらされていて、
素敵な形をしています。

そのスイッチを入れると、暗い部屋もパッと明るくなり、
「ほっ」とした気持ちになります。

今は2月なのでとても寒いのでストーブをつけます。
そのときもストーブにスイッチがあって、
そのスイッチを入れるとストーブが動き出し、部屋を暖かくしてくれます。

このお話はマイクを使ってしています。
それはマイクのスイッチを入れると私の声が大きくなり、
聞いてくださっている方々が聞きやすい音になるからです。

3つの例をここにあげましたが、
みなスイッチを入れることで、私たちに役に立っていることが分かります。

ここがとても大事なところなのです。

スイッチを入れることで、「人さまのお役に立つ」というのが、
このお話の一つの要点になるのです。

これを私たちの生き方に当てはめてみます。

まず、自分自身のスイッチを入れます。
そうすると電気やストーブあるいはマイクのように、
「人のお役にたてるような仕事ができる」ということです。

ここに私たちがこの世に生まれ、ここに生きている大切な意味が隠されています。

人生の目的とか、生きる意味とかよく言われますが、
自分のスイッチを入れて自分のできる事を行う。

それは人に役立つための仕事です。
そのために、私たちは、自分自身のスイッチを入れるのです。
これが私たちの生きる一つの大きなテーマではないかと思います。

してもらうスイッチ

人に役立ちたいというスイッチの他に、
「してもらいたいというスイッチ」もあります。

会社などで
「あなたの技術が優れているので、是非うちの会社で生かしてもらいたい」と、
相手に言われる場合は良いのですが、 そうではなくてこの私が「会社にこうしてもらいたい、ああしてもらいたい」となると、どうも雲行きがおかしくなり、
あたたかな幸せを運ぶ春風のスイッチにはならないのです。

私は坊さんをしていますが、たとえば、
「檀家さんにこれもしてもらいたい、あれもしてもらいたいために、

そんな思いでいれば檀家さんはどう思うでしょう。
おそらく私の悪口が飛び交うはずです。

そうではなくて、
「未熟だけれど、檀家さんのために精いっぱい仕事をし、お話もし、
心をこめて法事もさせていただきたい、檀家さんのために役立ちたいのです。
そう思って住職をしています」。

こうなれば、檀家さんも安心して住職にお寺を任せられるでしょう。

これが春風のスイッチで、最初のしてもらいたいスイッチは、
黒煙のスイッチともいえるかもしれません。

これは夫婦や家庭でも言えます。

夫自身が、妻にしてもらいたいというスイッチを入れれば、
「妻は私のために、これも、あれもするべきだ」となります。

初めのうちは耐えられましょうが、そのうち仲たがいする確率が高くなります。

逆に夫自身が、「妻に役立ちたい、妻を幸せにしてあげたい」と思って、
暮らしていれば、妻も居心地がよくなって、家庭もうまくいきましょう。

妻自身も「あなたのお役にたちたいの」と一生懸命尽くし生きれば、
家庭がきっと明るくなります。

春風のスイッチを入れると、まわりがあたたかくほのぼのとしてくるのです。
そこで今、私はどちらのスイッチを入れているかをよく見ていただき、
できれば、春風のスイッチを入れてほしいのです。

春風のスイッチ 2 スイッチの入れ時を間違えない

時と場所を間違えると迷惑になることも

スイッチも入れ時を間違えると、
かえって役に立たずに迷惑をかけることがあります。

蛍光灯のスイッチを明るい昼間つけても、効果がありませんし、
電気代も無駄になります。

映画館は暗くして映画を見ますが、
映画を放映中に蛍光灯をつけたら、画面が薄れて、
映画を見ることができなくなります。

このスイッチも時と場所によって、善にもなり悪にもなってしまいます。

また私の例でお話すると、私はお経を読みますが、
法事や儀式の席でお経をあげるのは、尊いことです。

それを衣を着て病院へ行き、お経をあげたら、普通の人は
「冗談じゃない。あの坊主、何を考えているんだ。縁起でもない」と叱られましょう。

普段、着ている作務着(さむぎ)で病院へ行ったことはありますが、
衣で病院へいったことはありません。作務着でも、少し行き辛い感じがあります。

いくら有り難いお経でも、場所が誤っていると、悪になることもあるわけです。

あるいは主婦のみなさんが、
一生懸命、美味しい料理を作って、役に立ちたいからといって、
夜中の3時に寝ているみんなを起こし「さあ、食べて。おいしいわよ」といったら、
きっと文句がでること間違いありません。

