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法話

理解力を養う 2 幸せを理解するために

幸せになれない考え方

今まで相手を理解すること、仕事を理解すること、真実を理解すること、
そのために人としての常識や生きていくための知識、あるいは真理を学ぶことを
お話ししてきました。

この理解することで得られるものは、幸せです。
また心の平安であり、安らぎでもありましょう。

そこで、この幸せについて考えてみますが、
どのような考えを持って生きていけば、私たちは幸せになれるのでしょう。

まず言えることは、幸せの基準が自分でなく自分の外にある人は、
幸せになれない確率が高いということです。

スポーツなどで、相手の優れたところを見て、私もそうなりたいと思い努力していくのは良いことです。

でも、相手が優れていたり、体力や金銭的にも恵まれているところばかりを見て、
私はそうではないから幸せになれないと思うと、そこに幸せは来ないということです。

幸せの基準が外にあって、努力もしないで「いいなあ」と眺めるだけの、
不幸な考え方を少し挙げてみましょう。

・あの人は大きな綺麗な家に住んでいて、幸せそうだ。その点、私は・・・。
・その家には病気の人がいなくていい。その点、私の家は、というように以下続く。
・あの家はみんな元気で、介護する人もいなくていい。
・あの家はお金がたくさんありそうで、うらやましい。
・あの家には孫がいていい。
・あの家のお嫁さんは、優しそうでいいなあ。
・あの家のおばあさんは、理解があって朗らかでいいなあ。
・あの家の子供さんは、みんな頭がよくていい。
・あなたは器量良しだから、いい。
・あなたは五体満足でうらやましい。
・あなたの旦那さんは、勤勉でいい。
・あなたの旦那さんはお酒もたばこもやらなくていい。
・あなたの奥さんは料理が上手でうらやましい。

などなど・・・。

こう数えてくると、数え切れないほど出てきます。

これはみな幸せの基準を外に置いて、それに比べて、自分は恵まれていないから不幸だと嘆いているわけです。

第13回ヴァン・クライバーン・国際ピアノ・コンクールで優勝した辻井伸行(つじいのぶゆき)さんは20才で、しかも目がみえません。

五体満足の人を「いいなあ」と眺めているだけでは、決して優勝することはできなかったでしょう。

「音楽の世界に乗り越えられない障害はない」と語っています。努力の人なのです。

そして、ピアノを弾いているときの笑顔は、幸せそのものに感じますし、
聞いている私たちも、幸せな思いになれます。

相手をうらやむことなく、精いっぱい自分の与えられた境遇を活かし、生きていくことが、幸せを理解するヒントかもしれません。

幸せは自ら作っていくもの

幸せであることは、健康で、経済的に困らず、日々を安心して暮らせていけることが
一つの幸せ感でしょう。これを求めていくことも大切です。

そのために多くの人が日々まじめに働いて努力しているわけです。

でも幸せはもっと深いところにあって、それだけでは生きる充実感を得ることは難しいものです。

最貧国の子供たちにも笑顔があります。 笑顔は幸せの象徴で、どんな境遇でも私たちは幸せになれる能力を持っているのです。

また他人をうらやみ、あの家は幸せそうだと思っても、
実際、その家では大変なことがあって、苦しみと闘っているかもしれません。

相手の家が大きく綺麗で幸せそうだと思っていても、
実はその家では寝たきりのおばあさんがいるかもしれない。

あの家はお金がたくさんあるからいい、と思っていても、
実は家庭が不和でみんなが口もきかない状態であるかもしれません。

まずは幸せの視点を自分に向けてみましょう。

人の幸せを見て、「いいなあ」と思い、自分の境遇を嘆くのでなく、
今与えられている自分の幸せを見つめてみましょう。

そして、相手の幸せは祝福し、
自分が幸せになるためには、何ができるかを考えてみましょう。

不幸であるときには、どんな小さなことでもいいから、
自分のまわりにある幸せを見つけてみましょう。

苦しみのときには、この苦しみは幸せを作るための肥(こ)やしなのだと思い、
負けずに生きていくことです。

幸せは、その人の考え方次第で、変わるものです。

家が火事になれば、不幸です。
もう生きていられないほど、ショックをうけます。
でも、もう一度新しい家が建てられると思えば、幸せになれます。

事故にあったら、不幸です。
でも、怪我だけですんだと思えば、また今日の日を頑張って生きていけます。

考えようで、人はどんな立場や境遇にあっても、幸せになれるのです。

幸せを見つけられる自分になる

一つ投書を紹介します。「考え方一つで雨の日も楽しい」という題で、男性(38才)の方です。

仕事が配達業務のため、梅雨はもっとも苦手な季節である。

子供も雨だと外で遊べないから、雨の日は嫌いだと決めつけていたが、
幼稚園に通っている長女は、雨の日でも喜んでいる。

その理由を聞いてみると、幼稚園での「雨の日の散歩」で、
カタツムリなど雨でないと見つけにくい生き物を探すからだという。

大人と子供と立場は違うが、雨という同じ環境でも、考え方一つで、
嫌な一日にも、楽しい一日にもできることを子供から教えてもらった。

「隣の芝生は青く見える」という諺(ことわざ)があるように、
人間は自分の環境の悪さを嘆いて不幸の原因にしがちだが、
考え方の工夫次第で、幸福感を持つことができる。

人生は晴れの日ばかりではない。

雨の日も楽しめるように、
日ごろから今の状態での最善策を考えることの大切さを実感した。

(産経新聞 平成15年7月17日掲載)

この男性のように、考え方を工夫することで、不幸と思えることも幸せにかえる力が
私たちにはあります。

雨の日も楽しいと思えるし、晴れの日も良し、と思えるのです。

いつでも、どんなときでも、幸せを見つけられる自分になることが、幸せをつかみ取る一つの方法です。

これは幸せを理解するための初歩ですが、自分の考え方が幸せをつかむというのは、深い真理を秘めています。

(つづく)