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法話

釈尊の願いに生きる 4 自らの力で幸せになる

先月は「教えと幸せ」ということで、
教えによって善悪を知り、正しく生きていけるというお話を致しました。
このテーマでは今回が最後になります。

善悪の結果はこの世だけでは完結しないときがある

善を行えば、善なる結果を得、
悪を行えば悪なる結果を得るというのは、一つの法則です。

でも、これはこの世だけで完結するものではありません。

もう時効になりましたが、かつて警察官になりすまして3憶円を盗んだ人がいました。
この世で悪いことをしたのですが、結果として悪い結果が出なくてはなりませんが、
この世では罰することができませんでした。

これでは善悪の法則に合いません。

目に見えるこの世がすべてであると思っている人にとっては、
不思議な教えになってしまいます。

でも、人生はこの世限りではありません。
前世があり今世があり、そして来世があり、そこで善悪の結果が出るのです。

昔の人は素直にこのことを信じていたのですが、
現代人はなかなか信じられず、迷いの世界に入っているように思われます。

「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわは、すこしあかりて・・・」 という書きだしで有名な清少納言が書いた『枕草子』があります。平安時代の中ごろに出た人です。

この書の三の「正月の一日は」という章の中に、

どれくらい前世からの果報にめぐまれた幸せな人が、
宮中をなれなれしく振舞っているのであろうと想像される。

と、こんな意味の言葉が書かれています。

前世の果報という考えが出てきます。
文章にしているくらいですから、前世を信じていて、
この場合は善いことをして善い結果を得ている場合です。

これは平安時代のことですが、
平安時代には真実で、平成の時代は真実でないというのはありません。

真実は一つで、時代を経ても変わらないものです。

真理は簡単なところにある

『神々との対話』(中村元訳 岩波文庫)は、
見えない世界にいる神々とお釈迦様が対話したものです。

ここでの神は一人ではなく、多くの神々と対話しています。 こんな仏典があるのなら、
素直に、「ああ神々の世界があるのだなあ」とい思えばいいのです。

この経典の中に、

善いことをして、来世のために功徳を積め。
諸々の功徳は、あの来世において人のよりどころとなる。

『神々との対話』165項(中村元訳 岩波文庫)

こう記されています。

そうであるならば素直に信じて、
「来世のために、善を積めばよいのだなあ」と思えばいいのです。

心かたくなになって、「信じない」では、救われる道はありません。
毒ヘビに心を噛まれているのです。

くれぐれもこのことを注意なさって、
毒ヘビにかまれないよう生きていくことが肝要です。

今まで、心の中にある毒ヘビという煩悩を退治するものは、
お釈迦様が説かれた教えであり、それは薬にも似て、
心を健康に保ち、毒ヘビを退治する力のあるもので、
さらにはその教えを持てば、善悪の判断ができ、
正しく生きていくことができるというお話をいたしました。

それはお釈迦様が教えを説かれた主旨であり、その先には、
「自らの力で苦を乗り越え、幸せになってほしい」という願いがあるのです。

そんなお釈迦様の願いを知り、生きていくことが、
「釈尊の願いに生きる」ことでもあります。

(つづく)