ホーム > 法愛 4月号 > 法話

法話

何もかも大切にできる力 1 苦難を大切にできるかどうか

1月号です。今年も心をこめてお話し致しますので、宜しくお願い申し上げます。
今月の演題は「何もかも大切にできる力」です。

人生を豊かに暮らす方法

このお話を作るときに、まず演題を1ヶ月ほど前に考え、
この演題の何もかも大切なことについて、
「こんなことが大切なことだし、これも必要なことだなあ」と、
気づいたことをノートに書いて、それをまとめていきます。

こうして1ヶ月くらい「何もかも大切にできる力」といことについて考えてきて、その間に
失敗したことや嫌な出来事、不満になることが起きてきたときに思ったのです。

「私は今度『何もかも大切にできる力』というお話しなくてはならない。
こんな時に不満を言っていてはいけないし、この不満な出来事の中から、
どのような大切なことを見つけたらいいのか」と、考えられるようになったのです。

この演題のテーマだけでも、日ごろ大切に心の中で思っていると、
そのように自分が変わってくるのだということを知りました。

抽象的ではありますが、
たとえば道を歩いているときに、石につまずいて転んでしまった。
そのときに、手や足や腰を打ってしまった。すごい痛い思いをした。

その体験を振り返って、「大変な目にあって、損をした」ではなくて、
「何か大切なことを知らせてくれたのではないか」と、このように物事を考えられるようになれば、人生をより豊かに暮らすことができると思うのです。

ですから人生の中で何もかも大切にできる生き方ができたら、
こんなに素晴らしいことはありません。

運命の善意を知る

この何もかも大切にできる力について、
ある一人の女性の生き方を省みて考えてみたいと思います。
少し引用が長くなりますが、ご勘弁ください。

この女性は49才でガンになって亡くなりました。
亡くなる前にこんな言葉を残して亡くなっていったのです。

ね、私って、子どもを残したわけでもなく、
これといった仕事の成果を残したわけでもなく、
ただ辛い中で競争心だけを燃やして生きてきただけなんです。

人生に意味があるなんて思ってもみませんでした。
でも、いま私はよく分かったのです。

「運命の善意」を知るために、私の辛い一生が与えられたのだということが。

この言葉を残して翌朝、穏やかな顔をされ亡くなっていきました。
この女性のとても辛い人生のなかに、自分を育てる大切なものがあったのです。

このお話が出てくるのは『死にゆく者からの言葉』(文春文庫)という本からです。
書かれた人は鈴木秀子さんです。

鈴木さんは聖心女子大学の教授を経て、
国際コミュニオン名誉会長をなされておられます。

では、この本にでてくる美雪さんという人の生き方を追いながら
なぜこの言葉が出てきたかを考えてみましょう。

彼女は49才でガンに侵(おか)され、気づいたときには末期であり、
手遅れの状態でした。

美雪さんは九州生まれで、18才の時、東京に出て来て
一度結婚をしたのですが、すぐに離婚してしまい、
30年近く一人で暮らしてきました。

末期ガンになって病院に入院し、鈴木秀子さんに是非お会いしたいということで、
鈴木さんが病院へお見舞いに行ったわけです。

鈴木さんは臨死体験をされてから、病気の人と手を握ると、
その人の心に思っていることが分かって、奇跡的に病気が治ってしまう
という事もあったようで、不思議な力をもった方でもあります。

美雪さんが初めどのような状態であったかというと、
「どうして自分だけが、こんな不幸な目にあうのか!」という思いが強く、
そのために絶望に陥り、まわりの人の悪口ばかりを言い、
そのためにしだいに見舞いに来る人もいなくなり、
人相さえも悪くなってきたといいます。

くぼんだ目をぎらつかせ、
運命に対する恨みや不平不満を鈴木さんに語ったようです。

そして鈴木さんに
「聖人づらして・・・。私は神様など信じない。
何も悪いことなどしていないのに、こんなひどい目にあわせるなんて」と、
同じことを何度も言い、まくし立てるのです。