時が違うのですね。

そうでなくて、誰かの誕生日の日に、
「お祝いしたいの」と手をかけた料理をだせば、
きっと「美味しい」といって食べることでしょう。

ストーブでも真夏につけてごらんなさい。
暑い日なのに、さらに熱くなって、気が変になったと思われるでしょう。

最近よく見る光景は、車の中でタバコを吸って、
その吸殻を窓から投げ捨てる人がいることです。

これも捨てる場所を間違えているわけです。
見ていて、いい気分はしません。

タバコの吸い殻をゴミ箱に捨てれば、誰にも迷惑はかかりません。

ありがとうのスイッチ

春風のスイッチといっても、
行動だけでなく、言葉でも表すことができます。

「ありがとう」とか「すみません」
「おはよう」「いただきます」「ごくろうさまです」など
みな、春風のスイッチが入るといえる言葉です。人を幸せにする言葉だからです。

ありがとうの言葉をいう、そんな時を失うと、後悔をすることさえあります。

長い間、介護をしたお嫁さんに
「あなたにはずいぶんお世話になったね。ありがとう」といって、
数日後に旅立ったおばあさんがいましたが、時を踏まえた春風のスイッチです。
きっとお嫁さんは、今までの介護の苦労を忘れるほど、有り難かったでしょう。

心の中で思っていても、
それを実際に言葉に出していえなかたなら、後悔するものです。

私の知り合いに、こんな方もおられます。
急にお義母さんに認知症の症状が出て、お嫁さんが驚き、
大変な思いをして介護したことがありました。

でもある日、お義母さんが「私、認知症から帰ってきたの」といいます。
そして涙しながらお嫁さんに「やさしくしてくれて、ありがとう」といったのです。

そのお義母さんは、確かに認知症が治ったようです。

ここで分かることは、認知症になった当事者は何も分からなくなったのではなく、
心の中では介護している人の思いや行いを知っているといえます。

ただ、それを上手に表現できないだけかもしれません。
このお嫁さんは、春風のスイッチを入れて、お義母さんを介護していたので、
そのやさしさがお義母さんの心には確かに伝わっていたのです。

そして「やさしくしてくれてありがとう」といったお義母さんも、
言う時を誤らず、「ありがとう」がいえて、そこにあたたかな春風が吹きぬけていき、
幸せな気持ちになれたのです。

常にあたたかな気持ちを持ち、心をいらいらさせないで、
今、春風のスイッチを入れるときだと感じたら、実際にスイッチを入れて、
お役に立てる言葉や行いに心がけることが大事なのです。

春風のスイッチ 3 幸せの春風

春風のスイッチの入れ方

自分の春風のスイッチを入れることで大切なことは、
多くの人から幸せの春風をいただいていることに気づくことなのです。

言い換えれば、常に支えられている私であることに気づくことです。

私のお寺の山門には4つほどの階段があります。
お参りに来る方は何気なくこの階段を上ってくると思いますが、
以前、車いすの方が来られて、その方は簡単にはその階段を上れないのです。

そこで私と付き添ってきたもう一人の男性とで、その車いすを持ちあげ、
境内に入っていただいたことがありました。

そのとき、自由に足を使えるというのは有り難いことだと思ったのです。
私は、私の足に支えられているということです。

足に支えられ、手に支えられ、鼻に支えられ、
この舌に支えられ、目や耳にささえられて、さまざまな活動ができています。

このことをしっかり心に受け止めると、「ああ、ありがたい」と思えてきます。

すると、足を大事にし、手を大事にし、鼻を・・・と、
この身体を大事にすることができます。

これも支えられていることに気づき感謝できて、
春風のスイッチを入れることができ、「ありがとう」がいえるわけです。

あるいは以前、地区の役員をしていたときに、
主役(おもやく)だったので、先に地区の公民館へ行って、
ドアの鍵をあけ、電気をつけ、机を並べ、冬ならばストーブをつけて部屋を暖かくし、
お湯を沸かしてお茶を出せる準備をしたことがありました。

