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法話

観音さまに巡りあう 1 観音さまから来た言葉

苦しみを消す言葉

以前、ある会の講演を頼まれ、お話に行ったことがありました。その折りに、是非、
護国寺さんの本山である京都の妙心寺へ連れていってほしいと請われたのです。
その時はなんとかお断りをし、帰ってきました。

すると後日、その会の3役の方がお寺に訪ねてきて、
再び京都へ連れていってくれと頼むのです。

そのときも「承諾できません。許してください」と言ったのです。
私自身、忙しくて、その会には檀家さんが一人もいないし、女性ばかりですし、
とても気が進みません。

でも、その3役の方があまりにも熱心に頭を下げてくださるので、
根負けして京都にいくことになりました。

本山との段取りをつけて、一晩泊まりで、京都に行きました。
バスの中でも30分ほど法話をしてほしいと言われるので、準備をしていきました。
自分では、結構気を使っての旅でした。

ちょうど旅行に行ったときに、2人の娘が京都で学生をしていました。
それで会うことになり、宿泊をしていたホテルに娘が訪ねてきました。

夕食後ロビーで話をしていると、
会の人たちが近づいてきて「和尚さん、お友達?」と聞きます。

私は「娘です」と答えます。
「こんないい娘さんがいらっしゃるのね」と笑顔いっぱいで言います。

すると娘たちが「明るい、いい人たちだね」と私に言うのです。その言葉を聞いたとき、
京都に来た重い気持ちが消えて心がとっても軽くなったのです。

「ああ、そう思えばいいんだ」と思って救われた気持ちになったのです。

この言葉は私の娘から出た言葉ですが、観音さまを信じている私にとっては、
「観音さまから来た言葉ではないだろうか」と思えたのです。

今まで少し気の重かった思いが、その言葉によって消えていきました。
「これは観音さまの力をいただいたからなのだなあ」と私は思うのです。

そんな思いになると、心の中にあったもやもやの思いが去って、晴れやかになり、
いい旅行ができたな、思えるようになったのです。

私から見ると、さまざまな出来事の中に、
これは観音さまからきた言葉に違いないという言葉がたくさんあります。

今みなさんが読んでいらっしゃるこのお話は平成14年のもので、
それをいま文章にして書き直しています。

ですからずいぶん前の資料になりますが、ある新聞に載っていた記事を紹介します。

「7才の少女の詩に感動」という題で、
その詩を読んだ39才の男性の感想が新聞に載っていたのです。

7才の少女の詩に感動

最近、自信をなくしている情けない中年サラリーマンです。
10月27日の日曜日、富士山でも見れば少しは気が晴れると思って出かけました。

いつもの出勤の時と同じように、電車の中で「朝の詩」を読みました。

涙が出るほどうれしくて感動しました。
失われていた何かを思い出させてくれました。

7歳になる絹山美歌ちゃんの「みかた」という題の詩でした。
美歌ちゃんにお礼を言いたいです。

(産経新聞 平成14年12月1日)

こんな文章です。

この男性はどんな詩に心を打たれて、立ち直ったのでしょう。
「みかた」という題の詩は、こんな詩です。

みかた

どんなときでも
さいごまで
じぶんだけは
じぶんのみかたを
やめちゃだめだよ

この詩は7才の女の子が書いた詩ですが、
観音さまを信じていると、観音さまから来た言葉だと思えるのです。

そう感じていくと、電車の中で、この男性は観音さまにめぐりあったといえるのです。

実はこの詩はこの女の子が、お母さんに言った言葉だそうです。

お母さんが美歌さんに、ある試験を受ける時に
「お母さん、今度の試験だめかもしれない」と言うと、この詩の言葉を言ったそうです。

その言葉があまりにも印象的でしかもお母さんを支えてくれたので、
紙に書きとめておいたようです。

試験は不合格であったようですが、
娘から励ましてもらったことが何よりも嬉しかったと言っています。

考えてみれば、この美歌ちゃんの言葉も、娘から来た言葉であるのですが、
お母さんにとっては、観音さまから来た言葉ではないかと、私には思えます。

観音さまの心をいただいて

観音さまは私たちの苦しみを除いてくれるといいます。

その観音さまは、高い悟りの境地を得た菩薩さまのことを言います。

観音さまのことを観自在菩薩とか観世音菩薩といいますが、
人の苦しみや苦悩を自在に見たり、聞いたりすることができる人ですから、
そんな境地に達すれば、みな観音さまになれるわけです。

観音さまはいつも私たちを見守ってくださる方ですが、
誰でも努力精進していけば、観音さまのようになっていけます。

それは誰の心のなかも観音さまと同じような心が宿っているからです。

でも、まだそれが花の種のように成長していないので、
充分な働きが出来ないでいるといえます。

生まれてきた意義を思えば、その種を育てていくのが生まれてきた私たちの使命かもしれえません。

そんな観音さまの心とはどのような心であるかを知っていると、
私たちの内にある観音さまの心を育てていくことができます。

そんな観音さまの心が育っていくにしたがって、さまざまな状況の中で、
与えられた言葉や出来事あるいは出会いの中に観音さまを発見でき、
ほほえみの観音さまと巡りあうことができるようになるのです。

(つづく)