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法話

釈尊の願いに生きる 1 教えの意義

今月から数回にわたり「釈尊の願いに生きる」というテーマでお話を致します。

このお話は、平成16年に喫茶店法話の会でお話ししたものです。
その年の大きなテーマが「仏教精神を学ぶ」でした。
少し書き直しながらお話をいたします。

ともに仏教の心について学びを深めていきましょう。

あたたかな風

釈尊の願いを一言でいえば、
「悟りを深め、他のために生きる」ということになります。

初めにこのことについて、しばらくお話していきたいと思います。

仏教という言葉を分析すると、「仏の教え」となります。
ですから仏教は、教えが根本であり、それを悟ったのが釈尊です。
仏陀、仏ともいます。

このことからこう言い換えていいかもしれません。
「仏陀は教えそのものであり、教えが仏陀そのものでもある」ということです。
仏典にも、このような意味のことが記されています。

これは大変難しい表現ですが、
仏陀の教えとはどのようなものなのかを、私なりに詩にしてみました。

この詩を最初に載せ、お話を進めてみたいと思います。

「あたたかな風」

仏陀とともにある
その喜びを教えに触れるとき思う
仏陀の教えに触れると
そこからあたたかな風が吹いてくるのだ

そのあたたかさは
むかし父を抱いたぬくもりと同じものがある
父が亡くなり息絶えた父を抱きとって
病院を後にした
その父のぬくもりを感じながら
しばらく父とひとつになった私
今でも忘れられない父のぬくもり

そんな思いが仏陀の教えに重なる
教えを聞くたびに
その教えに抱かれている私を思うのだ

その教えから
仏陀の慈悲の思いが伝わってくる
仏陀の教えから
父のぬくもりにも似た
あたたかな風が吹いてくる

静かに教えの園で我を思うとき
確かに仏陀から
あたたかな風が吹いてくる

「仏陀は教えであり、教えは仏陀である」という難しい表現を、
私なりにこんな詩にしてみました。

私が普段思っている教えと、仏陀のつながりをあたたかな風で表現した詩です。

父が亡くなって、病院から私が車の後部座席で父を抱きかかえ家に帰ってきたときの父のぬくもりと、 仏陀の教えのぬくもりを共に感じて詩にしたものです。

前述しましたように、仏教とは「仏の教え」と書きます。
仏とは釈尊、お釈迦様ですが、この教えによって何を求めようとしたのか、
あるいはこの教えにはどのような働きがあるのか、ということを考えていきます。

心に忍びこむ毒ヘビ

「心の毒ヘビ」というたとえ話が仏典の中にあります。

毒ヘビがたくさん住んでいる山の中に、ある修行者がやってきました。

毒ヘビに襲われないように、
大木が切られた根もとの小高い所に敷物をしいて、
その上に坐り精神を統一させて、仏の教えを悟ろうと思いました。

夜が更けてくると、ものすごい眠気に襲われ、
目を開けていられなくなりました。

そんな修行者を天上界から天人が見ていました。
天人は修行者を起こしてやろうと声をかけました。

「こらこら、修行者よ。毒ヘビがいるぞ。お前のそばに・・・」

その言葉を聞いた修行者は飛び起きて、
きょろきょろ、あたりを見回しました。
でもヘビはいません。

天人はおかまいなしに言いました。
「あっちにも、こっちにも、ヘビがいるぞ」

修行者は怒って、
「やい天人、なんだって嘘をいうんだ。
毒ヘビなんか、どこにもいないじゃないか」

その時、天人は静かに言いました。

「毒ヘビはお前に心の中にいるのだ。
どうしてそれが見えないんだ。
お前の心の中に何匹ものヘビがいるではないか。
それを追い払おうともしないで、
どうして外のヘビなんかに惑わされているんだね」

この言葉を聞いた修行者は、ハッとして、
本当の自分に目覚め、心の中を静かに見つめました。

すると、さまざまな毒ヘビが見えてきて、
その毒ヘビを一つひとつ追い払っていきました。

空が明るくならないうちに、
修行者の心は澄んで明るくなっていきました。
そして、仏の示す真理への道が、はっきりと見てきたのです。

こんなお話です。

まず心の中に毒ヘビがいる。
その毒ヘビを心の中から追い出す。
そうすると心の中が澄んで明るくなってくる。
そして仏の示す真理への道が見えてくる。
こんなことがお話の中で理解できます。

心の中にさまざまな思いがあります。
そんな思いの中に自らを苦しめ汚す思いがあります。
それを毒ヘビで表現しているのです。

自分の心の中に入り込む毒ヘビはどんな思いかを知り、
それを一つひとつ退治していくわけです。

退治していかないと、その毒ヘビによって心をかまれ、
毒をくらい苦しまなくてはならないわけです。

心の中に去来する思いは、引いては押し寄せる波にも似ていています。

憎い、可愛い、欲しい、惜しい、見たい、聞きたい、
眠たい、起きたくない、怠けたい、がんばりたい、疲れた、お腹がすいた、
などさまざまです。

中には一つの正しい教えを生きる指針として、
心のなかを統御している人もいるでしょう。

常に明るく振舞おうと思って生きている人、
感謝の思いを大事に暮らしている人もいるかもしれません。

なかには何のために生きているか分からず、心の揺れゆくままに、
その心をほったらかしにしている人もいるかもしれません。

でもどんな人の心の中にも、
常に毒ヘビが入り込んでくるということを知っていなくてはなりません。

毒ヘビの正体

昨今、さまざまな事件が報道されています。

平和のなかでの事件なので、
その事件がさらに浮き出でてきて、悲惨さを募らせます。

たとえば、70才になる母親が40才の息子の首を絞めて殺したという事件
(平成15年12月20日)がありました。
息子さんが寝ているときに、ストッキングで首を絞めたわけです。

二人暮らしで、息子さんは無職。
たびたび母親に暴力をふるっていたようで、
「他人に暴力をふるうようになったら困る」という理由からだそうです。

40年前に、この息子さんが生まれたとき、
お母さんはおそらく、「可愛い子だ」と思って、
この子を産み、育ててきたのではないかと思います。

そんなお母さんが、40才になる息子を殺さなくてはならなかった。
共に過ごしてきた40年の歳月を振り返えってみれば、辛く悲しいものを感じます。

この親子の心には、「愚かさ」と、「怒り」という毒ヘビが入り込んできて、
そのヘビにかまれたのかもしれません。それも、大蛇ではないかと思われます。

さらにもう一つの事件をあげ、毒ヘビが入りこむ理由を考えていきます。

知恵の足りなさ

昔、次のような遭難がありました。

福井県と石川県の県境にある大長山(おおちょうざん)という山で、
ある大学のワンダーフォーゲル部の男子14人が遭難した事件です。

幸いにも、遭難した2日後の午後2時半ごろ、みな救助されました。

山頂付近の積雪は5メートルほどで、天候は曇っていて、
風が吹けば視界もなくなるほどであったようです。

ワンダーフォーゲル部の監督である人が
「これほどの大雪になるとは思ってもいなかった。認識の甘さがあった」
と認めていました。

山への甘さです。

その甘さが遭難を引き越し、
最悪であれば、死ななければならなかったかもしれません。

同じように、人生に対する甘さが、苦しみを招くのです。

この世を生きていくのは大変なことです。
生きていく日々に、人としての認識の甘さがあると、
いつの間にか毒ヘビが入ってきて、いつかは人生の遭難に逢い、
苦しみをなめることになるわけです。

言い方を換えれば、人生を生きる知恵がないと
毒ヘビにかまれ苦しみの多い人生を送らなくてはならなくなるのです。

人生にはさまざまなことがあります。

子育てや、夫婦関係のこと、姑やお嫁さんの関係、お年寄りとの関係、
その中で家族同士のぶつかり合いもありましょう。

また仕事のことや仕事での人間関係のもつれ、親戚や友人のこと、
経済的なことや自分自身の悩みもありましょう。

また病気や老いていく苦しみ、別れの辛さや死への怖れ、
思うようにならない事ごとなど、数え切れないほどです。

そんな複雑な人生のなかで、どのような生き方が正しく、
どのように生きれば幸せになっていけるのかという「生きゆく知恵」を持たないで、
「なんとなく暮らしている」という甘い考えで生きていると、
どこからともなくやってくる毒ヘビにかまれ、苦しい思いをするのです。

知恵と毒ヘビ

生きる知恵の一つに、人への思いやりがあります。

「しなの子ども詩集47」に、小学校2年のともき君が書いた詩が載っていました。
紹介いたしましょう。

「おじいちゃんのおみまい」

おじいちゃんのおみまいにいきました
おじいちゃんがたいいんできるから
とてもうれしいです
かたをたたいてあげました
「これくらいでいいかな」
つよいといたそうだから
そっとたたいてあげました

こんな詩です。

ともき君が思っています。
おじいちゃんが退院できるから嬉しいこと。
大好きだから肩をたたいてあげたいこと。
強くたたくと痛そうだからそっとたたいてあげること。
みな思いやりのある行動です。

このように人生を生きゆく一つの知恵として、
思いやりの心はなくてはならないものです。

こんな思いを培い暮らしている家族は幸せでありましょう。
思いやりの心は毒ヘビを退治する「草薙の剣―くさなぎのつるぎ―」かもしれません。

逆に毒ヘビに入られてしまったおじいさんがいました。
おじいさんが孫を猟銃で殺してしまったのです。

おじいさんは69才、お孫さんは中3で15才でした。
お孫さんは中学校を卒業したら就職をしたいと言っていて、
そんな孫におじいさんは進学を勧めていたのです。

それがもめて口論になり、
お孫さんはおじいさんに殴られて顔を腫(は)らしていたときもあったようです。

孫を猟銃で打って殺し、自分も喉を打って自殺をして果てました。

ここには6匹の毒ヘビがいます。

1つ目は「貪欲」の思いです。
おじいさんの勉学を進める気持ちは分かりますが、
勉学を拒むお孫さんの思いを察するのでなく、
もっと勉強をせよと高みを望むおじいさんの欲が、
正しい人としての在り方を見えなくしてしまったところがあります。

2つ目は、先ほども出てきましたが「怒り」です。
怒って猟銃で殺したわけです。怒りは恐ろしい毒ヘビですね。

3つ目は、「愚かさ」があります。
これも先にでてきましたが、孫を殺せば、孫の将来をつぶしてしまうし、
9人家族であったようですが、家族の悲しみは大きいものがあります。
愚かさがその原因を作っています。

4つ目は「慢心」があります。
おれの孫が中学卒などとは、という思いです。世間体が悪いという思いです。

5つ目が「疑い」です。
孫は勉強しなくては駄目になる。一人前の人間になれない。
そんなふうに孫の可能性を疑っているところがあります。
松下幸之助もエジソンもまともに学校をでていません。
総理大臣になった田中角栄も中学卒と聞きます。
いつかどこかで、この孫は大成すると信じてあげることも大事ではないかと思います。

そして最後の6つ目は、「悪見―あっけん―」です。
悪いところばかりを見るという毒ヘビです。
孫の悪いところばかりを見て責めるわけです。
遊んでばかりいる。テレビばかり見ていて勉強もしない。
孫の良い面を見ないということです。これが6匹の毒ヘビです。

心の中に入り込むこのような毒ヘビを、
どのように退治したらよいのかを教えたのが釈尊でした。

(つづく)