「何も悪いことをしていないのに、こんなひどい目に合わせるなんて」
という言葉は、よく聞きますね。

鈴木さんが3度目にお見舞いに行った時には、「運が悪い」と繰り返します。

こんな人が今亡くなっていけば、
幽霊になって、ばけてでそうな迫力さえあったといいます。

こんな状態の人がなぜ、あの最期の言葉を残せたのでしょう。

鈴木さんが「生まれ落ちた時から運が悪いってどういうことですか」
と聞くと美雪さんは、少し素直な心になって、こう語ったのです。

もう40年以上も前のことです。

6才ころに縁側で浦島太郎の本を見て、竜宮城の美しい風景に見いっていると、
おばあさんが、「お前を、竜宮城へ送ってあげたいね」といいます。

「カメに乗っていくの」と私。

するとおばあさんは、
「お前はお父さんとお母さんが失敗して出来た子。
だれも赤ん坊を欲しくなかったのだけれど、できたものはしょうがなくて、
生まれてきてしまったんだよ」というふうに言ったのです。

私はそんな思いを抱えながら、
「私はこの家の子」だと思い、一生懸命勉強をしました。

心のなかでは、
「私を竜宮城へ行かせないでください。お父さんお母さん、私を受け入れてください」
といつも思っていたのです。

「私は親に拒絶され、この世に受け入れられない人間なんだ」
という思いでずっと苦しみ続けてきました。

そんな話を鈴木さんに話しながら心を素直にさせていくのです。

今日おばあさんの夢を見たのです。
おばあさんがカメに乗ってね、私を迎えに来てくれたんです。
私もそろそろこの世とお別れするときがきたかもしれません。

こんな気持ちになって一つ気づいたことがあったのです。

おばあさんがあの時、竜宮城へお前を連れていってあげたいという真意は、
私を邪魔者扱いにしたのではなくて、せっかく生まれてきたのだから、
温かな人たちと心が通い合う所へいかせてあげたい。
本当はそう願っていたのだと思います。

この発見をして、美雪さんは前述した最期の言葉を残し、
静かに亡くなっていきました。

考えてみると、最初、美雪さんは自分の運命を大切にできなかったわけです。

「失敗してできた必要のない子」と知れば、誰でも不良化していきましょう。
でも、自分の心に素直になって、穏やかに人生を振り返り、
実は私は貴重な人生をいただいたんだと発見できるようになりました。

「運命が悪い」と言い続け、実際そう思っていた美雪さんが
「運命の善意」を知るために、辛い人生があったのだと知りました。

このとき自分の人生を受け入れ、
何もかも大切な学びであったことを知ったわけです。

おばあさんの竜宮城へつれていってあげたいという思いが、
心のかよう温かな人がいる所へという意味なのだと知ったとき、
おばあさんの優しさが分かり、
美雪さんにも味方してくれる大切な人がいることを知ったのでしょう。