みんなより先にいくのは、ずいぶん大変なことだったのです。

昔そんな体験をして、最近ある役で夜、地区の公民館へ行ったことがありました。
すると、すでに公民館には電気がついていて、中に入るとストーブもつけてあって、
部屋が暖かくなっています。

そこで昔、私のしたことを思い出したのです。

「この会合も、先に来て公民館の鍵を開け、電気をつけ、
ストーブをつけ、部屋を暖めてくれる人がいる。
私も昔そんなことをしたけれど、そんな人がいるからこの会合ができるんだなあ。
そんな人に支えられ、私もここにいるんだなあ」と気づかせてもらったのです。

何気ないところで、支えられている私たち。今回のテーマでいえば、
春風をいただいて、幸せな思いにさせてもらっているといえます。

そのことに本当にそうだと深く心に思えば、
私も春風のスイッチを入れて、幸せの風を吹かせなくてはと思うようになるのです。

父と母に幸せの春風をいただいて大きくなったと深く感じれば、
父も母も大事にするようになります。

そのように自分が今ここにあるのは、
多くの人が幸せの春風を吹かせてくださったおかげだと感じれば、
私自身も春風のスイッチを入れて、役だっていきたいという思いになるのです。

これが人としての道ですし、徳を培っていく方法でもあると思います。

多くの人に支えられて

昔、山梨県へいって、お話をしたことがありました。

15ケ寺ほどのお寺様をまわったのですが、まだ4月の初めで寒く、
2日目ぐらいに寒さで体調をくずし、風邪をひいてしまったのです。

37度ほどの熱がずっと下がらず続いて、
そんな状態で2週間ほど講演してきました。ずいぶん辛い体験でした。

でも無事講演も終わり、お寺様にお礼の手紙を書きましたら、
あるお寺様からこんなお手紙をいただいたのです。

この度の春の講演、ほんとうにお疲れ様でした。
体調をくずされた中での講演だったので、大変だったと思います。

それぞれのお寺様からの報告によりますと、
「いままで一番、感銘を受けた講演であった」という意見がほとんどでした。

私も幾度となく拝聴させていただきましたが、
檀家のみなさま方が感じたことと、まったく同じで、
今回の講演は本当に良かったと思いました。

さらに著書(『精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう』)までいただき
読ませていただきました。

生と死の身近なお話を中心に、
詩の表現にも大変感動を受けました。

本当にありがとうございました。

こんなお手紙です。

苦しい中の講演でしたが、
こんなふうに多くの人に幸せの風を吹かせていただいたおかげで、
無事、講演を終えることができたのだと、改めて思ったのです。

そうすると、未熟ではあるのですが、
私ももう一度頑張って、春風のスイッチを・・・と思うのです。

春を告げる手紙

ここで一つの投書を載せて、このお話を終えたいと思います。
42才になる女性の方の投書です。

「春を告げる手紙」という題です。

「春を告げる手紙」

我が家の6歳の次女は自閉症。

じゃんけんで負けるとかんしゃくを起こす、
といったわがままな反応をすることもあり、
周囲の人たちは、小さい時から「個性的」という受け止め方をされた。
幼稚園の先生や友達、お母さん方に迷惑をかけることも多かったと思う。

成長に伴い、娘の言動に対して「異端児」と受け止める友達も出てきた。

クスクス笑われたり、からかわれたり。
娘が近付くだけで逃げる男の子も見かけるようになった。

いまひとつ、ピンときていない本人以上に、
親の私はいたたまれず、悲しかった。

冬の木枯らしに、心の中まで冷え冷えさせられる思いだった。

そんなある日、娘が友達から手紙をもらって帰ってきた。
普段あまり遊ぶことのない女の子からだ。

「きのうはすごかったね。
グループのなまえきめるとき
じゃんけんでまけたのに よくがまんできたね。
フワフワラビちゃんっていうなまえ よくかんがえたね。
いつまでもともだちだよ」

何度も読み返しては、泣いた。

こんなに優しく見守って認めてくれる子もいるんだと思うと、
急にうれしくなって、あたたかい気持ちに包まれた。

私の心に春がやってきそうな予感がしている。

朝日新聞 平成17年2月13日

どこかで誰かが必ず支えてくれています。
そんな思いに気づいて、あなたも春風のスイッチを入れてみませんか。


訪問者数:    本日: 昨日: