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法話

真なる富者とは 3 富に溺れる

先月は「富の姿」と「富に溺れる」というお話をしました。

富を嫌うと逃げていき、富を肯定し豊かさをいいものだと思えば集まってくるのですが、
その富に人間はまた溺れやすく、富のために堕落していく人もあると語りました。

今月は「富に溺れる」という章の言い足りなかったことからお話を進めていきます。

足ることを知る

それぞれの人の考え方によって違うと思いますが、300万円あると強欲な思いが沸いてくる人と、 3,000万円あれば強欲の思いに心が征服されてしまう人もいるでしょう。

要は、心の中に強欲の思いが、お湯が煮えたぎるように沸いてきたと、
まず気がつくことが大事になります。 そんな自分の心を見つめる力を持つことです。

そして次に、沸騰するお湯の中に水を注いで沸騰を抑えるように、
心の中にも知足(ちそく)という教えを注いで、強欲の思いを抑えるのです。

「足ることを知る」という教えです。
この教えは、ふつふつと乱れる心を平静にする力があります。

たとえば、
結婚されないで一人暮らしであった方が亡くなった時の葬儀の例をあげてみましょう。

こんな人が最近増えてきているのですが、その一人暮らしの人が亡くなると、
一般にはその人の兄弟や親戚にあたる方が葬儀を出します。

たまたま亡くなった方がたくさんの富を持っていた場合、それを縁者の方々が分けるのですが、 そのとき、強欲か知足かで、その人たちの人柄が見えるときがあります。

逆に亡くなった人が富を持っていなければ、葬儀代も出せないので、
このときは兄弟や親戚の方々が善良な人なのか悪の強い人なのかも見えてきます。

富としてのお金は、人の心をよく現わすものです。

足ることを知り善良な人たちは―亡き方の生き方も立派であったかもしれませんが―
思いやりのある供養をされ、私も教えられるものがあります。
「世にはこんな善良な人がいるのだなあ」と、すがすがしい思いになります。

逆に強欲で悪の強い人の場合は、供養の心もないので、反面教師として、
「あんなふうにならないように」と自分自身を戒める学びとしています。

『礼記』という書物の中に、

入るを量りて、出ずるをなす

という言葉がでてきます。

金銭に対しては常に、こういう堅実な考え方が大切であると思います。

どのくらい入ったかを計算して、それに対してどのくらい使えばよいのか、
と考えて生活をしていくということです。

こんな観点から考えれば、日本の国家予算は借金が半分以上ですから考えものです。

まとめとして、財という富は神仏の姿として大事なものであるということ。
それを善に使っていけば、自分も幸せになれるし、人をも助けて幸せになっていけるのです。

でも富に人は溺れやすいので、心を律して、上手に富と付き合っていくことが大事であるというお話をしました。

(つづく)