「必要とされる」ということが
いかに人生を生きるための力になることを感じます。

「私は必要とされて生まれてきた」という考えが、
人生の出来事の何もかもを大切にできる、
一つの大きな力になっていくのかもしれません。

何もかも大切にできる力 2 人生の意味を知る

この美雪さんの話のなかで教えられることは、すべてに意味があるということです。

その意味を知るためには、心穏やかにし、素直な気持ちになって、
さまざまな出来事を省みることが大事になります。

人生の意味を知ると、
すべての出来事が何か大切なことを教えてくれることであると分かってくるのです。

私の部屋の中にあるものは、すべて意味があって存在しています。

パソコンも電話も、本も、そして20年以上使っている鉛筆削り器も、です。

この鉛筆削り器は、子どもがまだ小さい頃に買ったもので、
当時小学校へ通う子どもたちも何度も使いました。
今でも大事に鉛筆を削らさせていただいています。

同じように、私たちも意味があって生まれてきて、
この法愛を今読んでくださっているわけです。

さまざまに出会う人や出来事に意味があり、
それを知ることで何もかもが大切なものであることに気づくのです。

今回の「何もかも大切にできる力」というテーマを思いついたのは、
歌手でもあり作曲家でもある木村弓さんの言葉からです。

体調を崩したおかげで、何が本当に大切なのかをつかめたかもしれません。

「千と千尋の神隠し」という映画がありましたが、
その主題歌の「いつでも何度でも」という曲を作曲し歌った人です。

木村さんは5年ほど声が出なかった時があったそうです。
お坊さんが声が出なくなったら廃業ですが、歌手も同じです。

歌手で人前で歌を歌う立場にある人ですから、
声が出ないというのは、大変なことです。

食事療法などで徐々に体調を回復させ、発声練習をするなかで見つけたのが、
ドイツの竪琴ライアーという楽器でした。

「今の私の声に合うかもしれない」と直感し、
ほとんど独学で覚え、今の演奏スタイルを確立したといいます。

5年ほども声が出ない時に、知り得た言葉が前述したものです。

苦難の中で静かに自分を見つめたり、なぜ声が出ないのかという意味を探ったり、
この出来事は何を教えてくれているのかというのを考えたりして得た言葉だと思います。

声がでなくて、ライアーという竪琴に出会い、その楽器に合わせて声が出、
「いつでも何度でも」という曲を作り、そして歌い、大ヒットをしたわけです。

きっと5年ほど声がでなかった苦しい期間は、
今ではとても大切にできる体験ではなかったかと思います。

そんな苦しい出来事にも大切な意味があるのです。
そう知ると、何もかも大切なのだということが分かってきます。

何もかも大切にできる力 3 愛の深さ

人生に意味があり、すべてが大切な出来事であると知るために、
愛の思いを知ることが大切です。

すべての出来事や触れ合いの中に愛の思いが流れているからです。
愛とは仏教的には慈悲、慈しみの心をいいます。

この愛は私たちの尊い思いから流れ、
また、神や仏と言われる尊い存在から流れ出ている力でもあって、
この世の価値では、はかることのできない尊いものです。

その愛を知ると、自分の人生を大切にできる力になっていきます。

イギリスの物理学者でファラデー(1791〜1867)という方がいました。
ファラデーが学生たちに一人の母の涙を試験管の中に入れて、
こう学生に言ったという言葉があります。

慈母の涙も科学的に分析すれば少量の水分と塩分だが、あの頬を流れる涙の中に、
科学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らなければならない。

化学という物質上の知識にとらわれやすい学生に対して、
愛の深さを語った有名な言葉として残っています。

母の涙の中には尊い愛情がある。
それは目には見えないけれども、人としてとても尊いものであるわけです。

さまざまな出来事に中には、何か知れないけれど、尊い愛の思いが流れていて、
苦難の中にそれを発見したとき、何もかも大切なことなのだと知るのかもしれません。

10才になる小学生の女の子が書いた「たんぽぽ」という詩があります。
ある新聞の朝の詩に掲載され、月間賞にも選ばれた詩です。

たんぽぽ

目立たなくても
小さくても
せっかくきれいな花を
さかせているのに
少し かわいそう
でも
一度も見られていない
花なんて ない
なぜって いつも
神様が見ていてくださるから

産経新聞 平成16年5月17日

この詩を深く読んでいくと、目立たなくて小さくてというのが私たちになります。

それぞれの生き方の中で、みんな花を咲かせています。
咲かせているけれども、ほめてももらえず、感謝もされない。

でも必ずどこかで神様が見てくださっていて、
「きれいに咲いたね」とほほえんでいてくださる。そう読めます。

見えない存在に育まれ見守られているという愛を深く感じた時に、
「私が生きている意味ってなんだろう。
そこには必ず深い意味があって、生かされているのだなあ」と素直に思え、
何もかも大切にできる力がでてくるのです。

すべてを宝物と思う

「何もかも大切にできる力」というお話をしてきましたが、
ごく簡単な方法としていえるのが、「すべてが宝であると思える」ようになることです。

自分の持っている宝物は大事にします。
同じように、すべてが宝物と思うわけです。

自分の旦那さんを宝だと思う。自分の奥さんを宝だと思う。
母も父もおじいちゃんもおばあちゃんも、子どもも孫も。

失敗したことや恥をかいたこと、苦しい想い出、楽しい出来事。
すべてを宝と思い、大切にしていくと、そこから何もかも大切にできる力があふれてくることでしょう。